尾関 文亮
「ISSの人達の食料は大丈夫かな」夕食の時僕が言った。我が家では、宇宙の話が大好物だ。はやぶさからガンダムまで話題は尽きない。夏休みの予定を立て始めた頃、新聞に日本のH2BロケットがISSに荷物を運ぶことが決まったという記事を見つけた。夕食の時その話をしてみた。小3の弟が「いいな、ロケット見たいな」すると家族全員が「ロケット見たい」と声がそろった。「夏休みにロケットの打ち上げを見に行くぞ」と父が興奮ぎみに言った。その後、父はしまったという顔をしていた。こうして、家族7人が8月16日打ち上げのロケットを種子島へ見に行くこととなった。お盆とも重なり飛行機やホテルの手配は困難の様だった。父は仕事から帰ると旅行代理店に電話をしたり、インターネットで、種子島に行く手段を探していた。結局岐阜―種子島間往復約2,600キロをキャンピングカーで行くことになった。
15日、打ち上げ予定前日。もう一つの楽しみであった、種子島宇宙センターに行き、実物のエンジンやロケットを見て回った。僕のロケット打ち上げへの気持ちは増々高まっていった。ところが、翌日天候悪化のため17日の夜に延期となってしまった。僕達が種子島から帰るのは18日だ。僕は不安になった。悪天候が続き、また延期になるのではと。僕の当たらないで欲しい予想は見事に的中してしまった。次の打ち上げ予定日は19日の夜となった。もう見ることができない。僕はとても悔しかった。しょんぼりしていると、突然父が言った。「18日のフェリーをキャンセルしてロケットを見よう」僕の心は一転、雲一つ無い快晴となった。前日の夜は、ドキドキして胸がいっぱいで寝ることができなかった。
19日、打ち上げ当日。恵美之江展望台で発射を待った。あっという間に朝から夜になった。辺りが暗くなるとロケットの周りに光が灯り、より一層ロケットが輝いて見えた。発射5分前いよいよだと思った。今までに無いくらいドキドキして、足もガクガクした。ついに、カウントダウンが始まった。最初は小さな声だった。それがだんだんと、大きな声に変わっていった。いつしか僕も夢中で叫んでいた。「3」「2」「1」「0」その瞬間大きな歓声と地響きが起こり、真っ暗だった空が昼のように明るくなった。僕は思わず「すごい」「すごい」「すごい」と何度も叫んでしまった。ロケットが闇に消えると、温かい拍手が起こった。周りでは涙する人もいた。
その後、遠い宇宙で待つ油井さんを始めとするISSの人達のもとへ、食料などが届いたニュースを見て、ほっと安心した。僕はあの瞬間を一生忘れないだろう。将来は、人の役に立ち夢と感動を与えることができる仕事がしたいと思う。
宇宙の話が大好きな筆者一家。種子島にロケットの打ち上げを見に行く。宇宙センターの見学や天候待ちの間にも期待は高まる。打ち上げの瞬間は一生忘れない。
楽しみに待つ間に悪天候で順延が重なり、帰る日になってしまって落胆したり、父が予約を取り直して滞在を延ばしてくれたり、話の展開が面白く、読ませる。暗くなる中ロケットに光が集まるといった視覚の描写、打ち上げのカウントダウンが小さな声からだんだん大きな声に変わり、ロケットの地響きに変わっていく音の描写、そして打ち上げの瞬間の昂揚感など感情の描写、それぞれがいきいきと伝わって上手い。
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