中村 実千代
「花の香りがする。」
夫の声に、うっすらと目を開け、辺りを見回した私の鼻先に、甘い花の香りが漂ってきた。
「何の花かしら……。」
電車のドアの向こうに目を遣ったが、既にドアは閉じられて、花の在りかを確かめることは出来なかった。過ぎて行くホームの片隅に、黄色い小花を付けた木が風に揺れていた。
昨日は、房総の突端の宿に泊まった。その宿は、数年前に訪れて、景観の素晴らしさと海の幸に溢れた料理と、宿のスタッフの心遣いに感動し、それから度々訪れていた。昨日も今日も天候に恵まれ、電車から見える初夏の海は、真っ青に煌いて、家々の屋根の上に、ゆったりと広がっていた。
このようなのんびりした景色は、電車の旅だから味わえるものだろう。私は、この旅が実現するまでの経緯に、一人、思いを馳せていた。
私達夫婦は、宿まで車で出掛けていた。我が家から数百キロメートルも離れた宿までは、首都高を通らなければならず、混雑していると、七、八時間は掛かることも珍しくなかった。しかし、運転を苦にしない夫は、途中で、気に入った寿司屋に寄って昼食を食べるという贅沢な楽しみもあって、車でしか行かないと決めていた。もちろん、その方が楽だった。隣に座っていれば、夫が宿まで連れて行ってくれる。少しくらい時間が掛かっても、窓外の景色をのんびりと眺めていれば平気だった。
ところが、昨年辺りから、夫の運転が、何やらあやしくなってきた。ナビの画面が良く見えない、光が眩しくて、トンネルに入る時に良く見えないーと言い出したのだ。視力に、異常が出始めた。医者に行くと、白内障だとの診断を受けた。
医者は手術は勧めなかった。まだその段階ではないのだろう。夫は、近くへは平気で運転をして出掛けていた。ところがある日、散歩に行くと言って、車を運転して行ったが、縁石にぶつけて、タイヤと前部を破損して帰って来た。その後は、運転を止めた。車の損傷だけで済んだから良かったが、もし、人でも撥ねてしまったら、取り返しが付かないことになる。
車の運転が出来なくなると、宿までは行くことが出来ない。電車で行くことも考えたが、何回も乗り換えがあるので無理だった。夫は足腰が弱くなり、長い時間は歩き通せないのだ。駅のホームを歩き、階段を上ったり下ったりすることは、難しいだろう。
「もう、あの宿へは行けなくなったね。」
「そうだな。行けないなあ。残念だな。」
夫も私も、気落ちした。あの宿へ行くことは、二人の「幸せ」だった。子どもの居ない私達は、旅をすることが唯一の楽しみだった。決して豊かでは無い暮らしだったが、一年に数回の旅は、家計をやり繰りしながら貯めた特別会計なる名称のお金で、存分に楽しんだ。
「ああ、行きたいなあ。あの宿は、私の生きがいだもの。」
今まで、色々な宿に行ったが、景色と食べ物と宿のサービスの三拍子が揃った宿は、なかなか無かった。やっと見つけた理想の宿だった。そこに行けなくなるということは、これからの生活で、唯一のオアシスが無くなることと同じだった。
私は、旅という楽しみが消えるということがこんなに淋しく、張り合いの無いものなのかと痛感し、毎日気落ちして暮らした。そんな気持ちを察してか、ある日、夫が、何とか頑張って歩くから、電車で行ってみようと言い出した。その言葉に元気付けられて、インターネットで、宿までの行程を調べてみた。
乗り換えは三回あった。その中で一番大変そうなのは、東京駅だった。夫の体を考えると、指定席を選ばれなければならない。そのためには、房総までは特急を利用することになる。しかし、その特急は、一時間に一本しか出発しない。もしもその電車を逃したら、一時間も駅で待たなければならないのだ。東京駅での移動時間を考えて、余裕を持って乗り換えが出来るように、最寄りの駅を出る新幹線の時間を調べ、予約をした。
出発の朝、ウキウキとした心を抑えられなかった。二度と行けないと思っていた宿に、やっと行けるのだ。真新しい洋服を着て華やぎ、夫を励ましながら、新幹線に乗った。
ところが、東京駅で事件は起きた。特急の出るホームが分からなくなってしまったのだ。私が思い込んでいた電車のホームには、乗るはずの特急は無かった。ベンチに座り込む夫を気遣いながら、表示をきょうろきょろと見回した。どの表示にも、乗るはずの特急列車の名前は無かった。私は、顔面蒼白になって、走り回った。
特急の出発時刻まで、もうあと二十分しか無かった。泣きたくなる心をぐっと我慢した。夫に表示の話をしても、その表示の文字が見えないのだから、頼ることは出来ない。特急に乗れなかったら、次の乗り換えの電車の時刻も分からなくなってしまう。自分の迂闊さに呆然とした。なぜもっと良く調べてこなかったのか。電車で旅をすることが無く、いつも夫の運転に頼っていたから、こんなことになってしまったのだ。
その時、停まった電車から、乗務員さんらしい女性の方が下りて来た。呼び止めて、特急電車の名前を告げ、どこのホームに行けば良いのかと訊いてみた。するとその人は小首を傾げた。良く分からないと言う。ただ、このホームでは無く、他のホームではないかと言った。急いで夫を促し、教えてもらったホームへの方向へと歩き出した。私達が階段を下り切った所で、その方は追い掛けて来て、やはり、先程言ったホームですーと重ねて教えてくださった。
夫は、長く歩いたり階段を上り下りしたりしたので、疲れ切っていた。私は、駅の構内で、早く特急電車のホームを見付けようとして歩き回り、夫の姿を見失い愕然とした。夫は良く見えないのだから、私の姿を自分で見付けることは困難だ。そのうえ、駅の表示が見えなければ、このままはぐれてしまう。慌てて夫の姿を探した。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。