パラリンピックの感慨深い歴史について調べてみました!
皆様、こんにちは!
JTBスポーツ平昌パラリンピック担当です。
昨日はスノーボードクロス・成田緑夢選手の銅メダルで沸いたパラリンピック。
スノーボードは2014年ソチ大会からアルペンスキーの1種目としてパラリンピックに登場し、今回の平昌大会からは1競技として行われることになった競技で、障がいの種類や程度によって男子で3つ、女子で2つのクラスに分かれて男女別に順位を競います。種目は、スノーボードクロスとバンクドスラロームの2つがあります。スノーボードクロスは、予選で各選手が一人ずつコースを3本滑り、一番速いタイムの結果で決勝に進出できるかが決まることで知られており、16日に旌善(チョンソン)アルペンセンターで行われるバンクドスラロームにも期待大!
旌善アルペンセンター
ということで、今回は少しパラリンピックの歴史についても触れてみたいと思います。
大会の起源とされているのは、1948年7月28日イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会と言われており、この大会は、ドイツからイギリスへ亡命してきたユダヤ系医師ルートヴィヒ・グットマンの提唱により、ストーク・マンデビル病院で、第二次世界大戦で脊髄を損傷した軍人のリハビリのために開催されたのがきっかけで開催され、車椅子の入院患者男子14人、女子2人によるアーチェリー競技会が行われたそうです。(なんと、お医者さんの提唱だったのですね!)
そして、1960年にローマで行われた「第九回ストーク・マンデビル競技大会」が、後の第一回パラリンピックと呼ばれ、この大会では23ヵ国の400名の選手が参加しました。そして、続く第2回パラリンピックが1964年の東京大会です。(2020年の東京大会で日本は2回目の東京パラリンピックを開催することになるのですね!)ちなみに、「パラリンピック」という名称は1988年のソウル大会から呼ばれるようになり、この大会からオリンピックとパラリンピックを連動させたはじめての大会となりました。パラリンピックという愛称が正式名称に定められ大会でもあったため、今回の平昌大会はソウル大会と同じ韓国ということもあり、なんだか感慨深いものですね。
歴史のある世界イベントではボランティアスタッフは欠かせないものに
選手や競技性はもちろん、パラリンピックのことを知ると大会自体の見方も変わるかもしれません。18日の閉会式まで、まだまだ競技は続きます。4年に一度のパラリンピックをぜひともお楽しみくださいね!
以上、平昌通信レポートでした!
次回もお楽しみに!
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