NPO法人頴娃おこそ会(鹿児島県南九州市)
南九州市は知覧・川辺・頴娃の旧3町が合併して誕生したが、この最南端に位置する頴娃町は観光地として知られる指宿温泉と武家屋敷・知覧に隣接するものの、観光来訪者が立ち寄ることがない場所だった。2010年以前の“るるぶ”を始めとする主要観光ガイドブックに頴娃の掲載はほとんどみられず、素通りのまちに過ぎなかった。こうしたまちにおいて、2005年に設立されたのが頴娃おこそ会で、地域活力の衰退に危機感を覚えたメンバーが農商工の枠を超えた団結を図るために立ち上げた組織である。この団体の理事長が営む老舗旅館がある番所鼻公園において、2010年に埼玉からの移住者が日本で唯一のタツノオトシゴ観光養殖場を開設、これを機に番所鼻公園を起点とした観光まちおこし活動が始まった。おこそ会は「地域総力戦によるまちおこし」活動を提唱、観光と農業、商工、自治会、及び行政などの各組織が良く連携し、釜蓋神社や大野岳といった新たな観光スポットの整備にも乗り出したことで、頴娃が薩摩半島の新たな観光地として認知されるに至った。
観光を起点とした活動が地域にも波及しつつある中で、組織理念であるUIターン者をも迎える活動に繋げるか、いかに地域経済の活性化への貢献を図るか、試行錯誤しつつ現在も活動は進行中である。
NPO法人頴娃おこそ会は、2005年に任意団体として設立され、活動強化と信用付与のため2007年にNPOに改組された。商工会のまちおこし部会を母体とするが、人口減少が進む中、地域活力の衰退に危機感を覚えたメンバーが農商工の枠を超えた団結を図るために立ち上げた組織で、県外への視察や20数回の準備会合を経て、地域総力戦の体制でいつまでも住みたいと思える魅力的なまちを創ることを理念として発足した。会合を重ねる中で確認を進めたのは、UIターン者を迎えうる魅力を持つまちづくりを目指すいうことであった。
母体となった商工会加盟の自営業者の他、農家や商店主、行政職員、主婦、退職者など様々なメンバーで構成され、設立当初25名だった会員は現在45名に及ぶ。専従スタッフは置かずメンバーのボランティアを主体として、設立以後地域を活性化するための様々な活動を行ってきた。組織はプロジェクト制を採用しており、会員は提案権を持ち、自身が取り組みたいを思うプロジェクトを立ち上げることが可能な仕組みとなっている。この中で立ち上がり、昨今最も活発なのは観光プロジェクトである。
観光客来訪がまばらだった頴娃町において、2010年に番所鼻公園内にタツノオトシゴ観光養殖場が開業、この支援として公園内におこそ会メンバーの手弁当での協力により幸せの鐘を設置したところ、公園の新たなシンボルとして注目を集め、公園に賑わいが生まれた。こうした地域の自発的活動をみた市役所が県に番所鼻公園の再整備を要望し、鐘設置のわずか1年後に園内への広場や遊歩道設置などの景観整備が実現した。これを受けておこそ会メンバーは自主的に公園の清掃や看板の設置、マップの作成、メディア発信、茶店運営など、次々とプロジェクトを展開、行政もこうした活動を支援するかたちで、新たな遊歩道、トイレ、展望デッキ、交流施設の設置に動き、観光地化が大きく進展した。またおこそ会では隣接する釜蓋神社とも連携した発信や観光受け入れ体制整備にも取り組み、こうした活動の成果で来訪者が増加、釜蓋神社でも行政事業としてのトイレや駐車場整備が進みインフラが整った。指宿や知覧との周遊コースとして広く紹介されたことも奏功し、番所鼻公園は年間7万人、釜蓋神社は年間15万人を集める新たな観光スポットに成長するに至った。
番所・釜蓋に次いでおこそ会がターゲットとしたのが大野岳である。大野岳は車で山頂付近まで上がれ、山頂展望台から茶畑を始めとする絶景が望める場所であり、市町村単位で日本一の茶生産を誇る茶処を体感出来る場所ながら来訪者はまばらだった。ここに可能性を感じたおこそ会は地元の若手茶農家グループと連携、「茶寿」をコンセプトとした大野岳の整備というアイデアが生まれた。茶寿とは喜寿、米寿と同様に長寿を願う言葉であり、108歳の長寿祈願を意味する。茶農家の提案は駐車場から山頂展望台までの間にある60数段の古い階段を108段の茶寿階段として再整備することで大野岳を茶寿の山として売り出そうというものだった。彼らはさっそく茶寿会という団体を結成し、茶畑に観光客を招き入れたツアーを誘致するなど様々な観光展開を図ったところ、番所鼻同様に地域の意見を汲み取るかたちで行政が整備に着手、茶寿会結成からわずか1年での茶寿階段設置が実現した。これをきっかけに茶寿会の活動に弾みが付きメンバーも21名に達し、大野岳への来訪者増加に寄与した。おこそ会も番釜と繋いだPR活動などに努めた結果、昨今では月に10台を超える茶畑ツアー体験の観光バスが来訪するなど実績も伴い、観光と農業を繋いだ六次産業の好事例となった。
