藤井 大我
「お母さん。何かいるよ」ぼくは思わずさけんだ。ここはベトナムの奥地、ブオンドン。さけんだ理由は、夜寝ているぼくのそばを何かがいっぱい通り過ぎていったのだ。豆電球一つだけの、泊まっている小屋の電気を付けたところ、無数の赤いアリが行列をつくって歩いていた。アリだけではない。ゴキブリもいた。いつも清潔なところで生活しているからこそ、この光景のすごさにおどろいた。
毎年ぼくは夏休みに外国旅行をする。それも先進国ではなく開発途上国を。リュックサック一個に、自分で必要な物だけを考えて入れ、どこに行くかも両親から聞かされずに飛行機で飛び立つ。男兄弟ばかり四人いるぼくにとって、この旅行は兄弟の協力なしには過ごせないし、わがままを言うこともできない。今回泊まったところは、すき間だらけの木の小屋。トイレは垂れ流しで小屋の下は沼地になっていた。窓にはあみ戸もガラスもない。一つだけある水道のじゃ口からは透明でない水がドボドボと出てきた。布団はマットレス一枚だけで、家族六人がそこに頭だけを乗せて寝た。今だから言えることだが、夕方のスコールで停電になり、真っ暗な中、身を寄せ合った時は、泣きたくなったほどだった。家が二十軒ほどしかない、この村に来た理由をその時は分からなかったが、後にぼくは大切なことを教わることになる。
ふだんから、好きなことができ食べたいものを食べられる生活をしているぼくにとって、ブオンドンでの滞在は一つ一つに考えさせられた。停電の時は電気のありがたみを知り、電気を復旧するために土砂降りの中、頑張っている人のことを考えずにはいられなかった。言葉が通じないこの村で、身ぶり手ぶりで必死に伝えたことで、ぼくたちは食事にありつけた。そして、何かをしてもらう時には、表情や伝え方が大切であることを改めて知った。ぼくよりも小さい女の子が、五、六歳の子に必死に足し算を教えていたのを見て、弟の面倒なんか全く見ていなかった自分がはずかしく思えた。たぶん、この小さい子は幼稚園に通っていないんだろうなあ、というよりも、この女の子ですら学校に行っているのだろうか。鶏や象、水牛がいるこの自然の中で、動物の世話をして生活を助けているのだろうか。今までそんなことも考えたことなかったが、この村での光景は、ぼくの生活をふり返らせた。両親はそのことに気付いてほしかったから、毎年このような旅行をするのだろうか。
幸せってなんだろうか。ぼくは本当に幸せなのだろうか。これから、いろんな辛いこと、苦しいことがあるだろう。でもぼくはそんな時、このブオンドンでのことを思い出すであろう。貧しくても生きることのすばらしさ、物がなくても生活できることの大切さ、そして人と人とが助け合って生きている人間らしい生き方を感じるにちがいない。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。