梶村 孟史(場所:北海道小樽市・夕張市)
ゴールデンウィークにぼくとお父さんと旭川に住むお父さんの友達と三人で北海道を旅行した。お父さんの友達は鉄道のことに詳しくて鉄道好きのぼくを北海道の鉄道の歴史が分かる色々な場所に連れて行ってくれた。
北海道の冬は寒く、雪が降る。線路が雪に埋もれてしまうと鉄道は走れない。だから北海道の鉄道は除雪するためにとても苦労している。ぼくの住む横浜では大雪が降るとすぐに電車の本数が減ったり止まったりする。最初に連れて行ってもらった札幌市電の車庫では、雪をどかしながら走るササラ電車など除雪するための苦労を詳しく知ることができた。
何よりもすごかったのは、小樽市総合博物館だ。この博物館は日本で三番目に開通した旧手宮線の跡地に建てられていて、大正時代に製造された転車台がある。その転車台は百年近くたった今でも使える。ぼくはなぜ日本で三番目の鉄道がここなのか不思議に思った。明治時代に日本で最初に鉄道が開通した東海道線の横浜−新橋間、二番目が東海道線の大阪−神戸間。その次がなぜ小樽なんだろう。この路線は幌内炭鉱で取れた石炭を小樽港から積み出すために作られた。昔は蒸気機関車も発電も製鉄も石炭をエネルギー源として使っていたので、石炭はとても大事な資源だった。手宮線は石炭の輸送の要だった。何もない土地に新たに線路をしいて鉄道を走らせるのは大変だったと思う。でもその鉄道に沿って町ができ、人々が暮らすようになった。
お父さんの友達と合流する前にお父さんと二人で石勝線夕張支線の夕張駅に行った。夕張駅には一日五本しか電車が来ない。夕張までの石勝線の沿線の風景は静かでさびしかった。新聞記事にもなっていたが、JR北海道は経営がだんだん難しくなってきている。そのせいで一日の平均乗降人数が少ない路線が廃止されている。夕張支線も廃止予定の路線のひとつだ。夕張は昔、炭鉱で栄えていてたくさんの人が住んでいた。しかし、石油が主な燃料として使われるようになると炭鉱は廃止され、住んでいた人の多くが夕張から出ていき、大きな町から田舎へと変わってしまった。夕張駅は来年の四月に廃止されることになっていて、もう鉄道で行くことはできない。「こんな緑がきれいなところなのになぜ人が出ていってしまったんだろう」と思った。
北海道鉄道の旅は北海道の鉄道の歴史と過疎化が進んだ現在を知る旅だった。帰ってから夕張の町のことを調べた。すると、日本の過疎化を代表するような町だということが分かった。このような町をほうっておいてはいけないと思った。次の子ども達に渡せるような元気な町がいい。昨年からぼくが参加している、子どもがまちづくりに参加するボランティア活動みたいなところに、よりよくしていくためのヒントがあるように思った。まずは身近なまちづくりに参加しながら、夕張や色々な町のことも少しずつ考えていきたいと思った。
鉄道好きである小学6年生の筆者とお父さん、鉄道に詳しいお父さんの友人との3人での、ゴールデンウィークに行った北海道の鉄道の歴史を巡る旅を描いた作品。日本で三番目に鉄道が開通した小樽、かつてのまちの繁栄を鉄道が支えた夕張など、訪れた先の鉄道と街の歴史を、自身が住む横浜との違いを考える旅が生き生きと描かれている。
・北海道の鉄道旅行を通じて過疎化の現実にふれ、鉄道や地域の歴史を調べて、自分の考えをしっかりした文でまとめている。
・小樽市総合博物館や、廃線予定の夕張駅を訪れた感想が丁寧に書かれている。
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