夕陽が美しい台北郊外の港町、淡水の行き方と楽しみ方
台北からの日帰り旅行先として、人気上昇中なのが、旅情を誘う港町、淡水です。台湾島の北部、淡水河の河口の北側に位置し、清の時代には、台湾の玄関口として栄えました。欧州列強の領事館だった洋館や教会を散策したり、中華スナックを食べ歩きしたり。「台湾八景」の1つに数えられている淡水河の美しい夕陽は必見です。
台北から淡水までのアクセスは、電車が便利。MRT「台北」駅から、淡水線に乗って約40分で到着します。台北に滞在中、淡水まで出かけて夕陽を眺め、夜はまた台北のホテルへ戻ってくる、といった旅程も組むことができます。平日はのんびりした雰囲気が漂いますが、週末になると若者たちで、かなり混雑することも。ここは人気のデートスポットでもあるそうです。
欧州各国による台湾進出の舞台となった港町
淡水の歴史を簡単にご紹介しましょう。欧州の強国が、相次いで台湾へと進出してきたのは17世紀。フィリピン・マニラに拠点を築いたスペイン人が、台湾まで北上し、1624年に淡水を占領、サン・ドミンゴ要塞を建てます。すると当時、台湾南部に進出していたオランダの東インド会社がこれに反撃。1642年にはスペイン勢を追い出し、要塞を再建しました。このサン・ドミンゴ要塞は、現在、「紅毛城」と呼ばれ、淡水の観光名所の1つになっています。
その後、1661年には、台湾軍がオランダ勢に勝利し、淡水を奪回します。このときの英雄が、台湾で「三人の国神」と称えられ、尊敬されているうちの1人、鄭成功です。鄭成功は日本との縁が深く、実は長崎県平戸生まれ。お母さんは日本人だそうです。ちなみに、残りの2人の英雄は、ご存じ孫文と蒋介石になります。
台湾が清の治世下に入ると、淡水は開港され、今度はイギリス領事館が紅毛城に設置されます。そのほか諸外国の商館も建てられ、19世紀、淡水は台湾最大の港湾として賑わいました。しかし新しく基隆港が建設されると、海の玄関口としての役割は、次第に基隆へと移ってゆきます。現在の淡水は、漁業と観光の町になっています。
どこか懐かしい!レトロな港町をのんびり散策
淡水駅に降り立つと、淡水河に沿って整備された遊歩道がすぐ目に入るでしょう。淡水散策ルートはとても分かりやすく、この川沿いの遊歩道と、これに平行して伸びている商店街「中正路」の2本を、往路と復路で歩くのが定番コースです。折り返し地点になるのは、中正路を進んだ先にある紅毛城。赤い外観が目をひく建物なので、まず迷うことはありません。紅毛城と淡水駅の間は、路線バスも運行しているので、歩き疲れたら、帰りはバスで駅まで戻ることも可能です。
中正路は、淡水が台湾の玄関口として栄えた時代の賑わいを残す旧市街。たくさんお店が並んでいます。淡水名物の鐡蛋(醤油ベースのタレに漬け込んだ煮卵)や阿給(油あげの中に春雨や具を入れて煮たもの)など、中華スナックの数々や海の幸を使った軽食を食べたり、お土産屋さん、洋服や雑貨の店などをのぞきながら、ぶらぶら散策を楽しみます。
一方、川沿いの遊歩道は、のんびりした雰囲気。淡水は、海へと注ぎ込む河口に近いため、川幅はとても広く、開放的な雰囲気です。水辺を眺められるベンチがあちこちに配されていて、アイスクリームや果物ジュース、かき氷屋さんが点在。船で対岸に渡ることもできます。
またサイクリングロードも整備されているので、台湾で人気のレンタサイクル「ユーバイク」を利用して、水辺の風に吹かれながら自転車に乗るのも気持ちよいです。ユーバイクについて、詳しい情報はこちらへ。
▼台湾で人気のレンタルサイクル「Youbike」の使い方
台湾の医療、教育発展に尽くしたマッカイ博士
散策ルート沿いには、歴史的な建物が、他にも色々あります。なかでも有名なのが、1871年にカナダから台湾に渡り、医療や教育の近代化に貢献した宣教師のマッカイ博士。本名はジョージ・L・マッケイ氏、通称「馬偕(マッカイ)博士」。台湾人と結婚し、死ぬまで淡水で暮らした方で、赤いレンガ造りの教会「淡水礼拝堂」、台湾初の西洋医学をとりいれた病院「滬尾偕医館」、西洋式教育を行う学校「牛津學堂(現在の真理大学)」などを創設しました。台湾では広く尊敬されており、淡水には、マッカイ博士の銅像もあります。
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