今西 広美(場所:長崎県)
「どんなに大変だっただろう…。」
私は長崎の原爆資料館に来ている。この資料館には、原子爆弾が落ちた時の物のじょうたい、または人のすがたがのっている。
時計は、焼けただれてぐちゃぐちゃになっているし、ガラスのビンは「これでもか!」というぐらいぐにゃぐにゃに曲がっていた。私は、(もし、この時代に生きていたらどうすれば助かるんだろう。)と思った。
お母さんに話を聞いてみた。
「もし、原爆が落ちたとしたら、どうすれば助かるの?」
お母さんは言った。
「原子爆弾は爆発すると同時に放射能っていう体に悪い光を出すから、それで死ぬ人もいるんやで。」
と教えてくれた。
じゃあ、たまたま生き残ったら、どうするんだろう?そのぎ問の答えは、この資料館にあった。
そこには、このような名の写真があった。
『焼き場に立つ少年』。
写真を見て、私は、兄はボロボロになりながらも、弟をおんぶして、「助けて!」と言っているんだろうと思った。でもちがった。せなかにせおっている弟はすでに死んでいて、その弟を焼く順番を待っている時の写真だった。私には弟がいる。自分がこの少年だったら、どうしただろう。たまたま生き残っても苦しいだけだったかもしれない。私は、(人はどうして人をきずつけたがるんだろう。)と思った。
長崎には、おじいちゃんとおばあちゃんがいる。私は毎年遊びに行く。きれいな海にきれいな町なみ。きれいな空。どれもみんな大好きだ。人をきずつけるのは人である。でも、焼け野原になった長崎をここまできれいにもどしたのも、また人間だ。私も人であるい上、この自ぜんを二度とはかいしないように、また、二度とせんそうを起こさないようにど力したい。
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