JTB交流創造賞

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交流創造賞 一般体験部門

第12回 JTB交流創造賞 受賞作品

最優秀賞

ゴールデン・テンプル

岡 拓実

うれしかった、というとありきたりな表現だが、本当にうれしかった。すっかり好きになったこの食堂の一員として手伝わせてもらうこと。そしてそれ以上に、やっと「インド」の仲間に入れてもらえた気持ちがしたのだ。ここまで、旅で出会った人に親切にされたときはもちろんうれしかったが、それはあくまで「観光客」としてもてなしてもらっているに過ぎなかった。だが、旅の最後でのこの瞬間、「インドの一員」として受け入れてもらえたように感じた瞬間は、特別なものだった。

厨房から出て、並んで座っている客のもとへ行った。バナナはヒンディー語で「ケラ」というのだと聞き、「ケラ、ケラ、ケラ」と連呼しながら配っていった。彼らにとって、外国人を見るのも珍しいのに、その外国人が食堂でバナナを配っている姿は異様なものだったであろう。僕を見てみんな笑った。恥ずかしくも、楽しかった。

空になったカゴを持って厨房に帰っていくとみんなが親指を立てて「グッジョブ」とジェスチャーしてくれ、次はこれだとミルク粥の鍋を渡された。これまたとんでもなく重かった。これは「キール」というらしく、今度は「キール」と連呼しながらお椀でよそっていった。

腕が悲鳴をあげていて、早く軽くしようとどんどんよそっていったが、そんな重みすら心地よかった。

食堂には1階と2階があり、数時間ごとで交代に営業し、休んでいるほうは次の営業に向けて準備をする。夢中になって働いている間に1時間ほど経ち、僕が働いていた1階の営業が終わった。すごく疲れていることに気づいたが、達成感があった。

客がいなくなると、働いていた人たちが絨毯に座って集まり、チャイを片手に一休みしていた。彼らが僕を呼んだ。僕が輪に入って座ると、最初に僕を厨房に手招きした男がチャイをコップに入れて渡してくれた。彼は都市部出身らしく、このなかで唯一英語が話せた。

「この食堂は500年前から無料で食事を提供してきたんだ。365日、24時間営業でね」彼は誇らしそうに言った。

500年365日24時間!

「すごい。あなたはここでずっと働いているの?」

僕が興奮しながら言うと、彼はすぐに言い返した。

「違うよ。ここでは巡礼にきた人が好きなときに有志で手伝うんだ」

合わせて300人近くの人が一緒に調理し、配膳し、食器を洗うが、彼らは好きなときに手伝って好きなときに抜けるらしい。

協力しあって成りたっている。共に働いて共に食べる、理想郷のような世界だが、こんなのは共産主義という名で何度も試みられて失敗したはずじゃなかったのか。ここではそんな美しい日常が500年間絶え間なく続いている。大学生になり、ファストフードやコンビニ食で1人でご飯を「すませる」ことも当たり前になっていたが、「食」という人の営みの原点を教わった気がした。

実を言うと僕がアムリットサルにこようと思ったのは、それがよく知っている地名だったからだ。高校時代、世界史の授業で「アムリットサル事件」を習ったからだった。イギリス植民地時代の1919年、イギリスの弾圧と強引な法律制定に対して、インド人市民が黄金寺院の脇の広場に集まり抗議集会をした。イギリス軍は見せしめのために彼らに発砲し、虐殺した。死者379人、負傷者1000人以上。武装もしておらずただ集会にきた市民たちだった。銃弾を逃れるために彼らが飛び込んで自殺した井戸は今でも残っている。

1984年には、当時の首相に対するシク教徒の反政府運動を鎮圧するため、首相の命令によってインド軍が黄金寺院に戦車で突入し、数百人の死者が出た。

弾圧され、虐殺され、自由を奪われ、歴史に翻弄されながらも、この穏やかで平和な「大きな団らん」が現在まで守られ続けてきたことに感動した。

きれいなベージュ色をして湯気をたたせていたチャイを一口飲んだ。甘くて、でも甘いだけじゃなくスパイスが効いていて、香ばしくて、本当に美味しかった。熱かったがすぐ飲み終わってしまい、コップは空になった。

そばに座っていた僕と同世代か年下くらいの男の子がそれに気づいて、僕のコップを持ってチャイのやかんのところまで走って行った。そしてチャイをコップ一杯に注いで、また小走りに戻ってきて僕に渡し、僕の隣に座った。きれいで透き通った目で僕を見ながら微笑んでいた。

ありがとうと言おうとして、僕は泣いてしまった。なにも走らなくたっていいじゃないか。なんでそんなに優しいんだ。泣きながら2杯目のチャイを飲んだ。本当に本当に美味しくて、飲めば飲むほど泣けてきた。

19年間生きてきて、「幸せだ」とこんなにはっきり噛みしめたのは初めてだと思う。あのときは幸せだったと過去の幸せを思い出したり、こうすれば幸せになれるだろうと未来の幸せに思いを馳せたりするばかりで、今、目の前に転がっている幸せに盲目的だったのかもしれない。

今、僕は温かい人たちに囲まれていて、美味しいチャイを飲んでいる。幸せってこんな味か。「生きるって最高!」そう叫びたい気分だった。

どうして泣いているんだとみんな笑った。そしてみんな僕に「Thank you」と言った。外国からきて手伝ってくれてありがとうという意味だろう。けれど別に人手が足りないわけでもなんでもなくて、ただ僕がやりたかったから手伝わせてもらっただけだし、ひょっとすると不慣れな僕が入って邪魔だったかもしれないのに、それなのに彼らは僕にありがとうと言った。ますます泣いてしまって、恥ずかしかった。

「ダンニャバード」ありがとう、と覚えたばかりのヒンディー語で言うと、みんなはより一層笑顔になった。

彼らと別れを告げ、外へ出るともう夜だった。黄金寺院は夜の暗がりのなかでますます際立って輝き、昼にみたときよりまして美しかった。

概要と評価のポイント
【概要】

19歳でインドへの一人旅。現地での奉仕活動に参加することにより人々との言葉の距離が縮まっていく。インドの慣習と文化に溶け込んでいく作者は、現地生活の中から日本では感じる事の無かった幸福感を体験する。

【評価のポイント】

●19歳の若者がシク教(シーク教)の聖地という日本でもあまり知られていない土地を一人で訪れ、そこでの異文化体験を通して得た感動をいきいきと、映像的に描いている。若者が涙するほどの強烈な体験が感じられる文章。表現も斬新で素晴らしい。
●弾圧された歴史もある宗教的世界で、日本では感じる事の無かった「幸福感」の体験を臨場感のある表現で描いている。こうした体験は筆者の人生にも大きな影響を与えるだろう。

※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。

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