薩摩半島の観光スポットとの認知が進み、釜蓋神社への来訪者が増加する中で、釜蓋だけを訪れ町外に向かう来訪者が多かったことから、釜蓋での配布を目的とした頴娃町観光散策ガイド、「えい日和」の発行に着手した。頴娃おこそ会が編集メンバーを募り、観光協会や商工会からの協賛金取り付けや補助金活用などに動き、自主発行にこぎつけた。2012年に初版を発行に至った当マップは、現在までに第四版を発行するなど改定しつつ、年間2〜3万部の発行・配布を継続している。またマップに載りきらないエリアやテーマを網羅するかたちで「えい いろんぱ」(頴娃のいろんな情報を掲載したパンフの意)の発行を手掛け、いろんぱは「番所・釜蓋」「大野岳」「グルメ」「お茶」など10種類を超えるまでに広がった。マップやパンフの編集・発行事業は、観光業者以外のメンバーが集うきっかけをつくり、各メンバーが自身の地域やそこでの活動を発信することに繋がるなど、頴娃におけるまちづくり機運の醸成と活動継続に大きく貢献している。マップ・パンフ発行事業は2014年に、県より「鹿児島協働アワード」最優秀賞の表彰を受けた。
南九州市は、さつまいもとお茶の生産量日本一を誇るが、この生産を支えているのが町内最大の農業地帯である頴娃である。観光客の来訪が茶畑に囲まれた大野岳エリアにまで広がる中で、現在おこそ会が進めているのがスイスレマン湖畔の田園景勝地・ラヴォーをモデルとした「目指せラヴォープロジェクト」である。ラヴォーは田園景勝の美しさを売りとし、農家が営むワイナリー目当ての来訪者が訪れる観光と六次産業融合が実現した世界遺産の地であり、茶畑や芋畑の田園風景美を誇り、観光と農業の連携を目指す頴娃が目標とすべきまちと位置付けている。このプロジェクトの一環として茶農家が観光客に茶畑を案内しお茶を振る舞う「グリーン・ティリズム」(緑茶農家が展開するグリーン・ツーリズムの意)を2012年頃から展開したところ、2015年秋には、多い時で月間14回の受け入れ実績に至った。茶畑脇の屋外で実施していることから雨天対策、トイレなど課題も多いことから、下述する茶畑脇の空き家を活用しての茶農家による直営拠点の整備に乗り出しつつあるところである。
観光に端を発したおこそ会の活動は、昨今では地域づくりともいえる分野へ広がりつつある。その一つが石垣地区での商店街活性化プロジェクトである。古くは100店以上が軒を並べた石垣地区は今では10軒程度にまで商店が減少し、各地で散見される寂れた商店街と化していた。この状況に危機感を持った石垣商店街の呉服屋の若店主が番所鼻や大野岳での活動に刺激を受けたことで、石垣でのまち歩きコース整備やマップづくりなどに努めるうちに、地域の支援が広がり商店街にある築100年の空き店舗再生活動に発展した。これが県内にある第一工業大学建築デザイン科との連携に繋がり、2014年夏には10数名の学生が2週間に及び公民館に合宿して改装作業に取り組み、地域住民も作業に参加することで、費用負担を抑えつつ空き店舗再生が進行するという事例が生まれた。住民と大学の協働で再生されたこの空き店舗は、元塩販売店だったことから、「塩や、」と命名され、一日限定のマーケットやバー開設などのイベント、研修、視察受け入れ機会も増えた。その際の食事や宿泊ニーズに対応するうちに、商店街の食材店や女性部と組んだ食事提供が始まったり、民宿開業を目指す若者の移住を誘発するなど、求心力を持ち始めるとともに観光関連ビジネスの芽が出始めている。また「塩や、」でのノウハウを活かすかたちで、大野岳エリアでも茶畑に囲まれた空き家の再生を通じた観光拠点整備が始まり、そこは「茶や、」と命名された。民宿はオーナーの苗字福澤の福を用いて「福のや、」である。「や」は接続詞であり、あえて句読点の「、」を付すことで、まちの中に終わりなき物語としての空き家再生を通じた地域活動を継続させたいとの意思を込めている。
おこそ会では「出来ることは自分たちでやろう」との方針から例えばボランティアガイドの実施や観光マップの作成、看板設置など、多額の資金を伴わないソフト事業を次々と手掛けた。こうした取り組みは、活動に関心を持った若手住民をメンバーとして引き寄せる効果を呼び、プロジェクト経験を積むことで成長し、また新たなプロジェクトを生む好循環をもたらした。観光地づくりでは展望台などのハード整備も重要となるが、NPOには手に負えないこうした事業に関しては行政と協議を行った。番所鼻や大野岳でのおこそ会のソフト事業を評価していた行政は、おこそ会からのハード整備の提案を汲み取り整備を進め、ハードとソフトの融合を図ることとなった。昨今では行政も観光地への箱物整備による地域浮揚効果に限界を感じており、ハードを活かすためのソフトを担う力を地域に求めたかたちである。観光スポットづくりから始まった行政との連携活動は、2014年には「着地型観光創出事業」、2015年には「地方創生 観光頴娃住プロジェクト」など、おこそ会の提案が行政立案ソフト事業に採択される動きとなっている。
