上田 史比等 (旅先:ケニア)
「夏休みに、家族でアフリカに行こう。」
父の提案に、僕は唖然とした。行き先がアフリカだからではない。父が無職だったからだ。
外資系企業の執行役員(が何なのか僕にはイマイチわからないが)だった父は、今年、会社をクビになった。何かやらかしたという訳ではなく、それどころか、業績は業界トップだったらしい。ただヨーロッパ人の社長と馬が合わなかっただけ、だそうだ。そんなことでクビになるものだろうか。
クビになる前、父は、仕事一筋、というか仕事をしている自分が大好きな、少し面倒臭い人だった。それだけに、クビになったと聞いたときには心底、心配した。しかし、本人はあまり気にしていない様子だ。母にも、不安ではないのか、と尋ねたが、
「すぐに新しい職場が見つかるわよ。」
と、こちらも全く気にしていない。
そうこうするうちに、僕は両親と弟と共に、ケニアに行くことになった。僕自身、旅行は好きだし、野生動物がたくさんいるアフリカに行ける機会なんてそうそうないので、行くことにした。しかし、父の再就職先がまだ決まっていないのに、能天気にはしゃぐ両親を見ていると、手放しには喜べなかった。
ケニアには、カタール経由で合計十五時間ほどかかった。複雑な手続きを英語で難なくこなす父の姿を見ると、普通なら父を見直すようなシチュエーションだろう。でも、書類の職業欄に何と書くか迷っているのを見ると、とてもそういう気持ちにはなれなかった。
ナイロビに着き、更に五時間かけて、国立公園近くのロッジに向かった。そこの従業員は皆黒人で、マサイ族の人までいたが、マネージャーのアニータさんとピーターさん夫妻だけは、白人だった。僕はてっきり、彼らはイギリスなんかの出身で、仕事でアフリカに来たのだと思っていたが、聞けば彼らは南アフリカ出身だという。びっくりしたと同時に、自分の視野がまだまだ狭いことに気づいた。僕には、アフリカ出身の友達が何人かいる。でも彼らは全員いわゆる黒人だ。白人のアフリカ人もいるということを、学校で習って知っていても、実際には理解できていなかったのだ。
そのロッジは、食事の最中にキリンの水飲みやカバの行水が見えるほど野生の動物たちとの距離が近い、夢のような場所だった。
国立公園内に車で入ると、ヌーが追いかけっこをしていたり、ゾウの家族が仲良く行進していたり、数えきれないほど大量のシマウマが皆同じ方向を向いて並んでいたりと、多種多様な動物たちが、自然体でのびのびと過ごす姿が見られた。そんな中、僕たちが一番楽しみにしていたのは、ライオンだ。もちろん、彼らはそう簡単に見られるものではない。運転手のフレッドさんが、他の運転手さんたちから情報を集めて、ライオンの居場所へ連れて行ってくれる。勇壮なライオンの姿を期待して双眼鏡を覗いたが、そこに映るのは、狩に疲れ、寝転がる、覇気のない姿だった。夜行性の彼らは昼間は寝て過ごすのだという。
父が、
「ライオンって孤独なんだな。」
と、ボッソリつぶやいた。サバンナでは百獣の王ライオンが威張っている、僕は勝手にそんなイメージを持っていたが、実際に見てみると、彼らより弱いはずのシマウマやヌーなど草食動物の方が楽しそうに群れて、生き生きとしているようだった。ライオンたち肉食獣は草食動物に恐れられ、互いの獲物を奪い合い、何だか寂しそう。僕にもそう見えた。
ふと、父も職場でライオンだったのかもしれない、と思った。周りからは、仕事ができる有能な人材で自信に満ちているように思われるが、部下やライバルたちには弱みを見せられない。父は孤独なライオンにシンパシーを感じたのだろうか。
同時にアニータさんとピーターさんのことにも思いが及んだ。アパルトヘイトが当然だった時代の南アフリカでアングロサクソン系の住民として育ち、撤廃後の今、母国を離れ、ケニアの最果ての地に暮らしている。二人もある意味ライオンのように孤独だ。
僕は今、学校ではシマウマだ。その方が気楽だ。みんなと同じようにすれば、困ることなんてない。でも、案外ライオンのような、自信とブレない軸を持った生き方もアリだと思う。ライオンは完全に孤独か、いや違う。彼らはネコ科で唯一群れを作る動物だという。つまり孤独とはいえ、近くにそれを理解し、応援してくれる、そんな人がいる。それが父にとっては僕たち家族なのだ。
帰国してすぐ、父の新たな職場が決まった。またライオンのような立場だ。しかし、以前と違って見えるのは、僕が父の気持ちに気づいたからだろうか。とても遠い場所に行って、ずっと一番近くにいた人のことを理解できた、そんな旅だった。
アフリカへの家族旅行を通し、企業人として働く父の孤独さや辛さに気づき、家族として父の気持ちを理解する機会となった/異文化、異国を受け入れるアフリカの大地が書かれている
●父をライオンに例えているところが面白い。無職になってしまった無頓着な父への不安など子供心の中で素朴に描かれている。
●アフリカへの家族旅行を通し、企業人として働く父の孤独さや辛さに気づき、家族として父の気持ちを理解する機会となり、家族の絆も結束できた思いが描かれている。
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