あじ島冒険楽校(宮城県石巻市)
網地島は、石巻港から定期船で1時間以上もかかり、交通がとても不便な島です。しかし、海にはウニやアワビ等が豊富にあり、森には常緑樹のタブノキがあって、アオスジアゲハを養い、オニヤンマがたくさん飛び交っています。網地島の人口は、最盛期には3,000人を超え、小学生だけで571人もいた時期がありましたが、わずか10年で人口が半減するような急激な人口流失により、高齢化率約7割で、わずか400人余りの限界集落の島になりました。かつては、遠洋漁業や捕鯨船に従事している者が多かったのですが、それらが廃れてしまい、島で働く所もほとんどないことから、若い人は、島から出て行かざるを得ない状況にありました。小中学校は平成12年3月に休廃校され、島では元気な子どもの声を聞くことはほとんどありません。年金と漁業で細々と暮らしている高齢者ばかりが住む島です。
このため、島のおじいちゃんやおばあちゃんたちは、将来が見えない島の状況に対して、「すがだねぇ」(仕方ない)という諦めの気持ちばかりを持っていました。そして、何かあれば、それは行政が悪いのだと思っていました。また、自分が生きている間だけ、島がもてばよいと考える人も多くなってきました。
このような気持ちを払拭し、自らができるところから始めようとして立ち上げたのが、この「あじ島冒険楽校」です。「昔の子どもたち」(島のお年寄り)が、「未来の大人たち」(島外の子どもたち)へ「島の夏休み」を伝えていきたいとの思いで始まりました。島伝統の魚釣り「アナゴ抜き」や懐かしい昔の遊びを体験する昭和30年代の「島の夏休み」です。あじ島冒険楽校の活動を通して、限界集落となって、未来が見えなくなってしまった網地島の誇りを取り戻し、島の再生を図ることを目的としています。
しかし、実際に子どもたちが島に来てくれると、島のお年寄りたちが何の価値もないと思っていた島伝統の魚釣り「アナゴ抜き」、「獅子踊り」、「竹とんぼ・竹鉄砲づくり」、「島の郷土料理」等に、子どもたちが喜々として取り組む姿をみて、自然に島の高齢者たちは、島の誇りを取り戻していきました。
今では、多くのおじいちゃんやおばあちゃんが様々な形で、あじ島冒険楽校に関わってくれるようになりました。
島のおじいちゃんやおばあちゃんたちは、子どもたちに上手に教えることはできませんが、長年培ってきた技術や体験だけはしっかりと伝えていきたいと考えております。特に、アナゴ抜きでは、本物の漁師さんの指導は厳しいですが、子どもたちは、自分で魚を釣りたいという気持ちがあるので、真剣に漁師さんの話を聞いてくれます。子どもたちが素直な気持ちになって、お年寄りに接してくれるところが、あじ島冒険楽校のよいところです。
あじ島冒険楽校では、心の幸せを求めて、活動を続けています。交流を通じて、島のお年寄りや参加者が、幸せを感じられる活動を続けてきました。多くのリピーターを獲得し、網地島のファンも順調に増えていました。
しかし、2011年3月11日に、宮城県内だけで1万1千人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災が起こりました。網地島は大地震の震源地に一番近い島です。おびただしいガレキに島の港や砂浜が覆い尽くされました。その圧倒的な量に、誰もが、もうあじ島冒険楽校は再開できないと思いました。
震災直後、網地島に来てくれた子どもたちから、100通を超える手紙が届きました。「島のおじいちゃんやおばあちゃんのことが心配です。また、会いたいです。」。島のお年寄りたちは、この手紙を見て、奮起し、ガレキの片付けを始めました。海を漂うガレキは何度も砂浜に打ち上げられました。しかし、島のお年寄りたちは何度も片付けを行いました。震災の翌年、砂浜は裸足で入っても、ケガをしないような安全な砂浜になりました。そして、あじ島冒険楽校を再開することができました。東日本大震災を乗り越えて、活動を再開しました。
東京大学名誉教授月尾嘉男先生は,網地島の活動を「限界集落の社会貢献」と評されました。高齢者にとっても、子どもたちにとっても、お互いによい結果をもたらしているとおっしゃっていただきました。網地島の活動を長く続けていきたいと考えています。限界集落でも諦めないでできることを全国に情報発信していきたい。
① あじ島冒険楽校を通じて、心温まる交流を続けていくことで、島の高齢者の諦めの気持ちを払拭すること
②離島航路や民間病院網小医院を存続させるため、交流人口や移住者を増やしていくこと
③東日本大震災の大津波で、海に恐怖を感じている子どもたちに、海の楽しさを教えてあげたい
④島の高齢者に子どもたちの先生になってもらい、生きがいをもってもらいたい
あじ島冒険楽校は、「昔の子どもたち」(島のお年寄りたち)が先生となり、「未来の大人たち」(島外の子どもたち)に「島の夏休み」を体験してもらうというプログラムです。島の地域資源を活かした本物の体験が子どもたちを引きつけています。また、島に来てくれた子どもたちの笑顔が、島のお年寄りを元気にしてくれています。リピーターとなってくれた子どもたちの成長を見ることも、島のおじいちゃんやおばあちゃんたちの喜びとなっています。経済的な地域の活性化としては、効果は大きくありませんが、交流によって、心の豊かさを得ることができます。それが生きがいとなり、誇りとなっています。最近は、地域づくりに意欲的に取り組む人が増えて来ています。
