番 純来(場所:奈良県)
京都駅から、JR奈良線のみやこ路快速に乗り、奈良を目指す。私のお気に入り電車だ。途中、宇治駅で下車してみる。
ポストの色は、国によって異なる。このことは、実際にいくつかの国に訪れて確認した。例えば、中国は緑色、フランスは黄色、日本は赤色だ。だから、国内では「ポストは赤色」は常識だと思っていた。しかし、この宇治駅を出たところにあるポストは例外だ。「赤色じゃなくてもいいの?」私は驚いた。なんと、深い緑色の茶壺の形をした大きなポストなのだ。どっしりと座っているような大きな茶壺は、私をじっと見ている感じがする。そして「ここからは宇治だよ」と私の耳に聞こえてくる。とても不思議な感覚だ。足が軽くなってくる。
そのまま、抹茶の香りが漂う平等院まで続く道を進む。どんどん引き込まれていく。そして、大きな宇治川沿いで足が止まる。毎日見ている江戸川とは違う不思議な雰囲気だ。
向う岸は緑の森のようだ。あまりにも大きな川なのに、架かる橋の幅が狭く感じる。不思議だ。なぜ狭く感じるのだろう。川の色が深いからだろうか。落ちてしまわないか不安だから、ゆっくり渡ってみる。
緑の森の中に、小さな宇治神社がある。その後ろの山は、空と繋がっているように見える。まるで空への階段のようだ。なんだか、うっとりしてくる。静けさが、より深くなっていく。世の中は新しい令和の時代を迎えているのに、タイムスリップした感じがする。過去ではなく「未知」だ。とても新鮮だ。かけがえのないときに感じる。
一歩一歩ゆっくり、この細い道を進むと、どこへ行くのだろう。遠い遠い「古(いにしえ)のとき」に繋がっているかのようだ。
宇治の深い静けさにうっとりしながら、さらにみやこ路快速に乗り、奈良駅を目指す。宇治まではどの車両も混んでいるのに、その先はいつもガランとしている。それが私の心をワクワクさせる。
奈良公園では、沢山の鹿たちが出迎えてくれる。奈良公園の鹿は、春日大社の神使といわれている。宇治の香りとは違い、土の匂い、木々の匂いがする。山々が私を見て笑っているような気がする。なぜだろうか。宇治の深い静けさとは反対に、山が動いている感じがするからかもしれない。
私はいつの間にか、鹿たちに夢中になり、気がつけば東大寺を過ぎていた。目が幼い、痩せている鹿が、
「こっちだよ。こっちだよ。」
と、どんどん山の中に私を連れていく。
二月堂まで来てしまった。古の都を見下ろす。まるで魔法にかかったような感覚だ。
「けふ九重に匂ひぬるかな」
ここは、古の都だった。昔から沢山の歌も詠まれている。その中には、「桜」や「梅」がよく使われている。実は、鹿せんべいが大好きな鹿たちは、意外にも梅や桜の花びらを好んで食べるといわれている。
「春日野に 粟蒔けりせば 鹿待ちて」
と、実際、万葉集には「鹿」が詠まれているのだ。きっと鹿たちは、悠久の歴史の中に生きているのだろう。
そんな沢山の歌のおかげで、当時の情景が私の心の中に蘇ってくる。私もかつては、ここで、生きていたのかもしれない。人々の心は、現代にも繋がっていると実感する。
「春の道 子鹿に誘われ歩きつつ 東大寺過ぎ山笑い 私も歴史の一ページ」
「みやこ路快速」は、時空を越え、古へ向かう不思議な感覚になる電車だ。そして私は毎年訪れる。
「私も歴史の一ページにいる。」
そんな感覚が、ワクワクするからだ。
※文中に登場する会社名・団体名・作品名等は、各団体の商標または登録商標です。
※本文は作品原稿をそのまま掲載しています。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。