2018平昌パラリンピック…応援ありがとうございました!!
JTBスポーツWEBをご覧の皆さまこんにちは!
JTBコミュニケーションデザイン所属 パラアルペンスキー競技の小池です。
3月9日~18日まで開催されました平昌パラリンピックのレポートをいたします。
遅れてしまいましたが、改めまして今大会に向けて多大な応援をいただきまして、誠に有難うございました!!
私はアルペンスキー競技、全5種目に出場しましたが、最高成績では複合種目の14位と、目標としていたメダルには残念ながら程遠い結果となりました。
しかしながら、過去4大会のうちもっとも出場することに苦しみ、大会直前に出場が決まった経緯もあったからか、出場できることの喜びが過去最も強かった大会でした。
併せて、何よりも心温まる大声援を日本から、そして現地から熱烈にいただけたことが非常に嬉しく、幸せな大会となりました。
この場をお借りし、改めて御礼申し上げます!!
今大会、大会会場となったのはオリンピックでは高速系種目の会場として使用されたJeonsonスキー場で、パラリンピックのアルペンスキーは全種目開催されました。
オリンピックの時は極寒だったものが、パラリンピックの時は汗だくになるほど気温は上昇、雪も緩み、毎日大量の雪面硬化剤を投入した日々でした。
雪面は荒れ、併せてオリパラのために作られたスキー場ということで地形の変化を強く残した難コースの攻略にとても苦しんだ大会でした。
両足に問題ない私は難条件こそチャンスはあると思い臨んでいましたが、残念ながら攻略しきれず、実力不足を痛感した厳しい大会となった結果でした。
チーム自体は報道のとおり、一人で5つのメダルを獲得した素晴らしい活躍を見せた選手が生まれました!
彼女を筆頭に、ベテランと若手が融合した今大会、若手が大きな成長を遂げてくれたことは、今後の日本チームとしての成熟や成長に向けて価値のある大会だったと思います。
※アルペンチームで村岡選手のプチ祝勝会!(個人撮影)
さて、2回に分けてレポートしますが、前半は試合を中心に時系列でレポートいたします。
<2/26壮行会~3/5出発>
大成功に終わった平昌オリンピック後に開幕とあって、壮行会(2月26日)には、小平選手や羽生選手からビデオメッセージもいただいてそれが流されたりと、過去4大会のうちもっともメディアが多く、盛大な壮行会でした。
その後、チームは国立スポーツ科学センターにて低酸素インターバル合宿を3月2日まで経て出発!
<出発から3/9開会式>
3月5日、早朝6時集合で羽田より出発、金峰空港よりバス移動にて夕方に選手村チェックイン、その後、日本選手団は入村式(地元からの歓迎式典)でした。
しかし、実は私自身は出発前夜に体調を崩したことで、いったん離脱し別行動。病院で検査後、問題なかったことで翌日6日に再合流しました。(焦りました)
<現地コースでの練習>
3月7日~9日
アルペンスキー5種目のうち、スピード系種目の滑降レースを10日に控え、7日より三日間の公式練習予定でした。
しかし、屋外競技ゆえによくある悪天候により、7日に一度のみの実施となったことで、難しい高速コーナー部分のスピード感や侵入ラインを掴めないまま本番を迎えました。
なお、9日夜の開会式は翌朝4時起きと早かったため、我慢し不参加としました。
<3月10日~19日 試合レポート>
・10日滑降:途中棄権
スキー板のワックス調整は完ぺきで体調も万全。
意を決して最大限攻めるラインを選択して臨んでいった試合でしたが、懸念していた高速ターン箇所が本番も攻略できず、コースアウト、、、。
斜面変化に飛び込んだ時のラインミスに気付いた瞬間の衝撃は、、、一生忘れないでしょう。。
現実を受け入れて翌日のレースに気持ちを切り替えるまで、非常に時間を要した試合となりました。
・11日スーパー大回転:27位
滑降に続く得意な高速系種目ということで良い滑りをしたかったですが、この日も数多い斜面変化の部分の一つでライン取りミスがあり大失速、不甲斐ない試合となりました。
それでもゴール後、会社の先輩方や両親などが涙ながら出迎えて下さる姿を見た時は、心から嬉しく、深い感動を感じつつ、ひたすら謝っていました。
・13日の複合:14位
この日は気温が一気に上昇し、雪の状況が悪化したこともあり、全体45人中半分ほどコースからあふれ途中棄権が続出したレースでした。
この試合も1本目のスーパー大回転に期待し望んでいましたが、この日も斜面変化箇所でライン取りミスが出てしまい、2本目の回転種目もゴールが精一杯でfinish。
それでも粘ってゴールしたことで、今大会最高位を記録できたことは収穫でした。
・14日 大回転:18位
上位進出にはこの種目がラストチャンスであったため、反省を生かして落ち着いてできる限りの滑りをすることに集中しました。
しかし、80人ほど滑ってからの出走時、荒れた斜面の攻略ができず、後形姿勢の悪い癖も出たことで大差をつけられた試合でした。
・17日 回転:18位
最終種目、さらに気温も上昇、体感温度で20度ほどに感じ汗だくの日でした。
さらに雪も解けるため、2時間のコース整備時間を設け、大量の雪面硬化剤と放水がされたところ、予想以上にツルツルのアイスバーンとなりました。
日本チーム全体としてエッヂ調整が足りなかった結果となり、この日もゴールすることが精いっぱい、、厳しい大差がついた試合となりました。
このように、全く歯が立たなかった全5試合でしたが、このような成績の私に関わらず、身に余る賛辞や労いの言葉をいただけ、試合終了後、「胸がいっぱい」という言葉しか出ませんでした。
現地まで応援に駆けつけてくださった先輩社員の皆さんや、皆様からの熱い投稿やメッセージ、両親や兄弟、お世話になってきた知人の皆さん、そして、講演に訪問させていただいた全国の学校の生徒さん、児童の皆さんからの温かいメッセージや横断幕の数々。
「こんな自分に何故?」
と思うほどの温かい応援の数々に、感動が止まらず、言葉に現せられない嬉しさから、とにかく恩返ししたいと強く願う大会期間中の日々でした。
JTBコミュニケーションデザイン所属
パラアルペンスキー 日本代表 小池岳太