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2020年に向けたBridging the Dreamキャンペーン第2弾「ボランティア/気仙沼編」【東日本大震災】 祖母から孫へのバトン 気仙沼での出会い旅

JTBは、2020年に向けて、「Bridging the New~つながれば、はじまる。~」をスローガンに掲げた活動を展開しています。 その一環としてこの春、「あなたの夢、叶えます! Bridging the Dream」キャンペーンを実施。 全国から集まった多くの応募から、JTBが旅のさまざまな可能性を活かし、自分や家族、仲間たちと共につなぐ、5つの夢の実現をお手伝いするというものです。
今回は、5つの夢の1つをクローズアップ。 ボランティアを通してつながった気仙沼を再訪するという少女の夢の実現に密着しました。


復興が進んでいる気仙沼を、自分の目で見たい。

2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市。 今回のキャンペーン応募者は、2年前そんな気仙沼を訪れた中学一年生の鈴木一穂(かずほ)さんです。 「あれから2年経ったけど、復興がどのくらい進んだのかなといつも気になっていました。話には聞いていましたが、しっかりと自分の目で見てみたいなと。そんなときにこのキャンペーンを知ったんです。気仙沼をまた訪れたいと思い応募しました」。 一穂さんは少し照れながらも、今回の応募に対する強い思いを語ってくれました。

「ボランティアとしてとてもがんばっている一穂に、ぜひ気仙沼を見せてあげたかった。」と話すのは、2年前に一穂さんを気仙沼に連れて行った祖母の古尾谷敏江(こびやとしえ)さん。 敏江さんは、日本で初めて採用された女性消防士の1期生。 東日本大震災のあった2011年の4月に災害ボランティアとして気仙沼に駆け付け、それ以来、年に何度も気仙沼を訪れて災害復興の支援に力を尽くしてきました。 そんな敏江さんから声をかけられて、一穂さんはボランティアに参加するようになったといいます。


ボランティア民宿『若芽』で熊谷さんとのうれしい再会!

11月2日(土)、一穂さんは、母の和代さん、6歳の弟の一平君、祖母の敏江さんの4人で早朝に自宅のある横浜を出発。 東北新幹線一関駅から車に揺られること約1時間、宮城県気仙沼市南郷にある『若芽(わかめ)』に到着しました。 「わぁ、玄関がきれいになっている!」。 車を降りたとたんに、敏江さんと一穂さんから思わず大きな声が出ます。 その声を聞きつけたかのように、待ち構えていた、『若芽』の主人・熊谷敬三さんが出てきました。 「よく来たねぇ。大きくなったねぇ」と、一穂さんを見てニコニコとうれしそうです。 ちょっと緊張気味だった一穂さんも、熊谷さんの笑顔と元気に触れてホッとした表情を見せました。

『若芽』は熊谷さんの自宅を改装したボランティア民宿です。 ボランティアの人たちを応援したいと自宅を宿泊所として開放。 その時に、敏江さんもボランティアとしてこの宿にお世話になったそう。 「前に来たときは、建物があまりなくて、空き地や工事しているところが多かったけれど、今回はお店もたくさんできて、景色もきれいになっていてびっくりしました。いろんな人が気仙沼に力を貸すことで、復興が進んでいるんですね。横浜でのボランティアだけでは実感があんまりなかったけれど、実際に来てみて、自分が少しは役に立てたのかなと思えてうれしかったです。熊谷さんもこれから民泊を始めると聞きました。震災があっていろんな人との交流が始まって、それが新しいことを始めるきっかけになっているのがよかったです」。

2年間のブランクを埋める会話が弾み、楽しい時間はあっという間。 名残り惜しいけれど、元気な熊谷さんの姿を見て、「また来るね」と一穂さんも敏江さんも笑顔でお別れです。 「気仙沼は来るたびにみんなの元気がどんどん大きくなっています。その変化を引き続き見ていきたい」と敏江さん。 熊谷さんとの絆はシッカリとつながっているので、またいつか帰ってくる日は近いに違いありません。

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(左)一ノ関駅に到着した一穂さんと家族(右)ボランティアの宿「若芽」の主人熊谷さんとの再会

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熊谷さんに横浜での近況を報告

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(左)熊谷さんの話に聞き入る一穂さん、祖母敏江さん、母和代さん(右)新しく飾られていた『若芽』の看板

震災の物語を伝えるために。伝承館を見学。

次に向かったのは、今年3月にオープンした気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館。 気仙沼市は、東日本大震災による津波と火災によって、死者1,152人、行方不明者214人という大きな悲劇に見舞われました。 そこで、この経験を記憶にとどめ、警鐘を鳴らし続ける目的で造られたのが伝承館です。 伝承館の建物は、海がすぐ前にある気仙沼向洋高校の旧校舎。 校舎の4階まで津波が押し寄せたその爪痕は、資料として生々しく保存されています。 窓や扉が壊れた校舎の3階には、津波によって押し流された車がさかさまに乗り上げていました。 4階の教室も無残に破壊されています。 佐藤館長に案内されながら、その光景を無言で見学する一穂さん。 その眼差しは真剣です。

