豊崎 みち子(旅先:アメリカ)
ニューヨークにいるはずなのに、さすがアジア以外では世界最大と誇るチャイナタウンだ。香港や中国にいるのと変わらない。私と同じ容貌のアジア人が8割以上と見受けられる。耳に入ってくる言葉はおそらく広東語だろう。中国に旅行すると市場に行き、人々の生活を見るのが好きだったが、ここでも同じ光景が見られた。その女性に連れられ入ったお店の隣には、中国野菜などが売られるスーパーがあった。
食事をとったお店は香港にある食堂そのものだった。従業員も、店内の内装も、売られている食べ物もすべてがそうだ。日本と言う単一的な文化の中では、その中にうまく溶け込む形で西洋やアジアのレストランが佇んでいるが、ここニューヨークは違った。ある一角すべてが中国で、そこを抜けると日常的なニューヨークの街並みが目に飛び込んでくる。
私は地方から東京に移り13年目に入った。仕事以外の知り合いや友達も増え、最初の頃より有意義な都会生活が送れるようになったのもつい最近のことだ。しかし、時々殊の外虚しさを感じることがある。しばらくはそれがどういうことか分からなかった。そうして今回のニューヨークの旅を通して分かったことがある−人との距離感の違い。
特に道に迷っていたわけではなく、地図を広げて方向確認をしていただけだった。チェルシーの街角で立ち止まり、方角に間違いないことを確認して顔を上げると、隣で犬を散歩させながら携帯電話で喋っていた男性が突然電話の相手に何かを言い私に向かってこう声をかけてきた。
「行き方が分からないのかい?大丈夫?」
また宿に到着した日。予約したホステルの名前が看板に書かれてある名前と違っていた。しかし住所は間違っていない。不安にさいなまれながら目の前の扉を開けると、3階まで続く階段が目の前に迫っていた。2階に上がって恐る恐る扉をノックするが、音沙汰無し。扉も固く閉ざされている。狼狽していると上のフロアから黒人男性が声をかけてくれた。
「どうしたの?そこに泊まる人?ちょっと待ってて」
急ぎ足で階段を駆け下りてきて、力強く扉をノックしてくれた。そうすると、少しして中からスタッフと思しき男性がひょっこりと姿を現した。
困っていると、いや困っていなくてもここニューヨークの人たちは声をかけて相手の状況を確認しようとしてくれる。手を差し伸べてくれる。よくアジアのニューヨークとして例えられることのある東京で、同じようなことは果たしてどのぐらいあっただろうか。
頼んだザーサイ肉麺が熱い湯気を立てながらテーブルに運ばれてきた。香りも味も香港や中国で食べ慣れたものと同じ味だった。菜食主義のその女性は野菜だけの麺をすすっている。二人とも無言だった。なんだか不思議な感じがした。一人で訪れたはずのニューヨークなのに、孤独を感じない。外の道路からクラクションを鳴らし合う喧噪が感じられる。
今回宿泊した宿でも新たな出会いがあった。私と同じように一人旅の日本人女性が声をかけてくれた。朝食を取っていると知らない間に現れ、良かったら晩御飯だけでも一緒にどうですかと声をかけてくれた。是非ロブスターを食べてみたかったので、ご一緒させてもらった。次の日にはブルックリンに行くとのことで、終日共に行動した。地下鉄でワールドトレードセンター駅まで行き、グラウンド・ゼロに立ち寄り、ブルックリン・ブリッジを歩いて渡ると対岸のブルックリンまでひたすら歩いた。ビール好きの彼女は是非ブルックリンビールを飲みに行きたいとのことで、ブルックリン・ブリュワリーに行くことになった。その途中、ウイリアムズバーグの横を通ると、屋台がずらっと並んでいる。食のイベント「スモーガスバーグ」が開催されていた。ブリュワリーで買ってきたビール片手にバーベキューの列に並ぶ。その時に見上げた空は快晴で澄み渡っている。ピクニックシートを広げて芝生の上に座り、肉をほおばった。翌日はもう帰国する。今回の旅を決めた時はほとんど勢いだった。普段慎重で万全を期する私が自分でも信じられないような行動だった。一人で行って大丈夫か、治安はどうなんだろう、なんとかなるかな、と楽観的に考えられる性格ではなかった。ただニューヨークに行って、ちょっと心の窓を開けてみただけだった。
ちょうどこの体験談を書いている時、ニューヨークで知り合ったその彼女からとても久しぶりに連絡をもらった。
「ニューヨークで知り合ったHです。覚えていますか?転勤で東京に引っ越してきました」
マンハッタン行のフェリー乗り場で出会った米国在住の中華系アメリカ人女性と筆者の交流を描く。彼女の案内で向かった中華街の様子やその後の思わぬふたり旅を通して、ニューヨークの人々のあたたかいもてなしを感じた旅を描く。
・旅慣れた筆者が、ひとり旅で出会う人々を活写している。決めごとの無い自由な旅の記録となっており、旅の本質を描いている点を評価した。
・「何々がこうなった」の描写は飽きさせず読ませる。「こう感じた」についても、もう少し書き込まれると、なお良かった。
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