嶋村 康 (旅先:鹿児島県種子島)
「へぇ、これって申し込んだら、学校から種子島に連れて行ってもらえるんだって。」
ホームルームで配られたプリントを見た母が言った。
「うん。でも、それって抽選だよ。」
ぼくは正直言って乗り気じゃなかった。夏休みの三日間、学校の人と旅行するより、自分の好きなことをしたいと思っていた。だから、たたみかけるように言った。
「旅費は自費だし、高いんじゃない?」
「いいえ。あなたが他では得られない経験ができるとなれば、旅費は高くはありません。」
母は断言し、父にプリントを見せた。
「まずは手を挙げてみたら良いじゃないか。抽選に当たるか分からないしな。」
そんなわけで、ぼくは「地球学特別プログラム」に申し込んだ。
京都から鹿児島中央駅まで新幹線。特攻基地があった知覧で、平和資料館に行き、語り部の方の話を聴いた後、鹿児島港から種子島へ、高速船トッピーで向かった。
ただのフェリーだと思っていたら、高速船は本当に高速だった。海の上を飛ぶように進み、窓の外の景色が滝のような速さで後ろへ流れ去っていった。
以前読んだ椋鳩十氏の「海上アルプス」という本の中で「第二次世界大戦前には鹿児島から種子島まで一日。そこから「海上アルプス」の屋久島までさらに一日」と、海の旅にかかる時間が記されていたのに、ぼくはトッピーに一時間半乗っただけで、もう島に上陸していた。
種子島というと「鉄砲伝来の島」だが、島に二泊して、全く印象が変わった。
「鉄砲伝来の島」は、伝来の地の「石碑」を民泊先の農家の方に案内していただいただけで、ぼくにとって種子島は、「宇宙に近く、自然と共に生きられる島」となった。
朝から訪れた「種子島宇宙センター」では「みちびき」の発射を前にした様子を近くで見ることができた。また、名前は知っていたけれど、よく知らない「はやぶさ」の模型や説明板から、知ることも多かった。そこから少し離れた場所にある、「みちびき」の時にも使われるという、ロケットの「管理室」も眺めまわすことができた。
また、夕食前には魚の夜釣りにでかけた。「種子島一の釣り場に連れて行ってやる。」
と、民泊の方が連れて行ってくれた所では、言葉通り、一時間に十匹位も釣れた。釣りより、針を取る方に手間取ってしまった。
民泊させてもらった農家からは一日目の夕食で食べた「アサヒガニ」を水あげしている場所を見に行かせてくれたり、「安納いも」などを扱う仲卸市場で、島の野菜について、実物を見ながら学ぶ機会も得られた。
スーパーで購入した食材から調理されたものを普段食べているぼくからしたら、海のものや畑のもの、その日に手に入ったものが食卓に並ぶ日々は、とてもぜいたくな気分だった。天候によっては、外からは食べ物が手に入らない日もあるだろう。でも、家畜にやるえさまでも備蓄してある農家では、工夫すれば、なんとでも食いつないでいけそうだった。
島での生活は、自給自足ができるような環境を周りで協力し合ってつくりあげているんだと実感した。
島を離れる際、農家のおじさんが「黒砂糖」をプレゼントしてくれた。ぼくと民泊した仲間が
「黒砂糖を食べたことがない。」
と夕食時に話していたことを覚えていて、お土産として準備していてくれたのだ。
種子島の人の心の豊かさを感じながら、ぼくは、黒砂糖をかじって味わった。
最初、参加を渋った「地球学特別プログラム」だったが、行ってみてよかったと、今は心から思える。
普段とは違う暮らし、生きる場所でのその場らしい生き方、心に余裕を持って生きる器の大きさ、そして、科学と自然が隣り合わせで、良い具合の共存をみせる種子島。
次は、種子島宇宙センターからロケットが発射されるのを見学に行きたい。そして、その時も、またあの農家へ民泊したいと思う。
種子島での地球学特別プログラムに参加し、民泊先での触れ合いや多くの発見を通して普段の生活との違いを感じ、その場所らしい生き方に対して思いを巡らせる
●種子島での地球学特別プログラムに参加し、民泊先での触れ合いや多くの発見を通して普段の生活との違いを感じ、その場所らしい生き方に対して素直な思いが書かれている。
●種子島の農業や漁業の体験の魅力が伝えられており、こんな旅がしたいと思える内容で書かれている。
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