宮森 庸輔(旅先:バングラデシュ)
ジャクルと一旦別れ、ホテルのベッドに横たわる。心地よい疲労感に身体が支配される。稼働音がやたらうるさいエアコンが吐き出す冷気にあたっていたら、眠りに落ちていた。夢のない深い自由な眠り。電話も鳴らないし、誰からも邪魔されることのない眠りだった。ふと目覚めると、鳴りやむことのないクラクションの音と町が発する様々な雑音が聞こえた。天井に吊るされてぐるぐる回るファンをじっと見つめながら『なぜジャクルは見ず知らずの自分に、町を案内したり、食事をご馳走したりと、献身的な態度がとれるのだろうか?しかもごく自然に。自分は日本で同じことをする自信はない。この差は一体何だろう?』と考えたが答えは出てこない。思い切りビールを呷りたかったが、簡単にビールは手に入らない。
翌日、私はジャクルの家に招待された。土が浮き出たレンガ敷きの道を曲がる。トタン屋根の家屋が密集している地帯。人が一人やっと通れるくらいの暗く狭い路地を進むと、粗末な家があった。ジャクルの家だった。私の思い込みは間違いで、彼は裕福ではなかった。室内に案内される。そこに一人の女性がいる。丸い顔の額には、赤い印が装飾されていた。ヒンドゥー教徒の証であるビンディーだ。微笑んだ瞳はジャクルのそれと良く似ていた。彼女は両手を合わせ軽くおじぎをする。
「俺の母親だよ。健康そうに見えるけれど、糖尿病なんだ」
すると、母親は上着の裏ポケットから何かを取り出しジャクルに渡す。使い込まれた10タカ札だった。丁寧に3つ折りにされて小さくなった紙幣。とても大切に保管されていた感じが伝わってきた。彼らはベンガル語で何かを話している。私には理解できない。するとジャクルは「買い物に行こう」と言った。
小さなランプが路地を照らしている。その光はとても穏やかで心を落ち着かせるものだった。自分の生活している町がとっくの昔に失ったもののように思えたからかもしれない。どこからか近所の子供たちが集まってくる。ふいに私をくすぐる子がいる。私がやり返すと大声で叫んで逃げ、闇へと消えていった。その瞬間、皆が大いに笑った。
夜空にはあるはずの星は見えなかった。暗く続く路地の先に、ぽつりと輝く場所が見えてくる。我々はそこへ向かう。バナナとスナック菓子がロープで吊るされ、埃をかぶったミネラルウォーターのボトルが天井近くまで積み重なっている。幅1メートルにも満たないカウンターの奥に店主が座っていた。ジャクルはさっきの10タカ札を差し出す。そして店主はふた切れのカステラを新聞紙に包み、黙ってジャクルに渡した。
帰宅すると、玄関のサンダルの数が増えていた。子供用のカラフルなサンダル、女性用のおしゃれなサンダル、男性用の無機質なサンダル。どれも大切に使い込まれている。パステルグリーンのペンキで塗られた部屋に通される。そこにはジャクルの家族や親類が勢ぞろいしていた。皆に囲まれ、ジャクルを介して会話をする。みんな興味津々だ。なかでも『刺身』の話で大いに盛り上がる。彼らは寿司の存在さえ知らなかった。「腹を壊さないのか?」「なぜ火を通さない?」「日本人はただ切るだけで料理をしないのか?」と質問攻めだ。「鳥の刺身も食べる」と言うと、ジャクルの父親は両手で白髪混じりの頭を抱えていた。「とても美味しい」と付け加えると、子供たちは「げぇぇ」と叫び興奮した様子で近くの母親に抱きついた。そして、その場はどっと賑やかな笑い声で包まれる。裸電球が照らすその小さな部屋は、暗く長い夜闇の支配から逃れているようだった。
ジャクルの母親がカステラを私の前に置く。ステンレス製の銀の皿にちょんとふた切れ載せられたカステラ。それはとても小さい。20センチほどの皿が大きく見えてしまうほどだ。母親は召し上がれと手を私に差し向ける。そこには深いしわが刻み込まれていた。これまで生きてきた証に見えた。決して裕福ではないこの環境で、闘病しつつ、多くの苦労を重ねてきたことだろう。私の知る数少ないベンガル語で「ドンノバード(ありがとう)」と言うと、母親はにこりと微笑み、カステラを勧める。
