あじ島冒険楽校(宮城県石巻市)
・あじ島冒険楽校には、島の多くの高齢者が自分の得意技の先生となって、参加していただいています。子どもたちの笑顔に接することで、島の高齢者が積極的に参加してくれるようになりました。大学生の時にボランティアをされた方は、就職された後も、休暇をとって参加してくれています。
・あじ島冒険楽校は、長渡浜の方が中心となって開校しておりますが、島のもう一つの集落である網地浜でも、「負けてはいられぬ。」ということで、親のいない児童養護施設の子どもたちを毎年夏に島へ無料招待する「網地島ふるさと楽好」を平成19年に立ち上げて活動を続けています。平成25年度地域づくり総務大臣表彰を受賞。
・隣接する田代島でも、網地島の活動をみて、島の猫を使った地域づくりを行い、人口100人、高齢化率85%の島にもかかわらず、香港や台湾等の海外からのお客様を含めて、毎年、1万人の観光客を集めています。
・あじ島冒険楽校の小さな活動が、他の地域の元気を呼び起こしたり、人のネットワークを広げています。また、全国の限界集落や被災地の希望や活性化の糸口になれればと考えております。
あじ島冒険楽校は、平成16年2月に設立され、活動を続けてきました。平成23年は、東日本大震災の影響で、開催を断念しましたが、それ以外は、毎年夏に、あじ島冒険楽校を開校しています。これまでに26回開催し、約800人の子どもたち等が参加しています。東日本大震災の後は、海に恐怖を感じている被災地の子どもたちを中心に受け入れています。限界集落の網地島へ来ていただき、島の高齢者と交流することができました。
❶地域等での取組体制・組織
地域のお年寄りが、自分の得意な分野で参加していただけるように工夫しています。獅子踊りや太鼓が得意な人、竹トンボや竹鉄砲づくりが得意な人、島伝統魚釣り「アナゴ抜き」が得意な人、ウニの殻むきやヒラメをおろすのが得意な人、島の郷土料理が得意な人、すべてのおじいちゃんやおばあさんが、子どもたちの先生です。
❷活動の財源
参加者から8千円の参加費をいただいて、運営しています。
網地島では、震災後に人口流失がさらに進み、高齢者ばかりが、一層深刻な「限界集落」になっています。港の復旧は完了しておらず、定期船の本数が、震災前より少なくなり、島外への買い物がたいへん不便になりました。震災を機に、約100人が島を出られました。島全体が消沈しています。
この現状を打破していくためにも、あじ島冒険楽校の活動を続けていきたいと考えています。この活動を通じて、島のお年寄りが「誇り」を持ち続け、それを慕って、島に戻って来られる方や新しく移住される方を増やしていきたいと考えております。島外で網地島を応援してくれる人も増やしていきたいと考えております。
あじ島冒険楽校では、「未来の大人たち」が「本当の大人」になった時に、あじ島冒険楽校にスタッフとして、参加してくれ、島の人たちと一緒に、今の大学生ボランティアの子どもたちをお世話してくれるようになれば、これほど嬉しいことはないと考えています。未来への絆や島の誇りをつなげていきたいと考えております。
網地島の人口を維持し、未来へつないでいくことは、非常に難しいことですが、あじ島冒険楽校を通じて、島のお年寄りの誇りを取り戻し、そして、網地島の記憶をいつまでも大切に思う子どもたちを育んでいきたいと考えております。大震災や大津波には、絶対に負けないという気持ちで、あじ島冒険楽校を続けていきます。
あじ島冒険楽校がある網地島は石巻港から定期船で1時間。かつては3000人の住民も現在では400人の限界集落となり、小中学校は廃校になったままである。危機感を持った高齢化した島民が、かつての島の遊びを島外の子供達に伝える活動を行う。教える喜びと教わる喜びで島民の団結力も強まり、ファンづくりも目標に今後も継続していく。
●行政等の支援がない中で、これまで長く継続して取り組んできた点を高く評価。
●取組みは非常に面白いが、今後も継続的に取り組んで行くためには行政の支援や、民間企業を巻き込んだ、持続できる程度の収益を得る仕組みづくりなど、何らかの「知恵」が必要。
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