松岡 幸三
病気を持っている自分にとって不安がないわけではなかった。しかし、多くの友人が待っていると思うと、その不安を払拭出来た。このソウル旅行は前の年以上の収穫があった。初めてのソウルは私にとって、「不思議の国のアリス」になった気持ちだった。しかし、日本人の友人は空港まで来てくれ、ほぼ全行程を一緒に案内してくれた。彼女は現在韓国の某大学で日本語を教えていた。彼女の案内で、ソウル市内の観光や移動が自由に出来た。そればかりでなく、3人のために買っていった土産を手早く3等分して、誰にも、同じ物が入るようにしてくれた。男の私には、そんな気遣いはとても出来なかった。夕方には韓国人の友人が合流した。彼女は日本人女性の友達でもあり、ソウルで日本語を教えていた。最初の釜山旅行でも通訳もしてくれたので、3人で再会の喜びを分かち合った。私が夕食に
「サムゲタンを食べたい」
と、言うと彼女はすぐにソウルの名店に連れて行ってくれた。そこへ行く途中にも、
「あれが市役所だ」「あれがハングルを作った世宗の像だ」
と案内してくれただけでなく、店への電話予約やタクシーの手配もしてくれた。夕食後の買い物にも2人は付き合ってくれ、
「こんな柄が似合うと思います」
と、服の見立てもしてくれた。こんな経験は結婚した頃家内からしてもらって以来だった。
2日目は日本人の友人の電話で目が覚めた。
「ホテルの外まで来ているので、ロックを解除してくれ」
という内容だった。その日の午前中は彼女の案内で、徳寿宮(トクスグン)へ行き、儀伎兵の交代を見ることが出来た。日本で見ていた、韓国の時代劇に出てくる格好をした人達や韓服を着た中学生達と一緒に写真を撮ることも出来た。徳寿宮の中にある静かな池のそばの休憩所で、休んだ時、彼女は
「今日の記念です」
と言って綺麗なノートを1冊買ってくれた。そのノートは、韓国風の美しい物だった。今は、私の周囲の人に、名前と好きな言葉を書いてもらい、人との繋がりを大切にするために使っている。そして、今でも私のカバンの中にあり、新しい人との巡りあいを待っている。
その日の昼食は、先に述べたギリシア人女性から
「教会で、世界フードフェスティバルが行われているのでそこで会おう」
という連絡をもらっていた。日本人の友人が連絡をとってくれ、地下鉄をいくつか乗り継ぐと指定の駅に着いた。ハングルで駅名を書いてあるため1人ではとても行けなかった。ギリシア人の友人は満面の笑顔で初対面の私達を迎えてくれた。私達は彼女の案内でギリシア正教の教会に行った。彼女は自分の周囲の人を紹介してくれ、私達のために、食券も用意しておいてくれた。私達は紹介されるままにトルコ料理のブースで、シシケバブを食べた。SNSで知っていても、やはり実際に会うことに勝るものはない。
教会見学や昼食が終わると、そのギリシア人の女性は私達をDDP(東大門デザインパーク)へ連れて行ってくれた。東大門の地下鉄駅から表に出た時、その迫力に圧倒され、私は思わず大声で叫んでしまった。最近出来たばかりというDDPはまさに近未来空間であった。中には博物館や美術館のほか、喫茶店なども備わっていた。「癒し」をテーマにつくられたこの建物の外見は、まるで大きな宇宙船のようであった。中の長いスロープは照明を抑え、所々に置いてある椅子はSF映画に出てくる物のようであった。その中の喫茶店へ韓国人の友人を待ち、4人で今まで経験したことがない愉しい時間を共有した。英語から長い間離れていたが、その場になると何とか言葉が出てくるものだということも分かった。ギリシア人女性は私のために高価なギリシアコインと高級チョコレートを準備しておいてくれた。別れ際に彼女はお互いとハグをしてくれた。まさか、60歳を過ぎて、青眼金髪の美女からハグされることは、考えてもいなかった。私は目を白黒させたさせるばかりだった。
別れ際に彼女達から
「今回行った所はソウルのほんの一部です。次回はもっとたくさんの所をご紹介します」
と言われた。その言葉に押され、小遣いを少しずつ貯めて、今年の秋もソウルヘ旅行をすることにしている。前年以上のソウルでのもてなしに感動した私は、帰ってからフォトブックを作り3人へ贈った。
私達障害を持つ者はどうしてもリスクのことばかり考えて最初の1歩を踏み出せないでいる。この韓国旅行は、日常生活にも影響を及ぼす。自分で最初の1歩を踏み出せた時、世界は広がり、アグレッシブな生き方が出来るようになった。韓国への旅を始めて、不思議なことがある。それは、帰ってからの病院の諸検査の数値が、全ていい方向に変化しているということだ。病気は「気を病む」と、書くように、日本では、気づかないうちにストレスが溜まっているからではないかと思う。そして、旅行こそ「非日常」を味わうことが出来、気分もリフレッシュ出来る。この、韓国旅行がなかったら、日常生活でも、私は背中も曲がり、 新しいことへ挑戦しようなどと思わなかったであろう。最近は周囲の人達から
「どんどん若くなっていきますね」
と、言われるほどだ。
また、1つの大きな発見として、どんなに文化や習慣が違っていても、同じ人間である限り、喜びや、悲しみの感情の部分は殆どの面で重なるということだ。多くの場合、我々は民族の性格を必要以上に その違いを強調するが、民族が異なっても殆どの人は相手に対して親切で思いやりがある。それに気が つき、日本に住む身近にいる外国人とも積極的に友達になれるようになった。このような世界の広がりを感じることが出来るようになったことにも感謝したい。
私がこのような広がりを持つきっかけを作ってくれた、バスの中で会った女子学生は、大学を卒業し、今年の2月、日本へ遊びに来たのだ。2人は再会を喜び、私は出来る限りのことで彼女をもてなした。さらに今年の夏、彼女は1ヶ月間フィンランドヘ行き、サンタクロースと満面の笑みを浮かべて抱き合っている写真と、その経緯を書いた入ったカードを贈ってくれた。
彼女が「20秒間の奇跡」と言うように、私に声をかけるのに最初は、少しためらったそうだ。しかし、それを乗り越えて、彼女が勇気を出して、声をかけてくれたから、その後の私を元気にし、更に今まで述べたような大きな広がりへと繋がっていった。そして物見遊山ではない旅の形を知ったのだ。
また、旅行は1人で出来るものではないということも痛感した。まず、家族の理解があり、病院の計らいもあり、旅行社の方にもお世話になった。昨年は明洞の近郊のホテルが適当だと聞いていた。旅行社の方は、そのプランを真剣に考えてくれた。
「それが旅行社の仕事」
といえばそれまでだが、本当に親身に探してくれた。旅行の後、代理店のガラス越しに、その人が見えたら感謝の言葉を述べようとしたほどだ。
前向きになった私は今年の秋もソウルを訪問する準備を進めているが、今年は最初に声をかけてくれた友人と一緒に行きたいと思っている。今年はどんな旅になるだろう。
旅行をきっかけに、病気も回復傾向になった作者。現地の大学生と現代らしいSNSを通じた交流とともに旅の効用や周囲から受ける協力への感謝が語られている。SNS交流が熟年層でも身近になって広がっている体験で旅行の感動が感じられる。
●読後感がさわやか。善意に会いながら楽しい旅を体験することによって、透析をしながらも繰り返し旅に出る意欲や周囲への 感謝が伝わる内容。
●旅先で現地大学生と出会い、メールやSNSによって国境を越えて立体的に人々とつながっていく内容が新鮮。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。