JTB交流創造賞

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交流創造賞 一般体験部門

第12回 JTB交流創造賞 受賞作品

優秀賞

20秒の奇跡

松岡 幸三

私は人工透析を受けている。数年前その宣告を受けた時は、旅行好きな家内と計画したタイヘの家族旅行も断念し、趣味の水泳も禁止された。当時高校の教員をしていた私は出張も、ほかの人に変わってもらっていた。それ以来旅行は私にとってタブーだった。

しかし、60歳で定年退職すると、人工透析は続けたが、私の健康はだんだん回復していった。そし て、月に一度は居酒屋で飲むことも出来るようになった。毎回私のことを気遣いつまみや、飲酒の量も、気にしてくれる友人が一緒だった。その友人は某短期大学に退職後再就職していた。3年前のある日、彼は私に「釜山に旅行に行かないか」と、言った。その友人にとっても、人工透析をしている私を誘うのは勇気がいったはずだ。しかし私はすぐに承諾し、人工透析の日を1日ずらしてもらい、韓国の釜山へ2泊3日の旅行へ出かけた。深く考えなかったが、その友人の一言はそれからの私のターニング・ポイントになっていた。

私を含めて5人の釜山旅行の2日目に、夜行バスに乗った。私は1人の席についた。外は暗く、到着までの1時間がやけに長く感じた。しかし、そんなことを忘れさせる出来事が起こった。 隣に韓国の女子大生が乗ってきたが、私は韓国語が全く分からないから、彼女に対応出来ず、つまらなそうに手元のものをいじっていた。すると品のいい彼女は、スマートフォンを取り出し、私に見せた。それには

「何か困ったことがありますか」

と、書いてあった。お互いの言葉は分からなかったが、それをきっかけに、日本から来たこと、その日は海岸へ行ったことなどを英語や漢字で伝えた。そして、彼女は

「そこは私の故郷です」

と言い、今は釜山の美術大学へ帰る途中だと伝えてくれた。そんなやりとりのあと、私は彼女のスマートフォンに、facebookと書いた。すると、彼女は、携帯電話番号とパスワードを入れるように言った。言われるままにすると、私のページが表れた。

「友達申請してもいいか」

と、笑顔で聞いたので、すぐに承諾した。こうして1時間のバスの旅は、たちまち過ぎた。  その2泊3日の旅行が終わり、家に着くと彼女からの友達申請が届いていて、返事を書くと、すぐ次のメールが届いた。こんな、エキサイティングなやりとりをしたのは初めてであった。これが私にとって初めてのチャットだった。その日の最後の言葉は彼女のいたわりの言葉だった。

「旅行から帰ったばかりで疲れているでしょうから、またあした」

と。次の日に改めてきちんと自己紹介をしてメールの交換をした。何日目かに彼女から、

「先生とお話を続けさせてもらっていいですか」

とあった。私は、

「お互いに年齢も習慣も言葉も違うので、失礼があるかもしれないがそれでもいいか」

と返事を返した。ちょっとした言葉の行き違いで、関係が駄目になったことがあるからだ。彼女はすぐにその条件でメールの交換がはじまった。お互いパソコンの翻訳機能を使ってのメール交換だった。彼女の紹介で韓国の大学に留学している、多く海外の大学生とのメールの交換も始まった。特にその中でもギリシア人留学生とは気が合い、3人のグループを作ってくれた。最初、私は英語を長い間勉強していなかったので、ギリシア人の友人とメールを交換することは抵抗があった。しかし、彼女は

「英語は私にとっても外国語です。私も正確でないことがありますから、がんばって続けて下さい」

と言う言葉に励まされて、交信を続けることになったのだ。この2人とのメール交換はほぼ毎日続いた。私には3人の息子がいるが、3人とも手を離れている。そんな私は海外に、まるで2人の娘が出来たような気持ちだった。しかし、それはまだ変革の序章だった。

1つ残念なことがあった。それは彼女と一緒に撮ったただ1枚の写真が入ったデジカメを韓国で紛失してしまったことだ。そのこともあり、次の年に再び釜山に1人で出かけた。前の年に行った方法で、ホテルも同じ所を予約した。韓国語もしゃべれないのに1人旅をするというのは、前回以上に、無謀な旅であった。彼女は港に黄色い紙を持って迎えに来てくれた。釜山でのスケジュールを準備していて、最初彼女は自分の大学に連れて行った。広い大きな美術大学で、それぞれの建物もユニークなデザインをしていた。 その日の昼食は、大学の学食で食べた。彼女は記念として大学の名前が入った置き時計を買ってくれた。彼女の案内で甘川文化村、チャガルチ市場、市民公園、ショッピングになどに出かけた。いつも私を気遣い、急斜面は手を引いてくれたりした。まるで夢のような2泊3日の旅であった。

この旅行は、40歳も年齢の離れている海外の女学生と友達になったことだけではない。それまでの観光中心の旅から人と触れ会う旅の醍醐味を教えてくれたのだ。

「1人でも行動出来る」ということに自信を持った私は次の年(昨年)の秋も、ソウルヘの1人旅に出ることにした。残念なことに彼女は来ることが出来なかった。しかし、今回迎えてくれたのは韓国在住の日本人、韓国人、ギリシア人の 3人の女性達だった。お互い自分の時間を工面して、交代で私を案内してくれた。みんな気持ち良く私を迎えてくれ、お互いどうしもすぐに仲良くなった。

※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。

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