浦野 千夏
私は歴史的な物が好きだ。自分が生まれた年よりももっと昔に、あんなにすばらしい芸術品や建造物がつくられ、使われていたと考えると、なんとも言えないくらいわくわくする。歴史の教科書を見ればわかるが、昔は今よりも物を作ることが大変だったのに、今の物にも負けないくらい細かく美しい物が昔から存在している。建造物だって、数百年経った今も残っているものもたくさんあるのだから、驚きだ。
しかし、今まで私はそこまで歴史ある物に興味があった訳ではなかった。私自身、あまり実物を実際に見たことがなかったからだ。授業中に教科書の写真だけで見た物は、すごいとは思っても、感動するほどすごいとは思えなかった。この時代にこんなものがあったのか、と少し思うくらいだ。
そのくらいにしか思えなかったせいか、本気で実物を見たいと思うこともなかった。しかし昔のことに全く興味がなかった訳ではないし、むしろ私は歴史が好きな方だ。見る機会があるのなら見てみたいけれど、特にないのなら見なくてもいい。それぐらいの気持ちだった。
そんな私も、今年の五月に学校で修学旅行で奈良と京都に行くことになった。奈良と京都と言えば、昔の日本の都だ。それこそ今までに教科書で何度も見たような、国宝や世界遺産、重要文化財もたくさんある。行く前は楽しみではあったが、それらのことも実際に見てもそんなに感動することはないだろうと思っていた。
そして修学旅行の当日、一日目に東大寺へ行った。あんなに大きく、人も多い寺には今まで行ったことがなかったので、私はずっと周囲を見回していた。すごいのだろうなとは思っていたが、実際に行って見てみると敷地の広さや建物の立派さに圧倒される。
しばらく歩き、南大門では金剛力士像を、大仏殿の中では大仏を見た。どちらも教科書で見たことがある有名な物だ。そこでは多くの観光客や、私達と同じような修学旅行生が写真を撮っていたり、ガイドさんの説明を聞いていたりした。
金剛力士像は、薄暗い中でも細かい作りがわかり、その作りからは力強さを感じた。下から見上げた大仏は、とても大きかった。当たり前だろう。来る前から、大きいなんてことは理解していた。それでも、私は金剛力士像や大仏の大きさに驚いた。その時実物を目にして、ようやくそのすごさがわかったような気がした。多くの人がこれらの前で立ち止まり、見入ってしまうのもうなずける。
金剛力士像や大仏だけではない。教科書では見られなかったような建造物の細かい造りやその大きさ、何もかもに感動した。こんな物が何百年も前につくられて、今に残っているなんて信じられないくらいだった。
今までは、それが実在する、という実感がわかなかったのかもしれない。教科書や写真でしか見たことがなく、無意識の内にどこか遠くのことのように思っていたのだろう。もしくは、物語の世界と同じような感覚で見ていたのかもしれない。
東大寺を訪れてから、私は行く所全てを細かい所まで見て、目に焼き付けようとした。その時の感動を思い出せるように、写真もたくさん撮った。あの時は少し興奮していたので、少し撮りすぎたかもしれない。
それ以外の寺で見た仏像や建造物もすばらしい造りで、感動した。中には一本の木から削って作ったというものもあり、そんなこともできるのかと驚いた。小さな写真で見ただけではそこまで感動しなかった金閣寺も、実際に見てみるととても圧倒された。水に映りこんでいる姿も、とても美しい。二条城ではすかし彫りが一番印象的だった。立体的で活き活きとしていて、美しい。近くで見られないのが残念だった。
修学旅行での三日間は、歴史上の出来事でも初めて知ることが多く、とても充実した三日間だった。それでいて、まだまだ見足りないような気もする。修学旅行に行く前には、歴史ある物を見てこんなに感動するとは思ってもいなかった。今は色々なものを実際に見てみたいと思う。本当のすばらしさは、やはり実際に見てみないとわからないものなのだと思った。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。