JTB交流創造賞

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交流創造賞 組織・団体部門

第11回 JTB交流創造賞 受賞作品

最優秀賞

元快集楽歓交立克(げんかいしゅうらくかんこうりっこく)
―世界棚田連邦をめざして―

NPO法人 英田上山棚田団(あいだうえやまたなだだん) (岡山県美作(みまさか)市)

この写真を見るとなんか不思議な気持ちになります。(右)

2007年、8年前の写真です。
眼前には人の侵入を拒絶するように夏草が繁茂していました。

横にいるのは、私の叔父です。

定年後、晴耕雨読の生活をしようと、大阪からここ岡山県は美作市(旧英田郡)上山で古民家暮らしを始めていました。

この時、私自身この地で暮らすとか、目の前の草地と化した棚田を再生することになるなどとは、全く、100パーセント、これっぽっちも予想していませんでした。

でも、絡まった草や蔦をはがしてみると、見事に積まれた石垣が姿を現しました。感動でした。ここはただの田んぼじゃなかったんです。先達が森林を切り開き、木の根っこを起こし、岩石を取り除いて、それを積み上げた広大な石の建造物でもあるんです。名もなき民衆の遺跡と言ってもいいと思います。棚田は100町歩、8,300枚あったと言うんです。それがここには眠っているんです。そしてその一枚一枚に対して、上のため池から水を供給するために張り巡らされた水路、その土木技術がまた凄い、ここは食糧製造の循環型プラントだったのです。

これはオモロイ!と思いましたね。大阪の人間はこの「オモロイ!」で動くんですわ。寄ってきた仲間が、これまた凄い!片道200kmでっせ!しんどい作業してしかも自腹。アホでしょ?みんな都会に飽き飽きしてるんですわ。毎日毎日満員電車にゆられて、安い給料で…。

一緒に働いて汗を流し、温泉に入って、食事をし盃を交わし、満点の星を仰ぐ。都会のストレスがきれいさっぱりなくなります。

イベントを興し、ソーシャルネットワークサービスで発信しました。その縁脈をたどって訪れる人が徐々に増えていきました。本が出版され、新聞やテレビに取り上げられるようになりました。一般のルートでは決して会うことのないような人にもお会いし、賛同の意をいただきました。IT技術のお蔭でこんな田舎からでも、日本中、世界中と簡単に繋がることができます。有り難いことです。

しかし、もっとも気を付けてきたのは、村の人の思いでした。挨拶はもちろん、出会い仕事や神事をキッチリこなし、昔話に耳を傾けます。そこには代々の豊富な知恵があふれています。温故知新、古いものの中に最先端があるんです。伝統と創造。オープンでフラット。そして「やりゃ〜ええがぁ」の精神。これですわ!

私は夢見ています。

子供たちの声が響き、鶏が時を告げる朝を。

牛が歩く、その横を、未来型のモビリティが通る道を。

世界の老若男女が学び、教え合う学び舎を。

村の家々にオフグリッドな明かりがともり始める夕方を。

この谷全体が黄金色に染まる秋を。

取り組み内容

●眠れる民衆の遺跡『英田上山棚田』

岡山県東部、美作市(旧英田郡)上山には、奈良時代から築かれたという棚田がある。最盛期には8,300枚の田んぼがあったと言われ、この地方の米どころとして名を馳せていた。昭和30年代の高度成長期を境に人口の流失が相次ぎ、耕作放棄をせざる得ない状況となった。かつては「耕して天に至る」と詠われた棚田群も笹や葛などによって覆い隠され、捨てられた里、限界集落として静かに終わりの日を待つ運命であった。

●始まりはひょんなことから…

定年後の生活拠点を大阪から上山に移した元商社マンS。還暦過ぎの自分が若手と呼ばれる状況に戸惑いながらも、近所の古老たちから野菜作りや稲作を教わりながら、晴耕雨読の生活を夢見ていた。しかし現実は甘くない。田植え前に村総出でやって来た水路掃除も年々参加者が減っていく有様。村人の負担を少しでも軽くしようと、大阪に住む息子Gを呼ぶ。

●ダッシュ村での週末里山生活(2007年)