大切なお金で買われたカステラに私は手をつけられなかった。幼いジャクルの姪や甥にそれを差し出すが、彼らは手を振りそれを拒む。小さな部屋にいる誰もが、カステラに手を出そうとしなかった。ちょうどその頃、雨が降り出し、トタン屋根に落ちる雨粒の音がバチバチと聞こえた。「君のためのものだから、遠慮せずに食べてくれ」とジャクルは言った。ふと視界に入った小さな格子窓に雨粒がぽつぽつと付着し、やがてそれは涙のようにさらりと地球の中心に向かって流れていった。
夜はさらに深まる。さっきまで賑やかだった小さな部屋に、ジャクルと私だけが残されていた。しんと静まり返った部屋に雨音がしっとりと響く。銀の皿には、カステラがふた切れ載っていた跡がかすかに残っていた。おもむろにジャクルが口を開く。「俺は銀行員になるのが目標なんだ。そしたら、もっとよい生活ができるし、もっとよい薬も買うことができるしね。いや、今の生活も自分にとっては悪くないよ。地位や権力もないし、金もない。でもとても楽しいし、充実してる。できることなら何も壊したくない。そのままの方がいいことだってあるしね」と言った彼は、壁に貼りついた一枚の紙を指さす。とてもシンプルに彼の目標の縮図が描かれていた(写真)。
帰り際、やはり気持ちとしてお礼を渡すことにした。
「いろいろありがとう。これでお母さんに薬を買ってあげるといいよ」
だけど、ジャクルはそれを受け取らない。
「ありがとう。でもこの世界には、もっと困っている人がいるだろう。分かるかい?」
他人の痛みを本当に理解できる者は、偽りなく他人に優しくなれるのだと思った。たとえ自分の家族が犠牲になっているとしても。なぜだろう。それは実際に過酷な状況におかれ、その痛みを知っているからだろう。そんな人の心は、決して貧しくはない。器が大きくて豊かで寛容だ。それに比べて、安全安心な場所で不自由のない生活をする私の心は、鈍感で無頓着になりつつある。たとえ他人の痛みに共感できたとしても、そんな鈍感な心では、それを完全に理解することは不可能だ。実際の痛みは、その痛みを味わった者にしか分らないからだ。例えば、戦争や紛争、震災などで故郷と家族を失った者の痛みは、被害を被った本人にしか分らないように。私は戦争をテレビやネットで離れた場所から知ることができるが、ミサイルの直撃を受けたことは、良くも悪くも残念ながら、まだない。
翌日。別れの日。線路の周りに生えた青々とした雑草をヤギと牛がもしゃもしゃと食べている。鉄道がそこを通ることなど微塵も感じていないようだ。人々も線路の上をのんびりと歩いている。都電の線路を歩く人をよく見かけた約35年前の東京の情景をふと思い出していた。生活の利便性が今よりも劣っていた当時、私は線路を歩くことが好きだった。でも今は歩くことができない。それは安全で理にかなっていると思うけれど、それが必ずしも人の幸せにつながるとは限らないと考えられるようになっていた。ジャクルと出会った夜に出せなかった答えを見つけた気がした。それだからか、ミャンマーとの国境近くの町クトゥパロンに行ってみようと思った。そこにはロヒンギャの難民キャンプがあるからだ。彼らの現状を知りたいと思った。
深緑色に塗られた重厚な鉄道に乗り込む。いかにも堅そうな座席は満席だった。デッキにバックパックを置き、開きっぱなしの出入口近くにもたれかかる。やがてゆっくりとその鉄の塊は動き出す。徐々にジャクルの姿は視界から消えていった。鉄道はジャクルが与えてくれた大切なものを、次の町へと運んでいく。
2018年5月に訪れたバングラデシュの旅で偶然に出会った、現地の若者ジャクル。アジアの最貧国とも言われ、近年でも政治的混乱や自然災害に悩む当地で、ジャクルに出会って浮かんだある問の答えを、その家族との束の間の交流の中で見つけ出す。
・旅の風景が立ち上がってくる素晴らしい描写力に圧倒される。さらに、旅人である筆者の心理描写が秀逸であった。構成力、表現力が群を抜いて素晴らしい。
・異国で出会った人の人生観に触れ、幸せは何か、あらためて思いを巡らせる旅人が、次の目的地を見出すラストシーンが強い印象を残す。
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