タイ スコータイ遺跡の歴史とおすすめ観光スポット
バンコクから北へ約440km、古都スコータイはかつて約200年間スコータイ王朝が繁栄した地でした。
タイの人々にとってスコータイ王朝はひときわ重要な存在、と言われています。
それは、おそらく最初のタイ人の国家であり、現在へとつながる国の原型を築いた王朝でもあるからです。
クメール帝国からの独立
かつて中国雲南から南下してきたと言われるタイ族の祖先は、広大なスコータイ平野に辿り着きますが、そこは当時インドシナ半島の大半に広がるクメール帝国の支配下。タイ族の人々は最初、この王朝の支配下に組み込まれてしまいます。
しかし13世紀に入ると、絶大な勢力を誇っていたクメール帝国急速に衰退し始めます。この機を逃さずクメール帝国に反乱を起こしたのが、タイ族の人々でした。そして他民族に先駆けていち早く独立を宣言し、1238年「スコータイ王国」を建国したのです。スコータイとは「幸福の夜明け」という意味。タイ族の人々の国への希望や喜びが込められていたのかもしれません。
名王ラームカムヘン大王
13世紀末、第3代ラームカムヘン大王の時代に、領土は拡大され王国は全盛期を迎えます。スコータイ周辺にとどまっていた支配地域を、北はルアンパバーン(現在のラオス)から南はマレー半島にまで広げたのです。ラームカムヘン大王は、セイロン(現スリランカ)から仏教を取り入れて国教にしたり、国王自らが庶民の直訴に耳を傾けるなど善政で知られ、また現在のタイ王国へと通じる国家の基盤を整えました。タイ文字が考案されたのもこの時代で、大王の碑文の中には「田には米あり、水に魚あり」と国土の豊かさが歌われています。
しかしその後は少しずつ力を失ってゆき、代わって領土内の一部族だったアユタヤが勢力を伸ばし始めます。そして1436年、6代リタイ王の時代にアユタヤの支配下に入ることになりました。王朝はわずか198年で幕を下ろしたのです。

王朝を代表する3つの遺跡群
ラームカムヘン王以降、王国で仏教は保護され、多くの寺院や仏像が築かれました。特に6代リタイ王は、学者でもあり一時出家するなどして人々に教えを説き、さまざまな寺院や仏像が建てられました。
王朝の中心となったのは、現在のスコータイ市の西約12kmにある「ムアン・カオ」と呼ばれる地域、そしてスコータイの北約50kmにあり、軍事・交易の重要拠点であった「シー・サッチャナライ」、またムアン・カオの南西部に築かれた要塞都市「ガンペーン・ペット」の3つの都市でした。特にムアン・カオは都として栄え、一方シー・サッチャナライは副王が統治するなど王朝の重要な拠点でした。
王朝の衰退後には忘れ去られてしまい、森に呑まれるほどに荒廃していたスコータイの遺跡群ですが、ユネスコやタイ政府が精力的に修復、整備して、これら3つの遺跡群は当時の姿を取り戻し、1991年にユネスコの世界文化遺産に指定されました。
目を見張る独特の曲線美の数々 ムアン・カオの仏教遺跡群
ムアン・カオと呼ばれるかつての都の一部は、現在スコータイ歴史公園として整備されています。東西1.8km、南北1.6kmの城壁と水路で囲まれ36カ所の遺跡がある中心部と、その外部の東西南北に散らばる約90カ所もの仏教遺跡群からなります(小さなものまで加えると300以上になる、とも言われています)
ワット・プラ・マハタート (Wat Phra Mahathat)
スコータイ歴史公園で最も重要な存在となる遺跡。200m四方の堀に囲まれた寺院で、ラテライト石を積んで造った本堂の基盤の上に、高さ8mほどの巨大な座仏像があります。そのたおやかな表情や均整のとれた体型は、風化の進んだ現在でも大変美しいものです。その前方にはいくつもの仏塔が。中央の仏塔は蓮のつぼみ型と呼ばれるスコータイ独特のもので、その基壇には、「遊行するブッダの弟子たち」の像が彫られています。スコータイ仏教芸術の最高傑作の一つで、独特の曲線美で穏やかにほほ笑む仏僧たちの姿が深く印象に残ります。
ワット・シー・サワイ (Wat Si Sawai)
中央に3基の仏塔からなる本堂が美しい遺跡で、クメール帝国時代の12世紀頃のものとされています。もともとはヒンドゥー教寺院でしたが、スコータイの時代に仏教寺院になりました。初期のスコータイがクメールの影響下にあったことを示す貴重な遺跡の一つです。
ワット・プラ・パイ・ルアン (Wat Phra Phai Luang)
公園の外、北側にある遺跡。この寺院は600m四方の城壁で囲まれています。このエリアはスコータイ王朝が誕生する以前、クメール支配下の時代にスコータイの町の中心だったと考えられています。クメール様式を色濃く残していて、3基の仏塔が並ぶ御堂は、クメール帝国ジャヤーヴァルマン7世の時代のものだとか。スコータイ最古の寺院です。
ワット・シー・チュム (Wat Si Chum)
公園外、ワット・プラ・パイルアンのそばにある寺院。約18mというスコータイ王国最大の大仏坐像が、巨大なお堂に収められています。この仏像はラームカムヘン大王によって建立されたと言われています。
なお公園内には、ラームカムヘン大王の記念碑(像)が建てられています。今も多くの人々から理想の君主として崇拝されている王を讃えるものです。この公園を訪れるタイの人々は、最初にこの像を参詣するのが習わしです。

