村田 彩奈
平成最後の夏、私は目標をかかげた。「他人よりも楽しい夏にする。」と。
夏休みの二週間、私はメープルで有名な国へホームステイをしに行った。そう、カナダである。外国に行くことさえ初めてだった私は、日本を出れたことが嬉しかった。
飛行機に乗ること約九時間、荷物を受け取ってやっと着いたと思ったら、目の前の掲示板から異国語がとび込んで来た。
「そうでした。ここは日本ではなかった。」
そう思った瞬間、急に不安にかられて現実に戻った気がした。読めない異国語、飛びかう知らない言葉、自分達とははるかに違う顔つきの人々。現実はそう甘くはなく、浅はかにしか考えていなかった私を苦しめた。
ホストファミリーと初めて会った日の夕方、スーパーに買い物に行った。私に気づかってホストファミリーの人達は話しかけてくれた。子供が何やら吸血鬼の人形について話を振ってきたのだが、目を見開いて相手を見て最大限に耳を使ってもさっぱり理解できず、その日は結局一言も話せずに終わってしまった。部屋のベッドがダブルベッドだったのが唯一の心の支えだった。これでは目標が全く達成できず、カナダに来た意味も無くなってしまうので、次の三つを心がけることにした。まず、分からなくても自信をもって応えること。二つ目は、分からなかったら何度も聞くこと。三つ目は、難関の、自分から話しかけること。日本を出発する時から考えていたことだが、いざ異国の地に来てしまうと、自分の思った通りにはできなかったのだ。
少しだけホストファミリーとの生活に慣れてからも慣れなかったのがお弁当の量が多い、そしてお菓子の割合が高過ぎることだった。友達には、まるごと果物が入っている子もいた。とにかく果物が食卓に出て来ることが、私のホストファミリーの家も含めて多かった。日本のように季節があるわけではないので、夏に苺が食べられたのはとても嬉しかった。
ホストファミリーの家に来てから一週間くらい経って気付いたことがあった。家の鍵が常に開いていたのだ。ホームステイ先がナナイモ島という島だったからだと思うが、島の人達は皆親切で、ダンス教室やヨガの授業等で初めて会った人達でも私に優しく接してくれた。そのため、居場所が無くて困るということは無く、一緒にダンスを楽しんだり、少し話をしたりして過ごした。
日本に帰る日が近づいて来て別れを皆が惜しみ始めた頃くらいに、友達と私のホストマザーとモールに行くことになった。ホストマザーに付き合って化粧品売り場に入ると、そこには何種類もの色のフェイスパウダーが置いてあった。それらには様々な肌の色の人達の写真のシールが貼ってあった。日本ではあまり見られない光景に私は圧倒された。我にかえって、
「カナダは多国籍国家だからか。」
と納得しそうになって、はっと息をのんだ。多国籍国家ではないから、日本ではないのではなく、その意識を変えなくてはいけないのではないか。日本も、世界も見習うべきではないのか。アメリカで黒人射殺事件が起こったというニュースがよく飛び交っているが、私のような他人事だと思っている人がたくさんいるから世界は変わらず、差別は無くなっていないのではないか。フェイスパウダーの色が無いだけで差別にはならないだろうが、これで世界を変えることはできると思った。たくさんのことを考えさせられる一日だった。
カナダに行って、失ったものなんて、失くしたTシャツと体の水分くらいで、得たものは英語の少しの上達と自分の考え少しと友達や先生、家族、たくさんの野菜や果物、エネルギーとまだまだたくさん。一番は楽しかった思い出を得たことだ。おかげで目標は達成できた。
私が異国の地で得た友人、先生、第二の家族は今何をしているのだろう。私の得た友人、先生は、カナダで通っていた学校の先生と生徒だ、生徒達は私達と同じくらいの年齢だが、見た目がとても大人びていた。先生はとても優しかった。ホストファミリーの子供達はとても賑やかでかわいかった。同じ空の下、この地球で、彼らが笑ったり悲しんだり怒ったり喜んだりしながら、今日も一日を過ごしていると思うと少し嬉しくなる。カナダへ行かせてくれた両親に感謝したいと思う。そして、彼らに出会えたことに感謝。彼らが日常の隙間のふとした瞬間に私達のことを思い出してくれたらいいなと思う。
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