NPO法人 佐渡芸能伝承機構(新潟県佐渡市)
日本海に浮かぶ新潟県佐渡島は、国際保護鳥トキや世界遺産登録を目指す金銀山とともに、「芸能の島」としても知られています。全国的な知名度を得た民謡「佐渡おけさ」をはじめ、島内に30か所以上が現存する舞台で上演される能のほか、集落単位で行われる鬼太鼓など豊富な民俗芸能が現在も伝承されています。なかでも鬼太鼓は、島内の約半数にあたる120以上の集落(地区)で継承されており、年に1回の例祭のほか結婚式などの慶事、観光客向けの各種イベントなどで上演されます。
鬼太鼓は基本的に集落の住民によって代々継承され、集落ごとに舞や太鼓のリズム、衣装に多彩なバリエーションがあり、一つとして同じものはありません。そのため島民にとっては、佐渡を代表する伝統文化であるだけでなく、自らが暮らす集落のアイデンティティそのものとなっているといっても過言ではありません。
年に1度の祭りでは、鬼太鼓が集落の一軒一軒の家を「門付け」して回ります。それぞれの家の玄関や庭先で厄除けや豊作祈願のために鬼が舞い、迎える家では郷土料理も含めたご馳走やお酒を用意して鬼太鼓を待ち、上演後にはそれらを振る舞います。同じ集落で暮らしていても普段は職場や学校との往復で顔を合わすことのない人々が一堂に会するだけでなく、祭りのために故郷へと帰ってくる人も少なくありません。祭りを通じて佐渡の人々は、自分たちが暮らす地域への愛着を一層深め、継承してきた文化の価値を再確認しています。このように過去から現在へと受け継がれてきた祭りと芸能は、佐渡に暮らす人々にとって自らが暮らす地域を支えてくれるかけがえのない存在であり、文字通り宝物となっているといえます。
全国的に進行する少子高齢化の問題は、佐渡においても深刻です。とりわけ離島という地理的条件は、若年層の島外流出を一層進行させるとともに、移住者の誘致においても大きな困難となっています。人口の減少傾向に歯止めがきかず、昭和35年には11万人以上であった全島の人口は、平成27年には約5万7千人と半減しています。自然減と社会減を合わせ現在では毎年約1000人ずつ減少している状況です。また住民票があったとしても、島内外の病院や介護施設で暮らす人も少なくなく、全島で空き家の問題も深刻です。
このような状況は、地域で暮らす人々によって継承されてきた芸能の担い手不足に直結します。かつて多くの祭りは、10代後半から20代の若衆(青年団)によって担われてきました。しかし現在もそれを維持している地域はほとんどありません。多くの地域では、青年団の引退年齢を40代以上に引き上げたり、子供から高齢者まであらゆる世代が協力したりすることで何とか維持しています。しかし残念ながら、それでも人手不足を補えず、ついには代々受け継がれてきた祭りと芸能の継承を断念せざるを得ない集落も存在しています。
佐渡において祭りと芸能は、単なるイベントではなく、そこで暮らす人々のアイデンティティであり、人々をつなげる地域の「要」です。その継承が途絶えることは、ただ年中行事が一つ減ることを意味するわけではなく、その集落の暮らしそのものが根本から消滅の危機に瀕していることを示すものです。言い換えれば祭りと芸能が途絶えてしまえば、地域への誇りやアイデンティティも失われ、そこで暮らす人々はもちろん島外へ出ていった出身者とのつながりも失われてしまうことになります。その意味で祭りと芸能の継承は、地域の元気度を測るバロメーターであり、佐渡において地域活性化に向けた最重要課題ともいえるのです。
本NPOの設立目的ならびに今回応募する取り組みの目的は、一言でいえば佐渡で暮らす人々にとって「宝」である祭りと芸能を未来へとつなぐことです。そのために、人口減少が進む佐渡の集落で暮らす人々と島外の大学生との交流の場を創造することで祭りや芸能の現在を活性化し、地域が過去からつないできた伝統を未来へと継承していくことが取り組みの目標です。
本NPOの取り組みはすべて佐渡に伝わる民俗芸能を未来へと継承していくことにつながっています。なかでも現在中心となっている事業について以下説明します。
担い手不足に悩む佐渡島内の集落と地域連携活動や民俗芸能に関心を持つ大学を結びつけることで、祭りの賑わいを取り戻し、担い手不足を解消することを目的に行っています。これまで鬼太鼓や能などの芸能を通じて海外も含め10大学以上が15集落以上の祭りに参加しています。以下では10年以上取り組みが継続している3つの集落・地区について説明します。