①島伝統の魚釣り「アナゴ抜き」
島の子どもたちが熱中した魚釣りです。仕掛けは簡単で、針の付いているテグス20cmくらいを竹竿の先端に付け、餌は岩場で採れた「えらこ」を使います。本物の漁師が教える魚釣りは指導が厳しいのですが、子どもたちは自分の力で魚を釣りたいので、真剣にお年寄りの話を聞いてくれます。震災前は、石音の浜で、ザリガニ釣りのように次から次と魚が釣れ、わずか1時間で60匹の魚を釣り上げ、参加した子どもたち全員が魚を釣り上げたこともありました。釣った魚は、浜辺で塩焼きにして、子どもたちにごちそうします。ふだん魚を食べない子どもも、自分の釣った魚となると、愛おしく感じるようで、骨までしゃぶるようにして食べてしまいます。
②竹とんぼ、竹鉄砲作り
島にはたくさんの竹が生え、子どものおもちゃが簡単には手に入らなかった時代には、それらは子どもたちの遊びの材料でした。子どもたちは自分のナイフを持ち歩き、竹とんぼや竹鉄砲を作って遊びました。
竹とんぼは、バランスが命で、机に軸の部分を置いて、羽根の部分をゆっくりと回してバランスを確認します。ゆっくりと回り続けるのが合格で、うまく回らず、どちらか片方で止まってしまうのは、バランスが悪い証拠です。その場合は、さらに羽根を削り、また確認をします。これを何度か繰り返して、よく飛ぶ竹とんぼを完成させます。この工程がとても楽しいのです。うなりをあげて、天高く飛ぶと、とても気持ちよいです。
竹鉄砲は、細い竹を使って作ります。筒の部分は節を避けて作ります。持ち手の部分は片方に節を残します。後は、筒の中をきつくなく、またゆるくなく、ぴったりに通る細い竹を見つけて、心棒として持ち手の部分に付けて完成です。木の実やちり紙を筒の両側に詰め、持ち手に付けた心棒で一気に押し出すと玉が発射します。上手にできると、パンといういい音とともに、水煙が出ます。子どもたちは、煙が出たと大喜びします。
③網地白浜でのシーカヤック
網地白浜は、白い砂浜と透き通ったきれいな海水が自慢の海水浴場です。シーカヤックは、海を身近に感じることができる舟です。子どもたちは、すぐにコツを覚えて、簡単に操作します。一人一人が船長であり、自分の判断で操作しなければならないことから、うまくできた時には自信になります。岩場に乗り上げたシーカヤックを別な子どもがオールをうまく使って助けたり、転覆した子どもを仲間で助け合う等、強い連帯感を生み出すことができます。昔の子どもたちが使った小舟の代わりになる体験です。
④流木や小石を使ったクラフト
浜辺に打ち上げられた流木や小石は、そのままでは何の価値もないゴミですが、子どもたちが「目」や「ひれ」、「手足」を付けるとあっという間に、楽しい魚や動物、空想上の生き物に大変身します。
⑤獅子踊り体験
網地島に伝わる獅子踊りを体験します。獅子の頭はとても重いので、子どもたちの獅子はヨロヨロしてしまい、みんなで大笑いします。時々、島のおばあさんたちが派手な出で立ちで乱入して、場を盛り上げていきます。
⑥郷土料理体験
網地島には何もないので、海にたくさんいるウニやアワビやヒラメをたくさん出します。子どもたちは、動いているウニやアワビやヒラメを見て、とてもびっくりします。ウニやアワビを何個も食べる子がたくさんいます。
⑦植物観察
今から40年前に網長中学校へ赴任された煖エ和吉先生に指導していただいております。先生はいつも長靴を履いて歩いていたことから、「ながぐつ先生」とニックネームで呼ばれていました。毎年、ボランティアでお手伝いに来てくれます。網地島は海の暖流の影響もあり、東北地方の中では比較的温暖な気候で、常緑樹のタブノキや南国に多いシュロが自生しており、本土では見られないような植生になっています。トクサはツクシを大きくした緑色の植物で、昔の遊びで、節目のところで茎を折り、もう一度つないで、「どこ接いだ」という遊びを教えてもらい、子どもたち同士で楽しみます。また、かつて網地島ではヤマユリの根を食用に栽培していました。今では栽培している人はいなくなりましたが、そのヤマユリが自生し、夏には島中が甘い香りに包まれます。子どもたちに目をつむらせて、ヤマユリとスカシユリの臭いを嗅がせると、ヤマユリのものすごい臭いにみんな鼻をつまみます。「素敵な香りのするヤマユリなのに!!」とみんなびっくりしてしまいます。ふだん見たこともない網地島の植物の秘密にみんなドキドキします。
①あじ島冒険楽校を続けることで、網地島を情報発信し、交流人口の拡大や移住人口の拡大を目指していきます。新しく移住された方も、あじ島冒険楽校に参加されて、活動を支えています。あじ島冒険楽校が新しく移住された方々と従来から島に住んでいる方々を結び付けるツールとなっています。
②新しい取り組みとして、島に打ち上げられた浮き玉、石、廃材等を使った「いしのまき網地島 海辺の漂流美術館」を始めました。芸術家や一般の人が、それらを使って、作品を作り上げます。それをブログで情報発信し、島に人を呼び込みたいと考えています。
※会社名・団体名等は、各団体の商標または登録商標です。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。