「津波が4階まで来るなんてすごく怖かったと思います。自分と同じくらいの年の人たちが、そんな怖い目にあったなんて信じられない。私の学校も海側にあるのですが、もしも同じことが起こったら、自分だったら怖くて逃げられないかもしれない。以前熊谷さんに当時の映像を見せてもらったけど、こうやって実際に被害にあった場所に来て説明を受けるとぜんぜん感じ方が違いますね。津波の破壊力は想像以上でした。普段、私たちは何の不自由もなく暮らしていているけど、これからは気仙沼をふくめ、もっと人の役に立ちたいと思いました。今日感じた気持ちを今後のボランティアの活動に生かしていきたいし、伝承館で見たことや知ったことは、友達やボランティアの仲間にも教えてあげたいです」。

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(左)伝承館に到着(右)震災当時の映像に見入る一穂さんと家族

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破壊された校舎をそのままの状態で遺構として展示

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(左)校舎横のがれきとともに折り重なる車(右)安波山から気仙沼湾を眺める一穂さんと家族

つばき会メンバーのキラキラパワーに感激!

この日の夜は、新しい出会いもありました。 気仙沼の観光を女性目線でサポートする気仙沼つばき会(※以下、つばき会)のメンバーと交流を深めることができました。 「はじめまして~!」と朗らかにやって来たのが、鶴亀食堂の若女将・根岸えまさん、ターンコーディネイターの千葉加奈子さん、気仙沼地域戦略の小柳朋子さんの3名です。

それぞれIターンやUターンで、気仙沼にやって来たこの3人は生き生きとしていてとても話し上手。 一穂さんも3人のおしゃべりに巻き込まれて大きな声で笑い転げました。 とくに大学生の時に震災ボランティアで気仙沼にやって来た根岸さんはボランティアの先輩でもあり、すっかり仲良しに。 やりたいことがあったら行動に移す。 そしてそれを応援するというつばき会の気風は、一穂さんの心にも新しい風を吹き込んだようです。

「つばき会の人たちはすごく楽しくて、話しているとパワーをもらえる感じです。気仙沼には何かしたいときに応援してくれる人たちがいっぱいいるなと思いました。私は、今はまだ何をしたいのか具体的には分からないんですけど、もしやりたいことができて、でもどうしたらいいのかわからなかったら、気仙沼に来てつばき会の人たちに会って、いろいろ教えてもらいたいです」。 3人のキラキラしたパワーをもらって、一穂さんの中に何かをやってみたいという気持ちが芽生えたようでした。

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気仙沼つばき会メンバー(えまさん、加奈子さん、朋子さん)と一穂さん一家

「またおいで!」。民宿の女将一代さんの熱い思い。

翌朝は、魚市場前に今年の夏にオープンしたばかりの『みしおね横丁』へ。 トレーラーハウスを利用した『鶴亀食堂』では、気仙沼で獲れた魚を使った定食が評判。 実はここ、漁から戻った漁師が集う店でもあり、汗を流してさっぱりできるように銭湯が併設されています。 そんな横丁散策の後に向かったのは、民宿『唐桑御殿つなかん(以下、つなかん)』です。 気仙沼市唐桑半島にある民宿『つなかん』に着くと、2階から女将の菅野一代さんが元気よく大漁旗をふって出迎えてくれました。

『つなかん』があるのは海が目の前に広がる御崎岬。 元は一代さんの自宅でしたが、東日本大震災で3階まで津波が押し寄せ、大きな被害にあいました。 その後、復興の中で交流したボランティアたちの「一代さんにまた会いたい」という声に応えて民宿を始めたそうです。 そして、これからは支援してもらったお返しに、いろんな人を応援していきたいといいます。 さっそく一穂さんにも「応援するね」とニッコリ。 最初は戸惑っていた一穂さんですが、一代さんの気さくな人柄にすぐに打ち解けて、「夏休みにおいで」という誘いにもうなずいていました。 「一代さんは明るくて、とっても面白い人ですね。本当はすごく辛いことがあったのに、そんなことが分からないほど元気で、周りの人を幸せにしているところがすごい」と一穂さん。 新しい魅力的な人と出会う度、一穂さんの人生にまたひとつ新しい扉が開かれているのかもしれません。

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(左)みしおね横丁(右)「鶴亀食堂」のスタッフと一穂さん、敏江さん

