株式会社BrewGood(ビールの里まちづくり協議会 事務局)(岩手県遠野市)
岩手県遠野市は日本有数のホップの栽培地である。ホップとはビールの原材料には欠かせない植物で、ビールの味、香りを左右することから「ビールの魂」とも呼ばれる。遠野市は56年の栽培の歴史があり、キリンビールの契約栽培地として長くホップ栽培を続けてきた。栽培面積では日本一を誇る。しかし、高齢化や後継者不足によって、生産量・生産面積はピーク時の5分の1まで減少している。日本産ホップの衰退というのは、遠野だけの話ではない。北海道や青森県ではホップ農家が残り数軒というところまで減っている。
ホップ農業の衰退を解決する挑戦は、キリンビール株式会社と遠野市で2007年から始まった。日本産ホップの将来にわたる持続可能な生産体制を通じた地域活性化を目指すことが目的であった。TK(遠野・キリン)プロジェクトを遠野市、遠野ホップ農業協同組合、キリンビール岩手支社(現:岩手支店)で発足し、2015年「ホップの里からビールの里へ」というビジョンも掲げた。この時点では、行政と農家、大手企業での取り組みであり、関係者は限定的であった。掲げたビジョンを実現するには圧倒的にプレイヤーが足りなかったのだ。その状況を変えようと、遠野市は地域おこし協力隊制度を活用して移住者を誘致し、いよいよ「ビールの里」づくりへ取り組み始めた。
私たちが目指す目標、「ビールの里」とは何か。それは、ホップやビールを楽しむために世界中から人が訪れるまちづくりである。採れたてホップの香りに包まれながら、ホップ生産者や醸造家と、地元でとれた食材を囲んで、遠野産ビールで乾杯する。そして、そんな特別な瞬間に、さまざまな人が集い、思いも寄らないアイデアや、大きな夢があふれ出していく。あたかも町全体が大きな醸造所のようになって、さらなる美味しいビール、新しい文化、確かな経済が創りだされること。そのような未来を描いたビジョンである。
私たちが「ビールの里」によって、解決しようとしているのはホップ栽培、農業の話だけではない。遠野では、他の地方と同じように人口流出が進み、観光客も減っている。まちに空き家が増え、活気が失われつつある。このホップ栽培の衰退と、地域課題の両方を解決したいという取り組みが「ビールの里」構想なのである。ホップを栽培しているだけだと生産地にしかすぎない。それをビールの里、ビールを楽しめるまちというところまで大きく広げることによって、他の地域資源とも重なることができ、面として面白く魅力的な地域になっていく。農業から観光まで広げることによって新たな産業が生まれることを目指している
ビールの里実現に向けて、関係者が協働しながらコンテンツを作り続けてきた。数年前まではビールの原材料を栽培するだけの地域が、下記のようなコンテンツが生まれることで、着地型の観光モデルとして形になりつつある。
ビールの里の象徴的な場所、ビールの醸造所をまち中につくるプロジェクトは2016年から移住した3名によって始まった。もともと遠野市には1つのビール醸造所(上閉伊酒造)が存在していたが、そのビールを樽生ビールとして常に楽しめる場所は市内に無かった。移住した3名は、株式会社遠野醸造を2017年11月に設立し、「CommunityBrewery」をコンセプトにしたレストラン併設型のビール醸造所を翌年春に開業した。遠野駅から徒歩3分の場所で、元酒屋をリノベーションした。店内では作りたてのビールを楽しむことができ、スタッフの手が空けば随時醸造所ツアーが開催される。遠野醸造のビールは、ほとんど遠野でしか飲むことができない。昨年は製造したビールの93%を併設したレストランで販売した。もちろん、地元の上閉伊酒造のビールもここで提供される。この場所でしか飲めないビールを楽しみながら、スタッフと観光客、観光客と地域住民との交流が発生している。
遠野ではホップ畑とビールの醸造所、まちの観光スポットをめぐるビアツーリズムを事業化している。遠野の地域資源であるホップ畑は、夏になると高さ5mのグリーンカーテンに育つ。その中でBBQをしたり、ビールを飲む。収穫時期には、その場でホップを収穫してビールに入れるという、まさにここでしかできない体験をすることができる。地域資源を活用した新しい観光の形はビール好きにとっては貴重な体験であり、満足度も高い。ホップ畑を堪能した後は、遠野市内にある2つのビール醸造所を巡ることもできる。前述した遠野醸造に行くのも定番コースである。また、遠野ナイトビアホッピングというツアーもあり、こちらは夜にガイドと共に市内の飲食店や酒屋を巡り、ビールとその地域ならではの食事を楽しんでいただいている。飲食店はそれぞれホップやビールを楽しんでもらおうと創意工夫し参加者をもてなす。ホップ畑に行く昼間のコースだけではなく、夜まで楽しんでもらえる企画として人気が出ている。
ビールの里を体現するイベントとして毎年8月末、まさにホップの収穫の時期に「遠野ホップ収穫祭」を開催している。今年で5年目になるが、毎年参加者は増えており、今年は2日間で12,000人もの来場があった。遠野市の人口が約26,000人ということを考えると驚異的な数字である。会場では地元の醸造所のビールと遠野をはじめとする東北産ホップを使用しているキリンのビール、地元の飲食店を中心に提供するビールにあうおつまみを堪能することができる。また、会場からはホップ畑への定期運行バスが出ており、ガイド付きで実際のホップ畑を楽しむことができる。持続可能なイベントにするために、環境にも配慮したエコカップやリユース食器の導入もしている。地域にホップという宝があることを再認識し、そしてこれから「ビールの里」を一緒につくっていく仲間を増やす場でもある。今年は、会場に募金箱を設置、また、活動を応援するサポーターグッズを販売したが、参加者の1割を超える多くの来場者が支援した。
いくらまちが盛り上がっても、農業としての持続可能性がなければ意味がない。新しい農業の形を目指して、今年遠野にはドイツ式の最新ホップ圃場が完成した。また、数年前から栽培しているスペイン原産のパドロンという野菜を栽培するためのオランダ式の高規格ハウスも完成した。遠野パドロンはビールのおつまみ野菜として全国に発送しており、農家の収入を支える重要な作物でもある。これらの新ホップ圃場、パドロンハウス、そして前述したビアツーリズムを事業として行なっているのが2018年2月に設立したBEER EXPERIENCE株式会社である。そして、これらは日本では遠野でしか挑戦していない農業であり、ビアツーリズムの観光スポットにもなっている。農業を進化させながら、それを観光にも転用していく動きが始まっている。
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