深瀬 惇(旅先:カルムイキア共和国)
午後五時を過ぎると気温は零下十度に下がった。この時期としては暖かい方だというが、ぼくの耳はちぎれそうに痛い。あの時と同じように外は薄い雪が舞っている。
2019年3月、ぼくはロシア連邦のカルムイキア共和国にあるチベット仏教の名刹、シュメ寺院の山門で、ある人を待っていた。
暫くしてその人はゆっくり歩いてきた。ぼくの前で立ち止まり、じっと顔を見つめて合掌した。穏やかな顔も、赤い頬も、素足で歩くのも、あの時のままだ。違うのは、彼が威厳を湛えた壮年になり、ぼくは年老いた。その落差が長い時の流れを示していた。
話は十八年前にさかのぼる。ぼくはチョウザメのキャビアの買い付けで、カスピ海沿岸の漁村に滞在していた。
商談が予定より早くまとまったので、小旅行でもしようと思い立った。水産会社の社長は「車で四時間ほど走るとカルムイキアというモンゴル族の自治国があるよ。俺たちはチベット仏教共和国と呼んでいるがね」と声を出して笑った。ロシア人の社長の口ぶりには露骨な蔑みがあった。
「それならなおのこと行ってみたいな。日本人はチベットが大好きだからね」
ぼくはやんわりと返した。社長は「そうだ日本人もモンゴル系だったね。仏教国というのも同じだな」と頭をかいた。
村で唯一の大学卒だという青年が、翌日車で送ってくれた。彼は運転中ずっとしゃべり続けた。
「カルムイキアは世界で最も西方にある仏教国です。住民は数百年前に中国方面から来たオイラート系の子孫で、帝政期に強制移住や宗教迫害などを受けました」
最初は客観的な説明だったが、青年は次第に独自の歴史観を語り始めた。
「ロシアのような他民族国家には、支配する階級と支配される階級がいます。主要民族が国を統治し、少数民族は国の構成要素として辺境を防衛する。民族はそれぞれの能力に応じて国家に貢献できるのです」
――このロシア青年も少数民族に対する差別感覚は、あの社長と変わらないな。
ぼくは聞かないふりで目を閉じていた。青年は急に話題を変えた。
「戦争に負けてシベリアに来た日本兵も、ソ連の国土開発に貢献できて幸せでした」
――ちょっと待てよ、それ違うだろ。
反論しようと体を起こしかけたとき、車が止まった。シュメ寺院に着いたのだ。
「日本人は喜んで働いたわけじゃないよ」
ぼくはひとこと言って車を降りた。青年はそれをどう解釈したのか、「日々の労働成果を現場で実感できた日本兵は幸運です」と、屈託のない笑顔を残して帰って行った。
ぼくは苦い気分のまま、山門脇のマニ車に向かった。極彩色のマニ車のドラムが九本ある。経典を内蔵したマニ車を回転させると、回した数だけ功徳が得られるという。
一本目を回そうと素手で触れて、ぼくは思わず手を引っ込めた。巨大なドラムの表面も回転軸も凍てついて、両手に力を込めないとびくともしない。これを九本も回すと凍傷になりそうだ。
茫然としていたら、えんじ色の僧衣をまとったクリクリ頭の少年が小走りに寄ってきた。この寒さに素足だった。
「日本人ですか。本モノですか?」
カルミックの少年は訛りの強いロシア語で聞いた。ふだんはあまりロシア語を使わないのだろう。少し変な話し方だが、それがまた素朴で新鮮だ。ぼくは少年の自尊心を傷つけないよう、噴き出しかけたのをこらえた。
「ダーダー(はいよ)、本モノの日本人だよ。どうしてわかったの?」
「日本人はウシャンカ(耳当て付きの革帽子)をかぶらないね。耳が凍らないですか」
「君こそ素足で寒くないですか」
「マンジ(見習い僧)はいつも裸足です」
少年は十六歳、ドルジンと名乗った。家が貧乏で学校に行けず、七歳でシュメ寺院のマンジになった。いまは後輩マンジたちのリーダーをしているという。
「日本も雪が降りますか?」
「冬は家の屋根まで積もる所もあるよ。富士山も真っ白になります」
「フジ…、写真で見ました。綺麗です」
ドルジンは目を細めた。
ふつうのカルミックは一度も外国を見ることなく、この地で生涯を終える。遊牧で暮らす人たちにとって長期の旅行はできないし、何より先立つお金がない。人々は外国の写真で未知の世界を想像するしかない。それが虚しい憧憬とわかってはいても、若い世代は華やかな外国を夢見る。「本モノですか?」と話しかけた時のドルジンの目の輝きを、ぼくは今でもはっきり覚えている。
「海の向こうのガスパジン(あなた)と、草原の国のぼくが同じ顔…。なぜですか?」
ドルジンから憧れのスターを見るように眺められると、さすがに気恥ずかしい。
「同じ祖先から分かれて生まれた君とぼくには、同じ血が流れている。仏教という文化で育った環境も同じだよ。君が生まれたこの国は世界で最西端の仏教国だから」
ぼくはあのロシア青年の話を受け売りした。その途端、ドルジンが強く首を振った。
「ロシア人はよくそう言いますが、間違いです。正しくは東方の最初の仏教国です」
カルムイキアは日本やモスクワから見ると最も西方の仏教国になるが、ドルジンはそれを「自分勝手な見方」だと否定した。宗教世界という大きな目で眺めると、キリスト教文化のヨーロッパの東方に仏教世界があり、その最初の仏教国がカルムイキアだという。
「そうすると仏教世界の東端にある日本は、東の最果ての仏教国になりますね」
そう言うと、ドルジンはまた首を振った。
「ニェニェ(とんでもない)。日本は西方の最初の仏教国です」
ぼくの頭が混乱した。
「ヨーロッパの西方世界に目を移すと、最初の仏教国が日本になるじゃないですか」
「なるほど、ユニークな発想だね。この修道院ではそう教わるのですか」
「いいえ、ここに来て初めて地球儀を見たときに気づきました」
人は自分の立ち位置を中心にして物事を判断しがちだが、それは相手のことを考えない傲慢さの裏返しでもある。ぼくは十六歳の少年にそのことを教えられた。
マニ車の前で話し込んでいるうちに寺院の参観時間は終わっていた。
「ガスパジンが、ぼくらは同じ血統だと言ってくれて、とても幸せになりました。ぼくは来月インドの僧院に入ります。チベット仏教の僧侶の資格を得るためです。仏法のほかに医学や数学の勉強もします。人々にマントラ(真言)を唱えられる僧侶になるまで帰りません」
ドルジンは名残惜し気に言った。彼なら立派に修行をこなして、いつかこの国の仏教界を背負って立つ僧侶になるだろう。
ぼくはメモ紙に自分の住所を書き、五円玉を一枚添えて彼に渡した。
「君とのご縁が永遠に続きますように、という意味だよ。手紙をくださいね」
「五円とご縁」の語呂合わせを説明したが、ぼくの拙いロシア語で意味が通じたかどうかはわからない。ドルジンは五円玉を手のひらに抱き、ぼくに合掌した。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。