JTBスポーツ 二宮清純 ~スポーツジャーナリストの視点~

二宮清純プロフィール

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二宮 清純 プロフィール
スポーツジャーナリスト。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。 1960年愛媛県生まれ。オリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグなど国内外で幅広く取材活動を展開。地域密着の総合型スポーツクラブづくりにも取り組む。東北楽天ゴールデンイーグルス経営評議委員、日本サッカーミュージアムアドバイザリーボード委員なども務める。

第6回 平昌五輪「私をフィギュアスケートに連れてって」


 アジアでは1972年の札幌大会、1998年の長野大会以来、3度目の冬季五輪が来年2月、韓国の平昌で開催されます。
 氷と雪を舞台に実施される競技種目はアルペンスキー、クロスカントリースキー、スキージャンプ、ノルディック複合スキー、フリースタイルスキー、スノーボード、スピードスケート、フィギュアスケート、ショートトラック、アイスホッケー、ボブスレー、スケルトン、リュージュ、カーリング、バイアスロンです。

 前回のソチ大会、日本は金1、銀4、銅3の8個のメダルを獲得し、国・地域別メダル獲得数で17位となりました。 自国開催だった長野大会の10個(金5、銀1、銅4)には及ばなかったものの、 8個のメダル総数と28の入賞数は、いずれも国外開催における冬季五輪では最多でした。

躍進の立役者は日本人唯一の金メダリスト・フィギュアスケート男子シングルの羽生結弦選手です。

フィギュアスケート

 ショートプログラムで4回転ジャンプを決めるなど、ほぼ完璧な演技で101.45点の高得点を叩き出し、トップに立ちました。 翌日のフリープログラムでは冒頭の4回転サルコウで転倒するなどミスはありましたが、その後は安定した演技で、こちらも高得点の178.64点。 羽生選手はトータル280.09点で、日本にたったひとつの金メダルをもたらしました。
帰国後、羽生選手は「胸に金メダルを掛けて、こうやって日本に帰ってくることができ、とても誇らしく思っています」と
喜びのコメントを口にしました。

 日本が男子フィギュアに初めて代表選手を送り込んだのは1932年のレークプラシッド大会。2010年のバンクーバー大会まで、 シングルでのべ29人の代表選手がリンクに立ちましたが、金メダルを胸に飾ることはできませんでした。それだけに82年目の悲願達成には格別の感激がありました。

 畑を耕し、種を蒔き、水をやる――。地道な作業が金メダルをたぐり寄せたのです。

 当然のことながら羽生選手には五輪連覇の期待がかかります。 冬季五輪史上、個人種目で連覇を果たした日本人はひとりもいません。歴史的な瞬間を是非とも、この目に焼きつけたいものです。

 JTBは平昌五輪指定旅行代理店として注目のフィギュアスケート男子シングルをはじめ、 多くの観戦ツアーを企画しています。感動のパートナーとして、長い歳月をかけて培った底力をいかんなく発揮してくれることでしょう。


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