柿崎 凌太朗 (旅先:福島県会津若松)
毎年、我が家は、夏休みに家族旅行に行っています。一ヶ月前、今年はどこに行くか家族会議をしました。ぼくは歴史や城が好きなので、赤瓦の会津若松城(鶴ヶ城)に行きたいと言いました。家族みんな賛成してくれたので、今年は福島に旅行することになりました。会津若松城は、南北朝時代の城を、蒲生氏郷が改築したもので、戊辰戦争の舞台になった城です。
石垣の間をぬけると、天守閣が見えてワクワクしました。国内唯一の赤瓦の天守がかっこいいなと思いました。中に入ると、白虎隊の資料が沢山展示されていました。戊辰戦争では、白虎隊と言われる16〜17歳の少年で結成された部隊が敗れ、飯盛山で自刃した悲劇が語り継がれています。
ぼくは、白虎隊のお墓のある飯盛山に行ってみたいと思いました。実際に行ってみると、会津若松城からかなりはなれていました。飯盛山の白虎隊が自刃した場所から見えるお城は思ったより小さく見えました。19人のお墓が並んでいる場所はとても静かで、城下の炎をお城が落城したとかんちがいして命を絶たなければならなかったことを思うと、なんだか泣きそうになりました。
でも、一番心に残っているのは、白虎隊で唯一生き残った飯沼貞吉(飯沼貞雄)のことです。昔の戦いの時代には、戦いで負けて生き残るより、戦死の方が尊い、という考えがあり、周りから言われたり、自分でも「なぜ自分一人だけ生き残ってしまったのか」と責めたり、肩身のせまい思いをしたかと思います。でも、その人が語ったことで、白虎隊の悲劇が知られるようになったのは大きいことだと思いました。
この旅で学んだことは、どんなに格好良い死に方よりも、「生きる」方が価値があるということです。「降伏を断り処刑台に向かう」や、「主君の忠義に死す」や「立ったまま戦死」ということが美談のように語られるのは、本当にそうだろうかと思います。なぜかというと、やっぱり生きることが大事だと思うからです。
貞吉の生き方を見ると、生きることには何か役割があるように思います。ぼくは、ぼくにしかできない役割を見つけたいと強く思った旅行でした。
会津若松城で白虎隊の歴史に触れ、格好良く死ぬよりも、いかに「生きる」ことが価値あるかを痛切に感じ、自分にしかできない役割を見つけたいと強く思った/歴史もよく勉強し、丁寧に検証している
●白虎隊と年齢が近い立場であり、実際に旅に出かけ、飯盛山から見た会津若松城が小さく見えたことで、当時の白虎隊の心境を自身でも感じられたこと等、自分の旅でこそ感じることのできるその時の気持ちが素直に書かれている。
●どんなに格好の良い死に方よりも、生きる事が大切であるという強い思いから自分の役割を感じた貴重な旅行として、大きなテーマとして捉えている点が良い。
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