両国というまちは東京の中でも、独特なたたずまいを醸しています。JR両国駅に降り立った瞬間、
タイムスリップした感覚にとらわれるのは私だけではないでしょう。
このまちには江戸情緒が色濃く残っており、時間が緩やかに流れていきます。
両国といえば、大相撲の殿堂・国技館です。場所が始まるとあでやかに染め上げられた色とりどりののぼりが、 道行く人々を楽しませてくれます。まるで、それは「異界」への案内人でもあるようです。
両国は江戸時代から相撲の聖地でした。勧進相撲の拠点となった回向院が、この地にあったからです。
江戸が火の海に包まれたのは1657年のことです。まちの6割以上が焦土と化し、10万人を超える人々が命を落としました。
これが明暦の大火、俗にいう振袖火事です。
時の将軍、徳川家綱は隅田川東岸の土地を下げ渡して身元不明の遺体を埋葬するため、
「万人塚」なる墳墓を設けました。これが回向院の起源です。
では、なぜ回向院が江戸における勧進相撲の中心となったのでしょう。有縁、無縁にかかわらず、 あるいは人であるか動物であるかにかかわらず、生あるものすべてのものに慈悲を説く回向院は、 その規模からして当然のことながら維持費がかかります。 それを勧進相撲による収益でまかなおうとしたのではないか、という説があります。
相撲の聖地・両国は東京以外の人々や外国人にとっても魅力的かつ魅惑的なまちです。
なぜ相撲の聖地となったのか。その歴史を知れば、まちへの興味はいや増すはずです。
力士がびん付け油の匂いを漂わせながら、着流しで歩いている姿は、まるで江戸時代がそこに甦ったかのようです。
また国技館の隣には江戸東京博物館があり、2005年には「両国と大相撲」展が開催されました。
私が目を奪われたのは、大相撲史上最強の呼び声高い江戸時代の名大関・雷電と、同じく大関の花頂山が、
がっぷりと胸を合わせている「取組の図」という錦絵でした。
一枚の錦絵には、土俵上の迫力が全て凝縮されているように感じられました。
JTBは大相撲の観戦ツアーも商品化しています。
力士とちゃんこ鍋をつつく企画も盛り込まれています。美声の持ち主に七五調の相撲甚句でもうたってもらえれば、
桃源郷にでも迷い込んだかのような錯覚にとらわれるはずです。
まさに両国は都会のワンダーランドなのです。
マラソン・ウォーキング|トライアスロン・自転車|ゴルフ|サッカー|野球|バスケットボール|テニス|ラグビー|フィギアスケート|モータースポーツ|その他