一連の活動は、観光の力でまちを変えることが出来るとの期待感の醸成に繋がった。観光が経済活性化を生み出す具体的な成果に至るにはまだ道半ばであるが、まちに周囲の取り組みを応援する機運が広がりつつあり、こうした空気感が惹きつけるかたちでUIターン者が現れたり、創業機運が芽生えている。まちに人的、精神的なインフラが整いつつあることは大きな成果だと考えている。
一連の活動に関する時系列での動向は下記の通りである。
2009年以前
・2005年、商工会のまちおこし部会を母体として任意団体「頴娃おこそ会」が発足
・2007年、さらなる活動強化を目指し「頴娃おこそ会」をNPOに改組
・2008年、元海洋資源調査会社勤務の埼玉出身・加藤紳氏が番所鼻公園内の閉鎖されたレストラン跡を借り日本で唯一のタツノオトシゴ専業養殖場を開設。この建物のオーナーがおこそ会理事長の西村正幸氏である
・2008〜09年、番所鼻公園から車で5分の釜蓋神社では、ユニークな願掛けが評判となり静かなブーム
2010年〜芽生え〜
・番所鼻公園の景観に魅せられた加藤紳の兄・潤が弟の事業に合流し、観光養殖場“タツノオトシゴハウス”をオープンさせ観光事業に参入。これを機におこそ会の観光プロジェクトが始動
・番所鼻公園におこそ会が“竜のおとし子〜吉鐘〜”を建立
・番所鼻公園と釜蓋神社を結ぶ“頴娃パワースポットマップ”をおこそ会が作成
2011年 〜歩み〜
・番所鼻公園の第一期整備が完工。展望広場や遊歩道整備が行われ公園のムードが一新
・釜蓋神社でもメディア掲載が進んだことから「釜蓋まちおこし会」を発足。観光課題協議の場とした
・釜蓋日曜朝市を開催。地域住民や商店主へ、来訪者との直接交流と販売機会の提供の場となった
・観光機運の醸成により4名が登録し頴娃で初めてのボランティアガイドが始動
・JTB鹿児島支店よりの提案を受けてのツアー受入。頴娃のみを巡る初の商業ツアーとなった
・県外メディアへの登場増える。10月発売の“るるぶ鹿児島”にも番所・釜蓋が初掲載
・大野岳の再整備を目指し、地元若手お茶農家が茶寿会を結成
2012年 〜手応え〜
・辰年を迎える中、メディアがタツノオトシゴハウスを広く取り上げ、来訪者が急増
・大野岳に茶寿階段完成。番所鼻でも二期工事が実施され、展望デッキなどが整備
・散策マップ“えい日和“が完成。NPOが観光客目線で作成したマップとして評判を呼び、メディアで紹介
・なでしこジャパンが釜蓋神社を参拝しこれがオリンピック銀メダルに繋がったとの報道で釜蓋来訪者急増
・ おこそ会と商工会青年部が連携し、第一回“ばんどころ絶景祭り”を開催。以後今日まで開催続く
2013年 〜自信〜
・釜蓋神社は正月3が日で19000人の参拝と大きな賑わい。道路渋滞まで発生
・ 県観光連盟がお茶畑を巡る「グリーン・ティーリズム」ツアーのPR強化に動く
・番所鼻〜釜蓋間の海岸線に韓国のオルレを手本に“頴娃シーホーウォーク”を開設
・釜蓋神社にバス駐車場完成
・石垣地区において散策コース、マップづくり、看板設置、古民家再生など石垣商店街活性化プロジェクト始動
2014年 〜稔り〜
・2月に「番釜海岸魅力掘り起し会議」、3月に「石垣商店街会議」を開催
・鹿児島県共生・協働型地域コミュニティづくり推進大会NPO部門 最優秀賞受賞
・釜蓋神社と番所鼻公園に県によるトイレ整備完工
・総務省過疎地域自立活性化優良事例表彰、総務大臣賞受賞
・石垣地区で空き家再生活動に着手。県内外からの視察が増加
2015年 〜広がり〜
・大野岳にトイレ完成
・県の支援により頴娃地域での着地型観光推進事業が採択となり、初の専任スタッフが着任
・第一工業大学との連携がスタートし、石垣地区での空き家再生活動が本格化
・県外からの合宿研修受け入れ。おこそ会からも長崎県小値賀島、徳島県神山町、北海道東川町・下川町などへ研修に参加するなど、人的交流進む
2016年 〜繋がり〜
・「頴娃観光まちづくり会議」を開催。県内各地からの参加者に頴娃の取り組みを説明、意見交換
・おこそ会が提案した「観光頴娃住プロジェクト」が地方創生事業に採択。DMOとRMOの両立を目指す
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