NPO法人頴娃おこそ会(鹿児島県南九州市)
観光来訪者が大幅に増加し、薩摩半島の観光スポットとして定着した
・番所鼻 | 1.5万(2009)> 7万人(現在) |
・釜蓋 | データなし(2009)> 15万人(現在) |
・大野岳 | 統計なし(2009)> 2万人 |
※数字は年間来訪者数
・釜蓋神社と番所鼻公園の観光地化が進んだことで、観光の力はまちを変えるとの機運が高まった
・農村エリアである大野岳の整備や来訪者増加を通じて農業と観光の連携が進み、茶畑ツアーなどが生まれた
・行政と民間の間で、ハードは行政、ソフトは民間というバランスの取れた官民連携型観光地整備が進んだ
・こうした機運が商店街に及び、石垣商店街において大学と連携した空き家再生活動が活発に展開された
・観光地づくりがまちづくりにまで及んだことで、頴娃おこそ会と行政との間での地方創生事業や地域おこし協力隊活用での協働事業が実施された(おこそ会の行政連携事業は14年度7百万、15年度15百万円+協力隊はおこそ会採用にて実現)
・頴娃への期待感によるIターン者やUターン者が現れ始めた(協力隊候補含めIターン4名、Uターン2名)
・民宿の立ち上げや食堂運営など、観光を活かした新規ビジネスの芽が出始めている
・番所鼻公園内のタツノオトシゴハウスやいせえび荘での設備投資が始まっている(タツハウス実施。いせえび荘は計画中)
・活動の発端は約30年前、「えいごっそい祭り」の運営団体であった商工会青年部、農協青年部など町内4団体が、団体の垣根を超えたまちおこし団体「寄せ鍋クラブ」を結成したことにある
・組織体制の成立は、2005年の任意団体「頴娃おこそ会」の設立、2007年のNPO法人化にある
・本格的活動展開は2010年春の観光プロジェクトの発足により、現在も進行中
*詳細は時系列に記載した上記“取り組み内容”の項を参照
・ 頴娃おこそ会のメンバーが中心となり、企画、立案、活動を展開
・活動実施にあたっては頴娃観光協会、頴娃商工会、番所海、茶寿会、及び地元自治会などの町内各団体と連携を通じて各種プロジェクトを推進している
・2014年までは専任スタッフを置かず、焼酎販売など会のプロジェクトによる自主財源(焼酎販売などのプロジェクト収益等)と、観光協会など協力団体の協賛金をベースに、必要に応じ県や市の補助金制度を活用し、資金力に乏しいNPOでも対応可能なソフト事業を中心に展開してきた
・NPOでは対応困難な観光ハード事業などは行政に提案を行うことで実現に寄与
・2015年よりは、県の事業として観光プロジェクトコーディネーター1名の専任スタッフの雇用が実現
・2016年よりは地域おこし協力隊が頴娃おこそ会への勤務となるなど、行政連携、人材充実が図られている
・頴娃観光協会とは会長をはじめとする主要役員が重複するなど、密接な連携体制を採っている。観光協会には行政や会員企業への配慮から積極的かつ独自性を持った活動展開が行い辛い、観光が優先するため地域が置き去りとなりがちなど課題も散見される中で、頴娃地域においては頴娃おこそ会が観光協会の実質的な実行部門として機能することで地域総力戦の観光まちおこし活動を展開する形態となる。鹿児島県内においては、DMOの事例として注目されている
頴娃おこそ会発足の理念は、人口流出・少子高齢化が進むこの地域にあって、子息(Uターン)や移住者(Iターン)が住みたいと思えるまちを創ることにある。素通りのまちであった頴娃が、今では釜蓋神社に年間15万人、番所鼻公園に7万人が来訪するまでになったのは喜ばしいことであり、まずは釜蓋・番所鼻・大野岳を巡る三寿巡りの定着を図り、町内周遊の機運をつくることが当初の目標となる。
ただし観光地ではなかった頴娃にとって、単に観光スポットをつくりここを循環することは目的ではなく、そうした来訪者がこぼれおちるように町内の商店街や田園地帯にまで足を向ける人の流れが生まれることによって、商店主や農家といった観光業者以外の住民が観光の力でまちを変えることが出来るという期待感を共有することにある。こうした雰囲気がまちに活気と刺激をもたらす新たなUIターン者を惹きつけ、地域に定着したUIターン者が新たなビジネスを生み出す、そしてそうした機運が地域住民を刺激して、既存ビジネスに関わるものが新たな投資を行うことで地域経済の活性化を図ることに繋げたいと考える。
もっとも観光地化や地域経済の活性化が実現すればそれで良い訳ではなく、そこには住民が周囲の小さなチャレンジを応援する雰囲気を持つまちとなることが前提となり、そうした人的インフラに魅力を感じたUIターン者がまちに移り住み地域を基盤にしたビジネスを立ち上げる、これが刺激となり既存ビジネスも活性化する、こうした機運に触れたものが小さなチャレンジを応援する…という循環を生み出すことによって、持続発展が可能なまちとなることが目標と考えている。
知覧・川辺・頴娃(えい)の3町合併した南九州市。最南端の頴娃町は観光来訪者が縁遠い町であったが、埼玉県からの移住者によって日本で唯一のタツノオトシゴ観光養殖場の開設を契機に町おこしを始める。地域産品のお茶と田園風景美の露出、地元商店街や空き家を活用し、行政と地域住民の連携によって観光客の増加やUIターン効果にも繋がっている。
●短い期間で大きな成果をあげている。タツノオトシゴ養殖を起点にしながら観光まちづくりにつなげるパワー、すごさが評価できる。
●移住者と地域の方が連携した成功例。こうした例が生まれることによって次の移住者が生まれる。交流文化賞受賞をきっかけ
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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。