佐渡市高千地区は島の表玄関両津港から車で1時間半以上を要し、島内でも交通の便が悪く高齢化が最も進行している地域です。海岸段丘の断崖絶壁が折り重なる外海府海岸沿いに12の集落が点在し、うち7つの集落にバラエティに富んだ芸能が継承されています。この地区では、2003年から毎年8月13日に「夏の彩典 たかち芸能祭」が開催されています。この催しは、お盆に帰省してきた高千地区出身者や観光客に故郷の祭りを一度に見てもらおうという想いから地元の若手有志によって立ち上げられました。
たかち芸能祭には、2009年より神奈川県にある相模女子大学の学生が毎年参加しています。学生たちは、4日間程度の短期間ながらも地域の人々から芸能を習い、8月13日の「たかち芸能祭」本番では観客の前で披露します。初めて会う女子大生、しかも芸能祭当日には人前で披露しなければならないため、教える地域の人々も学生たちも緊張感をもって真剣に取り組みます。学生は集落で自炊生活を送りますが、まさに寝る間を惜しんで稽古の毎日です。ただ、その真剣な姿が地域の人々にとって自らが伝承してきた芸能の大切さを再認識するきっかけとなるとともに、伝承していくことの重要性を確認する場となっています。期間中、夜の公民館からは太鼓の音が鳴り響きます。そうすると、女子大生見たさの集落の人々はもちろん、帰省者たちも懐かしい鬼太鼓のリズムを思い出して集まってきます。この取り組みが始まって以来、地域の人々からは「毎年が楽しみ」、「高千の夏がこれまで以上に熱くなった」などと言った声を聞くことができました。
佐渡市豊岡集落は、両津港から車で約1時間、30軒ほどの小さな集落です。毎年4月初め頃の日曜日に行われる祭りは、かつては村の若い衆で賑わっていましたが、現在は小学生もおらず、集落の中心となる「若手」が50代2人と少子高齢化の極みともいえる場所となっており、祭りはまさに存続の危機にあります。
この豊岡の祭りには、2009年より新潟大学教育学部の音楽教育専攻の学生たちが参加しています。春休みを利用して稽古を行い、祭り本番には神社での奉納から集落各戸への門付けまで学生たちが集落の人々ともに鬼太鼓を舞います。学生たちの参加によって祭りの継承が可能になるだけでなく、高齢者が多い集落にいつも以上の賑わいがもたらされます。また人手不足で途絶えていた大獅子が、大学生の参加によって久方ぶりに復活しました。さらに学生たちは卒業後も祭りを訪れたり、お盆時期には学生主体の「夏まつり」を開催するなど集落の人々と濃密な深い交流を継続して行っています。
佐渡市黒根地区は、戸数わずか12軒と島内でも最も小さな集落の一つです。両津港からも遠く人口減少に歯止めはかかっていません。この集落で毎年10月体育の日の前日に行われる祭礼には、2008年から新潟大学、2011年からは上越教育大学の学生が参加しています。舞い手の鬼と太鼓だけでなく笛など様々な役が存在するこの地区の芸能には、多くの人手が必要とされます。学生たちはそれぞれの役割を集落の人々から習い、祭り当日は集落の各戸を門付けして回ります。10年以上が経過した現在では学生たちの参加なくして祭りは盛り上がりません。
この他にも以下の大学の学生がこれまで島内各地の祭礼への参加や芸能体験を行っています。
(パシフィック大学(アメリカ)、首都大学東京、東海大学、東京学芸大学、獨協大学、新潟大学農学部、新潟国際情報大学、一橋大学、武蔵大学、立教大学、早稲田大学)
島内120か所以上で伝承されている芸能を映像化する事業を継続して行っています。万が一継承が途絶えたとしても、後の世代がその映像をもとに民俗芸能を復活させることができればと願っています。
首都圏をはじめ島外で行われる各種イベントに芸能団体が出演するきっかけづくりを行っています。島外の公演は芸能の担い手にとって楽しみであるだけでなく自らの文化の価値を再認識させる機会になっています。またテレビや雑誌等各種メディアの取材にも対応しています。
依頼に応じて島内の学校や企業などで佐渡の民俗芸能の意味や価値を伝える講演や、鬼太鼓をはじめとした民俗芸能の歴史や伝播について考えるシンポジウムの開催などを行っています。
上記の活動を通じて、交流人口を創出しながら地域の「要」であり「宝」である祭りと芸能の伝承を目指す取り組みを継続して行っています。
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