中島 素子
「gone」(行っちゃいました)
もはや誰ひとり旅客の残っていない、閑散とした搭乗ゲートで係員にそう言われたとき、文字通り頭の中が真っ白になった。
二〇一四年八月十四日、私たち家族はロサンゼルス国際空港で、まったくはじめての出来事に呆然とする。羽田からデルタ航空で十時間かけてロサンゼルスに到着し、飛行機を乗り継いで目的地のラスベガスに行こうとしていた。アメリカに入国するには、最初の寄港地で手続きを済ませなければならない。乗り継ぎ時間は一時間半。だが巨大なロサンゼルス空港で、時間内に入国手続きと荷物の受け取り、税関通過、再び荷物を預けて次のフライトのチェックインという一連の動作を行う必要があった。実際、いきなり入国審査で長蛇の列。係員に事情を話して列を短縮できたものの、次の場所でもいちいちパスポートと搭乗券のチェックが入り、そうこうしているうちに結局、飛行機は行ってしまった。
私たち家族は五人。私たち夫婦と小学生の娘と息子。そして主人の母だ。めったにない親子三世代でのアメリカ旅行で、とても楽しみにしていた。ところが着いたとたんにこの緊急事態。私は生まれてこのかた、欠航はあっても飛行機に乗り遅れたことなど、一度だってない。一体どうしたらいい?私だけではなく家族の誰もが未知の経験だった。
時刻は夜の七時半。気を取り直して係員に言われたデルタ航空のカスタマーサービスに行ってみる。主人も私も英語力は初心者の域を出ていないのだが、主人は仕事でベトナムの人たちと片言の英語でやりとりした経験があるので、とりあえず話をする。
すると、状況は想像以上に厳しいことが判明した。次の便に振り替えるにしても、ラスベガス行きのフライトは今夜はもうなく、一番早くて明朝六時だという。これはまずい。
なぜなら私たちは、明朝七時半にラスベガスを出発する、グランドキャニオンなどを三泊四日かけて周遊するツアーに申し込んでいた。集合時間に遅れれば、ツアーはパーだ。途中で合流するにしても、一日に何百キロも移動するツアーにどうやって追いつくのか。
「何とかなりませんか?私たちは明日の朝七時半に出発するツアーに申し込んでいるんです。だからどうしても今夜中にラスベガスに行かなくてはならないんです!」
私も主人と一緒になって、つたない英語で必死に食い下がった。すると、係の人はあちこちに連絡を取ってくれて、どうにかユナイテッド航空に乗せてもらえることになった。
ところが、一時は喜んだものの、ユナイテッドのカウンターに行くと、席が空いていないと言われてしまった。話が違う。だが仕方ない。結局、振り出しだ。この巨大空港、別の航空会社のカウンターに行くとなるといくつものエレベーターを乗り継ぎ、恐ろしく長い通路を延々と歩かなくてはならない。飛行機に乗れないとわかって元のデルタのカウンターに戻るときの足取りといったら、疲労感も精神的消耗度も半端ではなかった。
「明日の朝一番の飛行機にするしかないよ。それからまた考えよう」
あきらめの境地で私は言った。だが次の瞬間、主人はとんでもないことを言い出した。
「ここで朝まで待っていてもしょうがない。レンタカーで行こう」
「はあ?」なにを言い出すのか、この人は。ロサンゼルスからラスベガスまでは距離にして約四三〇キロ。車だと四時間半から五時間かかるらしいのだ。日本で言うと、直線距離で東京から神戸くらいまである。主人はハワイで一度運転したことがあるだけだ。大体、行き方はわかるのか。しかも深夜。事故ったらどうする。子供も一緒なのに。無謀の極致。
しかし私は、自信ありげな主人の顔を見ているうちに、案外、そのアイデアが使えるんじゃないかという気がしてきた。主人は運転がうまかった。これまでも吹雪の蔵王でホワイトアウトの視界の中、自家用車で走破したことが何度もあった。もしかしたら……
「大丈夫。行こう」主人は、逡巡している私をうながすように言った。
「わかった。あなたがそう言うなら」私は腹を決めてうなずいた。
手続きに手間取り、深紅のシボレーを借りて出発できたのは深夜の十二時半頃だった。
後部座席におばあちゃんと子供たちを乗せる。カーナビに従い、深夜のロサンゼルスを走っていく。カーナビは日本語の設定ができて大助かりだったが、念のため、私は主人の横で、スマホのGPSで方向が正しいかどうかを確認し続けることになった。途中、マクドナルドやウェンディーズの巨大な看板が夜の背景に浮かび上がる。ときどき首の長い恐竜を連想させるような長いパームツリーの木が生えている。カリフォルニアらしい景色だと思う。車に乗りながら、なんだかワクワクしている自分に気がつく。そうか、飛行機に乗っていたら、この景色は見られなかったんだ。そう思うと逆に得をした気分だった。
途中、アナハイムを通過する。ディズニーランドがある町だ。
「大丈夫?南に向かってない?このままメキシコまで行っちゃったりして」
「フリーウェイに行くにはそこを通らなきゃならないんだと思うよ。たぶん大丈夫」
主人の言うとおり、ほどなくルート十五という道に入った。このまま道なりに行けばラスベガスである。フリーウェイに入ると景色は一変した。日本と違って街灯がほとんどなく、ヘッドライトを頼るしかない。車線には反射によって光る物体が埋め込まれているので、かろうじて道はわかるが、なんだか闇の中に突っ込んでいくようで怖かった。他に走っているのは大きなトレーラーばかりで、私たちのような乗用車はほとんど走っていない。しかも主人は時速一〇〇マイル(約一六〇キロ)のスピードで飛ばすものだから、恐怖のあまり眠気も吹っ飛んだ。みんなは怖がっていないか。後部座席を見ると、子供たちは眠ってしまっていたが、おばあちゃんはやはり緊張していたのか、ずっと起きていた。
※会社名は各社の商標又は登録商標です。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。