岡 拓実
あとになって「あのとき幸せだったな」と思うことは多いのに対して、「今、幸せだ」と噛みしめる経験はそう多くないと思う。
今年の一月、つまり大学生になって初めての冬、インドへ一人旅をした。一か月かけてインドを周り、旅の最後に行ったのがアムリットサルだった。インド北西部パンジャーブ州に位置し、パキスタンとの国境付近にある都市だ。
インド人にとってアムリットサルという場所は非常に重要な意味を持つ。ここはシク教の聖地であり、誰もが死ぬまでに行きたい場所なのだ。
そしてその象徴として旧市街に立つのが黄金寺院(ゴールデンテンプル)である。正午を過ぎた頃アムリットサルに着き、ホテルに荷物を置いてすぐに黄金寺院に向かった。全国からシク教徒が訪れる巡礼地でその日も賑わっていたが、僕のような観光客も、さらには他教徒も、巡礼を許されている。シク教徒の寄付金によって運営されているから入場料もない。
荷物を預け、ターバンを借りて頭を覆い、裸足になって手と足を洗った。巡礼のルールらしい。準備が整い門をくぐって場内に入ると、そこには一辺が120mほどの巨大な四角形の人工池があり、その池を白の大理石で統一された建築物と回廊が囲んでいる。そして、池の中心に金色に輝きながらそびえ立つのが黄金寺院だった。
光輝く黄金寺院を前に、しばらく立ち尽くした。場内には、手で叩く太鼓とアコーディオンのような楽器の音に合わせて、男性の美しい歌声が流れていて、その音楽が神秘的な空気を演出していた。黄金寺院は大まかに言うと立方体の形をしていて、純金箔で覆われ壁面まで細かく装飾されている。いろんな国を旅してきて、多くの美しい景色を見てきたつもりだったが、こんなにも美しく神秘的なものが世界にあったのかと驚いた。
僕は周りの巡礼者を見よう見まねで、回廊を歩いてその美しさをしばらく堪能してから池で沐浴し、橋を渡って黄金寺院のなかに入り祈りを捧げた。
そして巡礼を終えた者が次に向かうのが四角形の場内を出た隣にある「グル・カ・ランガル」だ。ここは巡礼者のための食堂。5000人が同時に食事できる広さで、一日10万人ほどが訪れ、なんと無料で食事を提供する。食堂の隣には宿もあり、巡礼者に宿泊場所まで無料提供している。すべて寄付金で運営されているのだという。
無料というのは驚きだが、さらに注目すべきは、「誰にでも平等に」提供することだった。インドと聞くと多くの人は「カースト制」を連想するはずだ。人間を4つのカーストに分け差別する、ヒンドゥー教に根付いた制度だ。法律上は撤廃された現在でも根強く残っている。
インドへきて最初に行ったヒンドゥー教の聖地バラナシでは、ガンジス川の岸で火葬をされる死体を間近で見た。だが、死者のカーストによって火葬されるときに着る衣装も、供えられる花の量も、燃やすのに使われる薪の量も差がつけられていた。小さな炎のなかで少しずつ焼けていく、一番低いカーストの痩せこけた死体を見て、最期くらい平等に葬ってあげてもいいじゃないかと悲しくなった。
また、カースト制のなかで観光客は最下層に分類される。僕自身インドの他の場所では、異物を見るような目で見られ、居心地の悪さに疲れることもあった。フレンドリーに話しかけてきたと思ったら金をせがまれ、僕が断ると汚い言葉を吐いて去っていかれたこともあった。
シク教は15世紀後半、ヒンドゥー教を批判してできた宗教だった。この食堂ではシク教も、他教徒も、観光客も、近くに居ついて食べ物目当てに通うホームレスも、すべての人が同じ床に座って食事をする。カースト制を否定し、平等を重視するシク教の教義が体現されているわけだ。
食堂の入り口で皿とコップを受け取って絨毯の上に列を成して座り、提供者が料理を持って回ってきて順番に盛ってくれる、という手順だった。絨毯に座り、まだかまだかと待っていた。僕なんかがここに座っていていいのだろうかと思って緊張していたが、緊張していることを周りに察知されたくなくて、わざと大きなあくびを作り出して慣れたような演技をした。
1分ほど待つと、大きな鍋を持った男がきて順番にカレーをよそってくれた。その後ろに続いた男がチャパティー(カレーと一緒に食べるパン)を配り、しばらくすると別の者がミルク粥を盛り、最後にバナナを渡された。皿が料理で一杯になった。
いただきます、と言いそうになったが日本だけの習慣だと思い出し、黙って手を合わせて食べ始めた。チャパティーをカレーにつけて、素手で食べる。正直なところ味は期待していなかったが、かなり美味しかった。そしてそれ以上に、数百人という人数が列を成して、無料で出される食事を一緒に食べている様は異様であり、感動的だった。
すべて食べ終わりおかわりを勧められ、ミルク粥が美味しかったのでおかわりを頼んだら、遠くからようこそと言わんばかりに特盛にされたのでお腹は一杯になった。
満足し、食堂を出ようとすると、出口のそばから厨房が見えた。小麦粉、シリアル、米、ミルク、砂糖やバター、調理用のガスボンベ。どれも何千キロという単位で置かれていて、見たこともない大きさの鍋が4つあった。約20人が厨房と食堂を行ったりきたりして、客に配膳しては補充しにきて、また配膳をしに行くという繰り返しだった。
興味深そうに覗き見していると、厨房のなかにいる男が僕に気づき、手招きした。背丈があり体格もよく、男らしい顔つきをした40歳頃と見える男だった。僕を呼んでいるのか。厨房に入っていいのかと少し戸惑いながら彼に近づいていくと、彼は床に置いてあった、大量のバナナが入った木のかごを持ち上げて僕に手渡した。彼が軽々と持ち上げるものだから見くびっていたが、ひどく重かった。彼は厨房の外を指さして、いくぞ、と合図した。一緒にやろうということなのか。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。