アジアで初めて開催されたオリンピック・1964年東京大会のテーマソングが三波春夫らが歌った「東京五輪音頭」なら、こちらもアジアで初めて開催された冬季オリンピック・1972年札幌大会のテーマソングは〽虹の地平をあゆみ出て~で始まるトワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」でした。
当時、私は12歳でしたが、“雪と氷の祭典”については、鮮明に記憶に残っています。空中で気をつけをするような笠谷幸生のスキージャンプ。70メートル級では金野昭次、青地清二とともに表彰台を独占しました。
誰が名付けたか「日の丸飛行隊」。今なら間違いなく流行語大賞でしょう。
リンクで尻もちをついた女子フィギュアスケート、ジャネット・リンの愛くるしい笑顔も忘れられません。彼女が選手村の自室の壁に書き残した言葉は「Peace&Love」でした。
引退後、リンは145万ドルという当時としては破格の契約金でプロに転向し、成功を収めました。まさに“ケガの功名”でした。
リンは札幌での転倒について、後にこう語っています。
「あの時はさすがにがっかりしましたが、あの体験では金メダル以上に大事なことを学びました。誰でも人生なんてささいなことで挫折感を味わいます。
そんなとき、常にベストを尽くし、忍耐をもって努力すれば得るものはたくさんあります。たくさんの子供を育てながら、その思いはより強くなりました」
冬季オリンピック開催当時、約110万人だった札幌市の人口は、現在約196万人にまで膨れ上がっています。オリンピックを機に地下鉄が開通し、地下街も建設されました。このように札幌市はオリンピックをテコにして飛躍的に発展したまちなのです。
その札幌市が2026年冬季オリンピック・パラリンピックの開催都市に立候補すると表明したのは2014年11月のことです。
しかし、近年の開催都市が平昌(2018年)、北京(2022年)と東アジアに偏っていることから断念し、2030年大会一本にしぼることになりました。
ところで近年、北海道はニセコを中心に外国人スキー客でにぎわっています。2016年にはニセコだけで10万人を突破しました。良質なパウダースノーが外国人スキーヤーを魅了しているようです。
もし2030年大会の招致に成功した場合、ニセコはアルペン競技会場に指定される見通しです。
JTBは前回の平昌大会でも数多くの観戦ツアーを実施し、選手と観戦者の橋渡しをしました。2030年大会でも「虹と雪」の架け橋になってもらいたいものです。
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