山中 乃鈴香
五月、梅雨入り目前といわれる時期に私たちは沖縄へ修学旅行に出発した。楽しみであれもこれもと一週間前から荷物を詰め込み、鞄も期待も大きく膨らんでいた。
那覇空港に着いてから目指すのは伊是名島。沖縄本島からはフェリーで約一時間の島だ。ここで五、六名ずつに分かれ二泊三日の民泊を体験する。フェリーを降りると、民泊先のお母さんが迎えに来てくださっていた。よそのお宅に泊まるのでとても緊張していた。しかし、民泊先には私たちより一つ年下の女の子がいてすぐに意気投合し、さきほどまでの不安も吹き飛んだ。
翌日の午前中に、海でハーリーに乗りクラス対抗で競争をした。私は先頭でオールを漕いだ。みんなで掛け声を合わせて波を切っていく。最初に張り切りすぎて、ゴール間際ではすっかり疲れてしまっていた。それでもとにかく楽しかった。みんなも盛り上がり、常にどこかに笑顔があった。
夕暮れ、民泊先のお母さんが、ハーリー大会と同じ海にもずく採りに連れていってくださった。潮の引いたその海にはたくさんのもずくの群生が見られた。実は私は海藻類が大の苦手で、事前調査の嫌いなものの欄にもしっかりと大きく「海藻類」と記入していた。一面のもずくを前にしばし立ち尽くしている私に、民泊先のお母さんがもずくを洗って食べていいよといった。私はとても複雑な気持ちだったが、海水で洗って恐る恐るもずくを一口食べた。次の瞬間「美味しい!」と心の中で叫んでいた。今まで食べたものとは明らかに違う。こりこりとしていて海水の味がなんともいえない。こんなに美味しいものだったのかと感動した。
ふと、水平線の方を眺めてみた。午前のハーリー大会で熱くなった海とは全く別の表情をしていた。膝まで海につけた自分の足元から、あの水平線の先まで、果てしなく広がった夕日に染まっている海に心を打たれた。それは大きいという言葉ではとても言い表すことの出来ないもので、ただただ自然の雄大さに比べたら自分の存在など小さいものなのだと思えた。
また視界を戻し、少しみんなとおしゃべりをした後は、夕食のためにもずくを大きなザルに一杯に採った。もずくについたゴミを取る作業が思いのほか大変で腰が痛かったが、それさえも楽しかった。その晩はもずく酢、もずくの天ぷら、もずくの味噌汁、もずくの佃煮などともずく三昧で大満足だった。
夜には星空を見に出かけた。ブルーシートを広げてみんなで横になって夜空を見上げる。月の光が明るく、星が見えにくいと思わせるほどの月夜だった。それでも、あふれんばかりに星は無数に輝き、一度に全ての星を瞳に映すことは出来なかった。夜空は海と同じように、いや、それ以上の広がりを見せ私たちを包み込んでいた。私はなんともいえない幸福な気持ちに包まれた。
二日目の夜は民泊先の女の子と一緒に寝た。沖縄も大阪も女子中学生の話題は変わらない。夜遅くまであれこれ話が弾んだ。
三日目と四日目は伊是名島から沖縄本島に戻り平和学習をする。私はたくさんの思い出が詰まった伊是名島を離れがたかった。同じ家に民泊していた他の子も口々に帰りたくないと漏らしていた。見送りに来てくれたお母さんとお父さんに、また絶対に伊是名島に来ると誓って伊是名島を離れた。
沖縄本島で私が戦争を学んだ場所は、ぬちしぬじガマとアンティラガマ、そして平和祈念資料館が主だった。
そこで私が見聞きしたものは、想像をはるかに超えていた。
米軍の火炎放射で煤けたアンティラガマを歩き、現地の方の説明を聞いた。戦争中の沖縄の人々が味わった悲しい体験を聞き、なんとも重い気持ちになった。そして、米軍の基地も見る機会があった。いつしか申し訳なさが心をよぎった。それはニュースで沖縄の米軍基地問題の抗議活動の様子が放送されても私にはどこか他人事で、まるで違う国の出来事のように感じていたからだ。
戦争が終わっても沖縄の人々は今なお苦しんでいる。沖縄を訪れる前、ただただ浮かれていた自分が恥ずかしくなった。
沖縄で私が体験した自然は本当に素晴らしかった。しかしその一方で、沖縄で唯一の地上戦があった歴史は忘れてはならないものであり、現在沖縄が抱える問題も無関心でいるわけにはいかないと思った。
私が再びこの地を旅する時、平和に自分が生きていくことが出来ていることに感謝し、戦争を体験した方や今もその戦争によって苦しむ人々の心を理解して、次の世代に平和を繋いでいける人間に成長していたい。
※会社名・団体名等は、各団体の商標または登録商標です。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。