Gはそのころ、大阪で何か面白いことをやれないかと発足した有限責任事業組合「協創LLP」の一員であった。Gは従兄のKとともに、【協創ダッシュ村】と銘打って、月1回の農作業ツアーを募り、協創LLPのプロジェクトの一つとして2007年9月「英田上山棚田団」(以下棚田団)を発足させた。第一回の参加者は13名。キャッチフレーズは「週末里山生活」だった。作業は棚田を覆う草や蔦をひたすら取り払うことが中心だった。

●稲作開始!(2008年)

すでに村人となっていたSと隣人Kの後見もあり、棚田団は2008年には3枚の休耕田で稲作をスタートさせる。彼らの本気度を計っていた村人たちも、一人また一人と声をかけてくれるようになった。初年度の収穫高は160kg。協創LLPのネットワーク(当時はmixi)であっという間に売れた。また棚田団の活動の拠点として空き家となった古民家が使えるようになった。

●野焼きによる棚田の蘇り(2009年)

新しい生活の舞台を模索する棚田団と、棚田の蘇りを願う村人との思いが合致し、2009年12月、冬枯れの草を一掃するために大規模な野焼きが行われた。この共同作業を機に棚田団は村人の信頼を得、上山棚田再生の担い手として認知されるようになった。「上山棚田再生事業実行委員会」を立ち上げた。

●役所が動いたぞ!本も出せるぞ!(2010年)

この動きを美作市も察知し、2010年、総務省が推進する「地域おこし協力隊」の制度を導入し、上山地区に人員を配属することとなった。これに棚田団からKが応募、採用されてパートナーBとともに、大阪から移転し上山の住人となった。また、竹林に覆われていた古民家を蘇らせ、交流拠点として活用するようになった。また協創LLPに出版プロジェクトが立ち上がり、棚田団の活動をドキュメンタリータッチにまとめて、岡山市の出版社、吉備人出版の設立15周年記念原稿募集に応募、最優秀賞を受賞、単行本として発刊することになった。

●移住して結婚(2011年)

KとBは2011年に結婚。棚田で結婚式を挙げ、一段と村に溶け込んでいった。8月、棚田団は大阪府と岡山県に拠点を置くNPO法人として申請し認可された。都会と田舎の懸け橋となり、棚田再生を通じた地域社会の存続に向け活動するというのが設立主旨である。「愛だ!上山棚田団−限界集落なんて言わせない」(吉備人出版)発刊

●テレビが来たぞ!海外へ行くぞ!(2012年)

棚田団についての本が出版されたことで2012年は地元マスコミなどに取り上げられる機会が多くなった。特に山陽放送(RSK)は撮影クルーを上山に定期的に派遣、ドキュメンタリー番組「過疎地だから夢がある!よみがえれ棚田村 岡山県美作市上山」として放送された。この反響がキー局のTBSヘ波及し、「サンデーモーニング年末スペシャル」にKが出演。日本再生の実践地として全国に紹介された。また上山神社夏祭り復活の目玉に、台湾の天燈(スカイランタン)をやろうということになり、台北の八煙棚田を訪問ツアー。さらに、Gの高校時代の友人のMの縁脈でミャンマーにも視察旅行。

●楽しいが集まる「集楽」へ(2013年)

さらに本格的な再生事業に乗り出すために、2013年に棚田団は地権者の地元住民らとともに一般社団法人「上山集楽」を設立。棚田再生を核としてエネルギー、ライフスタイル、観光、国内・国際交流、ファンドレイジング、教育人材育成、医療、交通などの総合的な分野を網羅するシステム作りへ向かうエンジン集団となった。若い人材も全国各地から移住してきた。12月、本の第二弾「上山集楽物語−限界を超えて」刊行。同月、ユネスコの「第5回プロジェクト未来遺産」に選定。台湾の八煙聚落と姉妹棚田提携を結び、相互に訪問交流した。

●次々と来訪者が…(2014年〜)

ユネスコの未来遺産に選ばれたことで、企業(トヨタ、住友ゴム工業、ニッカリ)、大学(岡山大、美作大、吉備国際大、環太平洋大)、高校(林野高校、美作高校)、地元団体(津山ロータリークラブ)などから協力や共同研究の話をいただくようになる。環境省グッドライフアワード「環境大臣賞グッドライフ特別賞」受賞(2015年3月)。スマートニュース社のNPO支援プログラム「ATLAS Program」に選定される(2015年9月)。
http://about.smartnews.com/ja/2015/09/04/20150904_atlasprogram/

※会社名・団体名は各社・各団体の商標または登録商標です。

※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。

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