イメージ

top

スポーツとの出会いが世界を広げてくれた(遠藤 隆行 選手/パラローイング/埼玉県坂戸市出身・在住 )

JTBグループでは、パラスポーツの発展とともに、地域を元気にするアスリートを応援していきます。 今回は、バンクーバー大会のパラアイスホッケー銀メダリストで、現在はパラローイングに転向し、東京大会出場を目指している遠藤隆行選手にアスリートとしての地域の環境と魅力を語っていただきました。

イメージ

写真撮影:Norihiko Okimura

普通学級に通わせてくれた両親に感謝  
 僕は埼玉県の坂戸市で生まれ育って、この体で生活していく上で、坂戸の人たちにはたくさん助けてもらった印象があります。 なので地元は好きですね。 両親も特別支援学校ではなく普通の学校に通わせてくれて、子どもの時は何の問題もなく、用意されたままに地元の学校に通えました。 なので逆に大人になってから、競技などを通じて障害者の友達ができたんです。 それで、彼らにこの話をしたら、それはすごい!良かったね!と言ってもらえて。 大人になって改めて考えてみると、自分を普通学級に入学させることは、なかなか大変なことだったと思います。 なので両親はすごい苦労をして学校と交渉して、そうした生活を送らせてくれたんだと思います。

イメージ

写真撮影:Norihiko Okimura

団体競技のホッケーにはないボートの厳しさ  
 大学時代から2010年のバンクーバーパラリンピックまで十数年、パラアイスホッケー(旧アイススレッジホッケー)を続けてきました。 でもホッケーから離れた後の2013年に、東京でのパラリンピックの開催が決まって、夏の大会も出てみたいと思ったんです。 それで選手発掘プログラムに参加した時に、パラローイング(ボート)をやってみないかと、ボート協会の方に声をかけていただいて。 実際にやってみたら、脚がないことで体重が軽いとか、バランスを取りやすい点は有利だったように思います。   それとホッケーで培ってきたバランス感覚や体重移動、どう体を作っていこうかとか、道具をどう工夫してどう試していこうかと考えられる点は、ホッケーの経験が生きていると思います。  
 反対にホッケーとの一番の違いは、団体競技か個人競技かですよね。   ホッケーは、仲間がフォローをしてくれたり自分のプレーで仲間を盛り上げたりできました。 でもボートは個人競技なので、自分が動くことを止めたら進めないから言い訳が効かない。 最初は楽しかったですよ。 やっぱり乗ってみて漕げば進むし、面白いと思いました。 でも今は…(笑)。 世界が分かって、自分のレベルが分かってきて、こんなに厳しい競技はないと思います。 ホッケーとは比べ物にならないですね。 すべてが自分にかかってきますから。 なんで選んじゃったんだろうって、たまに思うことはあります(笑)。

イメージ

写真撮影:Norihiko Okimura

〝垣根がない〟ボートの特殊性と魅力
 ボートって2000mをまっすぐ走るんですが、最後の500mの駆け引きは面白いと思います。 この間の世界選手権では、前半は他の選手の様子を見て最後で抜かしたら、やっぱり観客のみなさんも盛り上がってくれて。 これは気持ちいいなと思いましたね。 先行逃げ切りで行くのか、最後に勝負をかけるのか、それはもう戦略ですね。 2000mで自分の体力を出し切る、そのレース配分をうまくできるかどうかが勝負だと思います。
 それと、これはパラローイングの特徴だと思いますが、オリンピックとパラリンピックは別々に開催されますが、世界選手権などは健常者と障害者が一緒にプログラムされます。 ボート競技のひとつの種目としてパラローイングが実施されていて、僕も最初は「おぉ!」と思いました。 四人乗りも特殊です。 男女混合で、身体障害者、視覚障害者、それに健常者もコックス(舵手)として乗れます。 何の垣根もない、すごく魅力的な競技ですね。

