NPO法人 神岡・町づくりネットワーク(岐阜県飛騨市)
神岡町は岐阜県の最北端で富山市に接しています。当町は昭和30年代に鉛・亜鉛の産出量が東洋一といわれた神岡鉱山の企業城下町として、人口27,000人余りと栄えていました。しかし鉱石の枯渇や鉱山の合理化から、過疎化が進行し、現在は9,000人余りの人口に減少しています。
当町の鉄道は神岡鉱山と共に100年を超える長い歴史があります。明治43年の馬車軌道を最初に、昭和2年にガソリン機関車による軌道、昭和26年にディーゼル機関車となり、昭和41年に国鉄神岡線が開通、昭和59年に第三セクター神岡鉄道が発足、平成18年12月1日に廃線となりました。
旧神岡鉄道は、奥飛騨尾の豪雪地帯にありながら、国道が積雪のために不通になった日にも1日も休まず、地元住民の生活を支え続けた自慢の鉄道でありました。平成18年に廃線になりましたが、これまで走り続けただけの歴史と記憶が人々の胸に刻まれ地元町民の「心の財産」となっており、神岡鉄道を愛したたくさんの人々の胸の中で決して終着駅につくことなく、在りし日の思い出とともにいつまでも走り続けています。
「レールを残したい」「レールのある風景をいつまでも」という深い想いから、「レールを活かしたアトラクションが出来ないか?そして鉄道が走っていた風景にあえて手を加えず、保存しながら、乗って楽しい乗り物を走らせて、これまでに無いレジャーを生み出し、町を元気にできないか?」という地元有志らのアイデアと熱い想い、そして鉱山の町で培われた地元企業のモノ作りの精神がきっかけとなり、レールマウンテンバイクが考案され、鉄路を活かした新たな観光資源、新たな地域の財産を創出し、保存活動の柱となっています。
レールマウンテンバイクとは、市販のマウンテンバイク2台を鉄道のレール幅に合せた特製のフレームで固定し、マウンテンバイクを2人でこぐことで前進する新感覚の乗り物です。試行錯誤の末に誕生したこの自転車は、レールとレールのつなぎ目で、「ガタンゴトン」という現役時代さながらの音を響かせ、「廃線」という言葉が持つ地域社会におけるネガティブなイメージを払拭させながら、現在進行形の町おこしとして走り続けます。そして神岡鉄道を知らない子供世代にはGttan Go!!(ガッタンゴー)というニックネームと共に、私たちの町のルーツを語り続けます。
廃線後に残された軌道には、見晴らしがいい高架や、ヒンヤリと真っ暗なトンネル、四季折々の風景が広がる大自然、混然とした鉱山の町・神岡の町並み、そして煙突から毎日煙を吐き出す神岡鉱山工場群の眺めという、田舎町の日常と非日常が混然一体となった、目くるめくスリル満点のコースが敷かれています。そのコースを「楽しむ」ための乗り物(アトラクション)が、レールマウンテンバイクであり、あえて手を加えずに保存し続ける有形の資源である線路と、鉱山によって培われた技術者たちの知恵という地域最大の無形の資源があったからこそ、開発することが出来ました。そしてレールとサイクリング(自転車)というキーワードを組み合わせたこと、自分の体を使って体験できる点や、誰もが気軽にアドベンチャー感覚で乗車できることなどから、スポーティーなレジャーとして印象付けられ、レールの上を走る奇抜な見た目が大きなインパクトを与えています。
レールマウンテンバイクは、基本的には2人乗りですが、様々なタイプの補助席を取り付けることで、老若男女を問わないカップルから大家族までの幅広いターゲットやニーズを捉え集客力を伸ばしています。小さなお子様でも直感的に鉄道の世界を親しむことができ、家族が一体となって「乗る・見る・撮る」だけではない、廃線ならではの「鉄道」の楽しみ方として定着しつつあります。また、鉄道にはそれほどの興味がない人々に、「本物の線路だからこそ楽しめるレジャー・本物の線路を体中で感じられるレジャー」として捉えられており、そのためメディアへの露出が特に高く、TVや新聞・雑誌で取り上げられるたびに、神岡町内外の地元民が「元気な神岡(ふるさと)」を様々な形で感じ取り、その評判や雰囲気を町の外から評価されることで、地元町民にとって「人を呼ぶことが出来る町」への誇りや、「廃線に負けない田舎者の底力」のようなプライドを育んでいます。
レールマウンテンバイクは自転車が特製フレームにがっちりと固定されているため、障がい者の方がご利用になることも多く、聴覚・視覚・ある程度の知覚と身体に障がいを持つ方に「自転車に乗る」ことを初めて体験した感動の声も頂いております。そして、原動機を使わない電動アシスト自転車を車両に装着していることから、昨年と今年の1月には、東日本大震災で被災された岩手県三陸鉄道北リアス線小本駅付近のトンネルの通信回線復興工事にも車両をお貸ししました。この作業では、総延長5キロメートル以上のトンネル群で働く作業員の方の緊急避難と移動の道具として、たくさんの資材を安全にトンネル内に持ち込む手段として使われました。
毎年1回程度、一般参加型の「枕木交換会」を開催し、地元内外の神岡鉄道ファンの方に、風雪で傷んだ枕木をすべて手作業で交換して頂き、廃線後の線路をほんのちょこっとだけ元気にして頂いています。「廃線」ならではのワークショップは大人にもお子様にも人気です。
また、情緒的な保存活動から一歩脱却した、継続性のある事業としても認知され、全国各地の廃線を抱えた自治体や団体からの視察も受けており(長野県屋代線と小糸線・北海道手宮線・秋田県小坂鉄道など)、秋田県小坂鉄道では、実際にレールマウンテンバイクの事業も始められています。そして今年度には、私たちが苦心の末に開発した車両を三重県の熊野市に導入して頂く予定です。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。