かつて「北の鉄人」と呼ばれたラグビーチームがあります。1978年から1984年にかけて日本選手権7連覇を達成した新日鉄釜石です。
このチームは地元の高校を出た、いわゆる叩き上げの選手たちが中心でした。その意味で文字通り彼らは「ハガネのラガーマンたち」でした。大学ラグビーで鳴らしたエリートは、ほんの一握り。
その中のひとり、チームの司令塔として活躍し、後には指揮官としてもV7に貢献した松尾雄治さんは、こう語ったものです。
「彼らのラグビーに対する真摯な姿勢には涙が出ましたよ。技術職の選手たちはヘルメットを被り、太い革のベルトに何キロもの工具を入れ、安全靴を履いて作業場に出る。少しでも時間があれば、ツマ先立ちして下半身を鍛えている。そんな男たちの集まりだったんですよ」
かつてラグビーの日本選手権は「成人の日」の1月15日、国立競技場で行われていました。
振り袖姿の目立つ学生側の応援風景に対し、釜石側のスタンドには色鮮やかな大漁旗がはためいていました。「鉄と魚とラグビーのまち」。地元住民との一体感が、このチームの持ち味でした。
2001年に誕生した釜石シーウェイブスは新日鉄釜石の歴史を受け継ぐクラブチームです。ニックネームは「力強く押し寄せる海の波」を意味しています。
2011年3月11日、ラグビーのまちは東日本大震災により壊滅的な被害を受けました。これによりクラブも活動停止を余儀なくされました。
大震災の2年前、ラグビーW杯の日本開催が決まりました。「ラグビーを震災からの復興のシンボルに」。市民の熱意が実り、ついに釜石は国内12会場のひとつに選ばれたのです。東日本大震災の被災地では唯一の試合会場です。
野田武則釜石市長は、「この挑戦が、釜石市のみならず、三陸沿岸地域全体の再生と、子どもたちはじめ地域住民全員の、未来への希望につながっていくものと信じております」と抱負を述べました。
2018年に完成した釜石鵜住居復興スタジアムではフィジー対ウルグアイ戦、ナミビア対敗者復活戦勝者の2試合が組まれています。
STHグループとJTBのジョイントベンチャーであるSTHジャパンは、スポーツホスピタリティを通じて「釜石市にまつわる素晴らしい物語」づくりに貢献していく、と抱負を述べています。釜石の成功なくして、ラグビーW杯の成功はありません。開幕までちょうど1年です。
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