イメージ

写真撮影:Norihiko Okimura

上げたスピードを、いかに落とさず漕ぎ続けるかがカギ
 ボートをやっていて思うのは、どれだけ早くトップスピードに持っていけるか、そしてそのスピードをどれだけ落とさないで漕ぎ続けられるか。 2000mを進むのに350~400回漕ぐんですが、ミスオールで減速してしまうこともあります。 しかも1回のミスオールを1回では取り戻せません。 5~6回漕いでやっと取り戻せるんです。 1回で5m進んでいたのが4m90cmになったとして、10cm短くなっただけでも、それが300回、400回と重なると大きなロスになる。 なので長いストロークで毎回毎回力を入れて、どれだけ続けられるか。 その繰り返しなんですよね。
 今サポートとして必要にしているのは、知識かな。 下肢がない不利な部分を、どうフォローしていけばいいのか。 例えば、健常者が太ももの筋肉を使う動きを、僕の場合は背中でフォローしていこうとか試しながらやっていますが、それが正しいのかどうかがわからない。 なので、そういった知識を持っている方がいてくださったら頼もしいなと思います。

イメージ

写真撮影:Norihiko Okimura

富士山登頂の次はマチュピチュ登頂!?
 ホッケーの時代も含めて、海外での思い出はいろいろありますね。 初めて飛行機に乗ったのは、やっぱりホッケーの遠征で。 スウェーデンでしたが、確か2回か3回飛行機を乗り継いで、最後はバスで3~4時間走って、大変な思いをして移動しました。 でもそうした経験ができたのも、競技に取り組んできたからだし、競技を通じてたくさん友達もできました。 遠征先では会場とホテルの往復で、なかなか自由時間は取れないですね。 たまにちょっと勝手に出かけると、見つかって「何しに来てるんだ!」って怒られて(笑)。 ホッケーの遠征先は北欧や北米が多かったですが、ボートはオーストリアとかブルガリアとかいろいろな国で試合があって楽しいですね。
 個人的にはボリビアのウユニ塩湖に行きたいです。 あとマチュピチュ。 マチュピチュは、電車やバスで近くまで行けるそうですが、よく写真で見るあの景色を見るには、もっと山の上まで登らないといけないんですよね。 だいぶ前ですが、単独で富士山に登ったんです。 日本人なら一度は登ってみたいと思いますよね。 それで、たまたま足がないから、じゃあ腕で登ろうと。 何とか成功はしましたけど今思い返すと無謀だったなと(笑)。 でもやって良かったです。その経験があるからマチュピチュも登れるかなと。
 そう言えば、富士山は一人で登っちゃったから写真も何もなくて。 でも9合目の山小屋に泊まった時に、二人組の男の子が一緒に登ろうよって言ってくれて、それ以降だけ写真があります(笑)。 その山小屋の娘さんとも仲良くなって、その後もやり取りをするようになって、バンクーバー大会に出ることが決まった時には、合宿先に会いに来てくれたんです。 それは嬉しかったですね。 そんな出会いもありました。
 スポーツを始めたことで、自分の世界が広がったのは紛れもない事実です。 自分が努力した分だけ周りは認めてくれる。 それはボートもホッケーも一緒だと思うので、ホッケーでの経験を今度はボートで活かしていきたいです。

イメージ

写真撮影:Norihiko Okimura

PROFILE
遠藤 隆行(えんどう たかゆき)

1978年3月19日 埼玉県坂戸市生まれ 坂戸市在住
障がいの種類は先天性両下肢欠損。 20歳の時、冬季パラリンピック長野大会でボランティア活動をしていた先輩の誘いでアイススレッジホッケーと出会い競技を始める。 2010年バンクーバー パラリンピックでは日本代表に選ばれ銀メダルを獲得するが、ケガのため競技から離れ、日本代表も引退。 2013年に2020東京大会の開催が決まったことで夏の大会にも出場したいと陸上の短距離に挑戦するも断念。 その後、選手発掘プロジェクトに参加し、パラローイングと出会う。2018年世界選手権15位。



関連記事