ワット・プラ・マハタート

ワット・プラ・パイ・ルアン

ワット・シー・チュム
観光客も少ない樹海の遺跡 シー・サッチャナライ
スコータイ遺跡公園から北へ約50kmにあるシー・サッチャナライの遺跡。遺跡は町の中心から少し離れた森の中にあります。
ヨム川が大きく蛇行したところに築かれ、かつては川を天然の堀としていたことが伺えます。町はスコータイとほぼ同時期に建設され、副王の居住地だったので王都と合わせ「双子の町」と呼ばれていました。遺跡観光の中心となる「シー・サッチャナライ遺跡公園」にはおよそ140の遺跡が整備されています。
ワット・チャン・ロム (Wat Chang Lom)
象の半身像39頭が基壇を囲み、その上にセイロン様式の巨大な仏塔が構えていて圧巻です。この仏塔は、ラームカムへン大王が建立したと言われています。ワット・チャンロムとは「象が囲む寺」という意味です。
ワット・チェディ・チェットテーオ (Wat Chedi Chet Thaeo)
7つの大きな仏塔と26の小さな仏塔からなる寺院跡。中央に高くそびえる仏塔は、スコータイ独特の蓮のつぼみ型です。周囲の小さな仏塔はそれぞれ様式が異なり、セイロン様式やクメール様式、北部タイ様式のものなどさまざまです。
ワット・ナーンパヤー(Wat Nang Paya)
セイロン様式の細い尖塔の仏塔が印象的な寺院ですが、見どころは御堂の壁に残された美しい漆喰彫刻。アユタヤ時代の文様で、細かい唐草模様が壁や窓枠、透かしの部分にえがかれています。7室あった御堂も、今では唐草模様が美しい1室の壁面を残すのみで、あとはほぼ崩壊してしまっています。

「象が囲む寺」という意味のワット・チャン・ロム
スコータイへの行き方
スコータイへは、バンコク・スワンナプーム国際空港から飛行機で約1時間10分(バンコクエアウェイズ)、鉄道の場合は、バンコク・フアランポーン駅からスコータイの最寄り駅ピッサヌローク駅まで約7時間、そこからスコータイ行きの路線バスで約1時間です。またバンコク北バスターミナルから、スコータイ行きのバスが多数出ています(約7時間)。
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