田中 楓
久しぶりに羽おったパーカーのポケットに手を入れた瞬間、私は胸が一杯になった。指先の感触に覚えがある。黄金色の繊細な砂…。
事の発端は去年の秋。姉からの宣言だった。
「悪いけど、楓のこと、起こせなくなるから。」
姉は或る工房に弟子入りを決め、まもなく早朝から深夜までの修行が始まるのだという。父は出張が多く、母は早朝から働いている。毎朝、十一歳年上の姉に怒られ起こされ、自分で起きたことはそれまで一度もなかった。
上の兄も就職を機に一人暮らしをすることになり、その上、下の兄の留学も迫っていた。
(起きられないよ私。みんなバラバラ!?)
置いてきぼりの淋しさとみんなを祝ってあげたい気持ちがない交ぜになり母に相談した。
「何か最後にみんなでできる特別なことある?」
「きょうだいだけで旅行するのはどう?」
母は、就職前の春休みに妹と青春十八きっぷとユースホテルだけを使い西日本を一周した。仙台から平戸まで十日間の姉妹旅行…。
私は早速時刻表を買い、営業で全国を回った父に見方を教えてもらい夢中で行程を書き出してみた。行く先は決めてある。小学生の頃に地図帳で発見した時は度肝を抜かれた。日本に砂漠があるなんて!?『鳥取砂丘』それから何度も、私は夢の中でそこを訪れていた。
ホテル宿泊が無理でも漫画喫茶ならと算段したが、下の兄と私が未成年のため却下。二泊三日全て青春十八きっぷとゲストハウス利用で私の貯金ぎりぎり収まった。電話の問い合わせや調べものも諦めずに粘ったつもりだ。
家族全員にしおりを渡すと、みんなびっくりして叫んだり抱き合ったりで盛り上がった。
全員からカンパもあり、忙しい冬休みを調整して出発するまで家族全員が上機嫌だった。
江戸川区西葛西を始発で発ち東京から朝六時七分乗車。熱海→静岡→掛川→豊橋→大垣→米原→京都→園部→福知山→豊岡→浜坂→鳥取→松崎と乗り換え十二回、十六時間十七分を経て、午後十時半すぎ、宿に到着できた。京都から先は、車両が短くなるのに比例して窓の景色が長閑になり、乗車人数も減り、無人駅の松崎駅に降りたのは私達四人だけだった。駅前にも拘らず真っ暗な町に降り立つ。迎えてくれたゲストハウスは愉快で個性的な面々で溢れていた。リハビリにきている人、ここを気に入り住み込みで働く人、観光客…様々な大人と話し美味しいカレーを頂いた。
翌朝、私達は電車とバスで砂丘へ向かった。『鳥取砂丘前』バス停に降りた途端、全員が声も出せず立ち尽くした。本当に驚いた時は、音も何も感じないことを私は知った。数秒後、一斉に走り出し全員転び、笑いが止まらない。長靴をを借りながら姉と私は何度も、きたねと、なぜだか泣き笑いで繰り返した。姉にだけは、いつか砂漠に行くことを打ち明けていたのだ。
そこはまるで日本ではなかった。神様が創った唯一無二の場所。私は信じて疑わない。
私達の頬をなでる海風が砂山を渡り風紋を造る。光る砂。乾いた空気。黄土色の優しいカーブがどこまでも続いている。夢の中にはなかったオアシス、遠目には真っ青な日本海。私は生涯忘れないだろう。この光景を友達に、大切な人に、将来は子どもに話すことだろう。私達は砂とたわむれ、転げ回り、はしゃいだ。砂卵を味わい、昔に戻って心行くまで砂遊びをした。駱駝の背中は、とても高く堅かった。観光客はまばらで、私達だけの場所に思えた。
因幡の白兎の舞台、白兎神社まで日本海沿いを二時間歩き、由緒ある縁結びの御守を手に入れ、さらに目指した鳥取県立むきばんだ史跡公園までは過酷な登山だった。けもの道は全く人も車も通らず、空腹をハモって紛らわせ、迷いながら辿り着いたのは三時間後だった。竪穴式住居に入り記念撮影。帰り道は、“熊注意”の看板に怯え、深い闇は月あかりだけが頼りだった。意外に移動に時間をとられ、まだ見たい所があるのに明日はもう東京か、と私達は悲嘆に暮れ、父に連絡すると、もう一泊したらと言ってくれた。私達はハイタッチした。少し時間に余裕を持って、水木しげるロードやいかの串焼きなどを楽しんだ。
最終日は始発に乗り込んだ。同世代の乗客達と話すと電車の本数が少ないため始発の車内で朝食も宿題も済ませるという。道理で、私達より、しっかりしている訳だと感心した。
三泊四日の車内は殆ど対面席でより一層話が弾み、誰も携帯を出さなかった。色々なピンチもあったが四人の知恵で切り抜けられた。みんなの役に立った実感が私の心を満たした。
あの清々しいほどに見渡せる風通しの良い鳥取の人々。外灯もなく、病院や図書館や学校や買い物も大変そうなのに、広大な空と大地と満天の星に抱かれ、逞しく生きている。
兄二人と姉もどうにか元気でやっている。
私は目覚まし時計が鳴る前に起きられるようになっていた。「行ってきます」とゲストハウスを後にした私達。普段の生活の中で、自分を鍛え、またいつか、自分の力で、別天地を歩きたい。心はいつも旅人でいたい。
年の離れた兄姉の就職や留学で別々の生活を迎える事で、母の提案から兄弟姉妹だけの鳥取旅行が実現。神秘的な砂丘や現地の人々との交流で一段と責任感が強くなった。
●いろいろな旅があるが、兄弟が離ればなれになる前に、懸命にプランを立てた一生の思い出になる旅の様子が良く描かれている。
●年の離れた兄弟がいる家族のあたたかさが伝わってきた。こうした旅を多くの人にも経験してほしいと思わせる作品。
●「携帯をする暇がなかった」という表現に良い旅であったことが良く表れている。
●砂丘は音が吸い込まれ、独特の静寂さがある。そうした体験も良く描かれている。
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