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(左・右)民宿『つなかん』の女将一代さんとの交流

楽しいを復興に!?"ほぼ日"スタイル

気仙沼でさまざまなプロジェクトを立ち上げた"ほぼ日"こと、糸井重里さん率いる『ほぼ日刊イトイ新聞』の気仙沼支社にもうかがいました。 2011年11月からスタートした、気仙沼のほぼ日は、落語家の立川志の輔師匠を招いた『気仙沼さんま寄席』や、気仙沼を巡る『マジカル気仙沼ツアー』など、たくさんの楽しいことを気仙沼にもたらし、街の人たちの心の支えとして貢献してきました。 そんな気仙沼の"ほぼ日"へ案内してくれたのは、人気連載漫画『沼のハナヨメ。』の作者であり、スタッフでもある佐藤由実さんことサユミさん。 この旅では、つばき会メンバーや民宿『つなかん』の一代さんとの縁をつないでくれました。 ほぼ日の事務所では、一穂さんと敏江さんは、サユミさんにいろいろと質問を投げかけて、興味津々です。 「ボランティアとして、こういう活動の方法もあることを知ってうれしくなりました。」と敏江さん。 一穂さんも、おばあちゃんの言葉に大きくうなずきます。

残念なことに今年11月1日をもって気仙沼の"ほぼ日"はお開きとなりましたが、『気仙沼ニッティング』のように、ここから生まれて独立したプロジェクトはたくさんあります。 『東北ツリーハウス観光協会』もそのひとつ。「東北に100のツリーハウスを作ろう!」という糸井重里さんの一言から始まった活動も順調に歩みを進めています。 今回は、そんなツリーハウスにも案内してもらいました。 中は思ったより広く、窓からは水平線が眺められます。 快適なツリーハウスに登ってリラックスしたところで一穂さんと敏江さんの今回の旅は終了。 ほぼ日では今後も、この8年間の気仙沼の人々とのご縁を大切にしていきたいと考えているそうです。

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(左・右)ほぼ日の活動を紹介するスタッフのサユミさん

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(左)気仙沼さんま寄席の様子(右)マジカル気仙沼ツアー準備の旅での一場面

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(左)みしおね横丁のオープン時(右)お開きの会であいさつする糸井重里さん

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(左)ほぼ日のプロジェクトのひとつでもあるツリーハウス(右)ツリーハウスの中を探検

新たな夢につながる出会いがいっぱい!

2年前に訪れた気仙沼をもう一度、自分の目で見てみたい。 その夢をかなえた一穂さんは今回の旅でどんなことを考えたのでしょうか。
「前に来た時は小さくてよくわからないこともあったれけど、今回は伝承館などを見学して気仙沼の災害のすごさがよくわかりました。そして、たくさんの人が努力したり、ボランティアの人たちの力を借りたりして、建物や道をここまで作れたことが素晴らしいです。人間の力ってすごいなと思いました」。 菅野さんやサユミさんの夢に向かってまっしぐらに進むパワフルさ、また一代さんの震災をも乗り越えたバイタリティは、一穂さんの背中を押す力になったようです。 「まだわからないけれど、自分でも何かできることを探していきたい」と大きな笑顔を見せてくれました。 一穂さんは、中学校で『ドルカス』というボランティア団体にも所属していて、普段から学校でもボランティア活動をしています。 「今回の気仙沼での体験を『ドルカス』の顧問や先輩たちにも話してあげたいです」と目を輝かせます。 「今回は一穂にとってもいい経験ができました。楽しいだけではなくて、いろいろなことを考える機会をもらった旅でした。ここで出会った人たちとの輪がずっとつながれるように応援していきたいですね。」と敏江さん。 一穂さんがこれからどんな中学生活を送るのかは未知数。 この旅が次のステップへの大きな原動力となり、新しい夢をつないでくれるに違いありません。

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JTBTokyo2020プロジェクト推進室室長久家実

この度は、ボランティアを通して「つながった」気仙沼を再訪し、普段からボランティア活動に熱心な一穂さんの夢を叶えるお手伝いをさせて頂きました。 一穂さんの真っすぐな眼差しから、私自身にとっても「心と心でつながる大切さ」について、考えるきっかけを頂きました。
Bridging the Dreamキャンペーンにご応募いただいた、一穂さんとご家族に改めて感謝申し上げます。
2020年、まもなく訪れる世界最大のスポーツの祭典に、JTBは、「Bridging the New~つながれば、はじまる。~」をテーマとして、世界中の方々の「感動」や「歓び」の架け橋となれればと存じます。
これからも多くのみなさまの夢の実現とその先の素晴らしい未来をご一緒に築けるよう、JTBは、旅を通じて想像を超える感動をお届けしてまいります。

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