山田 幸夫(旅先:静岡県)
旅の途中で二日間を共に暮らすと、旧友同然である。この夜は、昨日とは違った。甲斐さんが自分のことを話し始めたのだ。
五年前に小学校教員を定年退職して、昨年から不登校や子どもの貧困など事情を抱えた子どもたちを対象にした学習塾を主宰している。と言っても、元勤務していた小学校区の中で、極々小さい個人経営のため、資金の問題など、苦労も多いが、子どもたちの姿を見ていると、やりがいを感じるのだと言った。そして、その延長として、今年の夏には、一週間程度の野外での活動を計画していて、その候補地の下見を兼ねて徒歩旅をしているのだと言い、「ともかく、キャンプ活動は初めての試みなので、ぜひ成功させたい」と強調した。
今回の野外活動は、自然の中での子どもたちの交流を深めることはもちろんだが、自分の生活のこと、生い立ちや、家族のこと、将来の夢などを語り合うことがメインなのだそうだ。そして、自分を大切に思う自尊感情を身につけるきっかけになれば、このキャンプは成功なのだと言った。熱のこもった言い方に、私たちもついつい聞き入ってしまった。
彼は、一気に話し終えると、それまでと声のトーンを変えた。
「初めての取り組みなので、手伝ってもらえないか」と。
この話が出る前に、私は「教員をしていた」と自己紹介していたのだ。彼と元同僚の教員が手弁当で参加してくれるが、他にも教員経験者が手伝ってくれると助かるのだと言う。
しかし、私は気になった。昨今、子どもの貧困が社会問題として、クローズアップされ、それに伴う「子ども食堂」の取り組みが拡がりを見せているが、それらは、NPO法人や援助する人たちがいて、成り立っている。しかし、今回、彼が取り組もうとしている、そのお金の出所はどこなのか、急に気になりだした。そのことを率直に問うと、彼は、家庭内のことまで話してくれた。
「妻も教員をしていた。定年まで勤めあげたが、ゆっくりする間もなく昨年、病気で亡くなってしまった」と切り出したのだ。退職したら二人で、不登校や貧困など、事情を抱えた子どもたちのための塾を開く、と約束していたが、妻にはそれが叶わなくなってしまった。しかし、計画を頓挫させたくない。志を受け継ぎ、妻の退職金で塾の運営資金を捻出している。塾は無料なのだと言った。
「私財を投げ打つ」とは、こういうことを言うのか。そんな言葉を私は、にわかに信じられなかった。「個人の力には限界がある」と、そう思っていた。今まで私自身が困難なことにぶつかれば、それを言い訳にしてきたからだ。見透かされた気がした。恥ずかしくなり、私は、即答した。
「手伝わせてください。子どもたちの未来に向かって!」
青臭い言い方だなと、照れたが、心の底からの気持ちだった。
大阪からは、距離もある。交通費もかかるが、それぐらいは負担できる。彼の志に意気を感じたのである。
バイクの大学生二人も、興味ありげに、と言うよりも熱心に質問をしながら、話に加わっていた。偶然とは恐ろしいと思ったのは、この二人の大学生は、教育学部生で教員を目指していると言うのだ。
「教員になるためのいい体験ができる。横浜からも、そう遠くはない。参加させて欲しい」と言った。そして、テントでの宿泊と食事があれば、手弁当のボランティアで参加したいと。
「その催しは、夏休みだしね。これは、偶然と思えないような、必然の出会いだね」
と皆で笑った。
それからは、大学生の大沢くん、西山くんの二人の口から、ペスタロッチやフレーベルの名などが飛び出して教育論議に盛り上がった。
「さすが、学生だね。僕らも勉強したのは、もう随分遠い過去のことだよ」
と言いながら、自分が若いころ学んだ玉川大学総長だった小原國芳先生の全人教育のこと、群馬県の小学校長だった斎藤喜博先生の授業実践なども話題に上がり、四人で共有した。話は、どんどん広がり留まることを知らず、益々、意気投合していった。
若い頃の教員としての熱も思い出された。久しぶりに、口角泡を飛ばしながら、話は弾み、日が変わるころ、連絡先を交換して各々テントにもぐった。街灯などの灯りが消えて、空には満天の星が瞬いていた。興奮して眠れない夜だ。夜空を埋め尽くした星を眺めた。
翌朝、少し風が出てきたせいだろう、肌寒い。
朝食代わりの枇杷を頬張っていると、おじさんがやってきた。大きく膨れたビニール袋が、四つ。「これ、途中で食べてよ」と、差し出した中を覗くと、枇杷だ。
それぞれ四人は、ここで別れた。
私は、ずっしりと重い、食べきれないほどの枇杷を自転車に積んだまま土肥峠、天城峠を経て、熱海から富士山の裾野、山中湖に向かった。枇杷は少しずつ減ったが、それでもなかなか軽くならず、最後の枇杷を食べたのは、土肥を出てから五日後、裾野を拡げた富士の姿を目の前で眺めたときだった。
背後から大きな声がした。
「山田さん!山田さんでしょ!」
甲斐さんだった。彼は、満面の笑顔で言った。
「野外活動の候補を決めたよ。富士が間近に望める所だよ」
―――旅は、ゆっくりがいい。人との距離も近くなる。その地に住む人の温もりや風を肌に直接感じる。日本は島国である。世界地図上では小さいが、自転車で走ると、とてつもなく広い。流す汗の量でそれを実感する。そして、この旅では、神々しい富士が万物の営みを静かに見守ってくれていたように思う。そして、何より人との出会いに魅了された旅だったと言える。
大阪を出発して一ケ月後、三島駅で自転車を輪行袋に収め、新幹線に乗った。
八月。集合場所である富士山中湖キャンプ場に向かった。私たちは再会した。
5月の連休が終わり、伊豆、富士を巡る旅へ。電車や車の旅ではなく、自転車の旅。楽ではないし、向かい風や峠道はつらく厳しい。しかし、自転車旅だからこその濃密な出会いもある。旅先の土肥で出会った同年代の男性、2人の男子大学生との交流は、思いもよらぬ未来へと繋がり、「旅」と「教育」を共通項にした4人は、ゆっくりと絆を深めていく。
・まさに「出会いの旅」というにふさわしい、奇跡的な展開にどんどん引き込まれていく内容だった。ぜひとも旅の続きが読んでみたいと思わせる。
・縁、ボランティア、参加性など、散りばめられたテーマがうまく組み合わさり、交流の先にある創造がとても魅力的に描かれている。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。