宮森 庸輔(旅先:バングラデシュ)
今日は朝から雨が降っている。台風20号の影響だろう。時折激しく降る東京の雨を眺めていると、あのカステラの味がよみがえる。湿り気がなくパサパサとして、素朴な甘い味。決して忘れることのできない味。心に響く味。雨が降るたびに思い出す。ジャクルとの出会いと共に。
ジェッソール、バングラデシュ。2018年5月。雨季の始まりの季節。生温かい大きな雨粒が額に当たった。道行く人々は静かな足取りで、目についた軒先に避難し始める。徐々に雨足が強くなる。サイクルリキシャのドライバーたちは、次々と客を降ろしていく。そして我々と共に同じ時間を過ごす。やがて未舗装に近い側道は冠水して、茶色い泥水が悠々と流れる。
時間を気にしている人は誰もいない。皆そこに茫然と立ち尽くし、どんよりと曇った雨空をただじっと眺めている。そして見ず知らずの人と何かの会話をし始める。先を急ごうとする者は誰一人としていない。彼らはその時を楽しんでいるようだ。時間の無駄ではないのだ。最近感じることのなかった心地よい豊かな時間が流れる。ふと懐かしさを覚えた。電波がつながらず使い物にならないスマホを無意識に見ている時、恥ずかしながらそのことに気が付いた。そしてスマホをカバンに放り、ぼんやりと雨空を見上げた。
「この雨が降らなかったら、君と出会わなかっただろう」
早口でインド訛りの英語。激しい雨音のせいで、その声は聞きづらい。隣に橙色のシャツを着た青年がいる。現地人にしては珍しくサンダルではなく、白い靴を履いている。それだけで私は、裕福な家庭に育ちしっかりと教育を受けたインテリの若者なのだろうと思ってしまった。
「俺はジャクル。君はこれからどこへ行く?」
「ただ町をあてもなく歩いているだけだよ」
「じゃあ、俺もついていく」
「これから予定があるんじゃないの?」
「そんなの構わないさ」
20分ほどで雨はあがり、気温が上がる。むっとした空気が漂う。東京の夏に似ているが、誰もスーツなんか着ていないし、汗やゴミや動物などのいろいろな臭いが漂う。道には人や車が溢れていて、よそ見をしていると、それらに衝突しかねない。ジャクルはすいすいと慣れた足取りで前に進んでいく。白い靴は白いままだ。
「アッラーフアクバル」と突然、町中に響きわたる。イスラム教徒に祈りの時を知らせるアザーンだ。これからマグリブ(日没)の祈りが捧げられる。多くの人々は点在するモスクへと消えてゆく。飲食店の店員は、入口を覆った黒い布を取り払う。本日のラマダーンが明けたサインだ。ふわりと脂っこい甘い匂いが風に乗る。
その匂いに釣られたのか、ジャクルは私の腕を掴んで店に入る。青い皿が2つ運ばれてくる。数種類の揚げ物、豆、皮を剥かれたキュウリが載った断食明けの食事(イフタール)だ。添えられたスプーンを使わず右手で摘まんで食べる。単調な味だ。揚げ物は口のなかの水分を吸い取る。すかさずキュウリを食べる。最後にたっぷりとシロップのかかった揚げ物に挑む。脂っこく、甘すぎた。べとべとになった手を洗いに席を立つと、店内は礼拝を終えたムスリムでごった返していた。勘定は既に支払われていた。私が差し出した100タカ(約130円)をジャクルは受け取らなかった。
街灯もまばらな薄暗い道を歩く。どこへ向かっているのか分からない。町の中心地から少し離れると人の熱気は薄れ、心地よい夜風が吹く。しばらくしてジャクルは半開きの鉄格子の門を開き、手を招く。
「君の家?」
「まさか」
うっすらと街灯に照らされた芝生が広がる。その奥に建物が見える。左右の尖塔は、赤と青のライトで怪しく光る。ライオンの像に挟まれた入り口で裸足になり、中に入る。
「ここはラーマクリシュナ・ヒンドゥー寺院」
「君はムスリムではないの?」
「ヒンドゥー教徒。ここに毎日来てお祈りしてる」
「でも、さっきなぜイスラム教のイフタールをご馳走してくれたの?」
「君によい旅の思い出が残るように。ところで君は何を信じている?」
「特に頑なに信じているものはないよ。キリスト教の幼稚園に通って、結婚式は神前式だったし、死ねばおそらく仏教のお墓に入る。日本人はそういう人が多いんだ」
「ラーマクリシュナの教えに似ているな。世界にはいろんな宗教があるけれど、彼は自分の信じるものを信じればいいと悟っている。簡単に言えば」
ジャクルは手を合わせて瞑想する。私もそれに従う。目を閉じても、何も思い浮かばない。信じるものが思い当たらなかった。
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