駒谷 遥也
「芸術の都」、パリ。空高くそびえ立つエッフェル塔をバックに、色とりどりの服に身を包んだパリジェンヌが街を行き交う−−と思いきや、辺りは真っ暗で、人影もまばらだ。当たり前である。そろそろ時刻は一日を跨ごうとしているのだから。
なぜ僕と母と姉の三人は、真夜中のパリを徘徊しているのか?話は半日ほど前に遡る。
僕達はイタリア北部、ウーディネの、母の友人宅にいた。一週間ほど滞在し、今日の昼頃に、トリエステ空港からフランス、シャルル・ド・ゴール空港に向かう予定だった。憧れのパリに、心が踊る三人。
「フライトまで後一時間!?」
母が叫び、家の中は騒然となる。なんと、飛行機の時間を勘違いしていたようだ。搭乗手続はもう始まっていて、今から車を飛ばしても手遅れである。どうしようか。
急遽、友人一家の父が、代わりの飛行機、かくなる上は夜行列車まで探してくれる。シーズン中で満席のものが多い。やっと空席が見つかったのは、「イージージェット」というLCCだった。これでなんとかなりそうだ。思わず安堵の溜息を漏らす。
結局、パリ・オルリー空港に降り立ったのは夜十時頃だった。市内行きのバスに乗り込む。車内は混んでいて、荷物を置き場に上げなくてはならない。疲労(というより元々筋肉が無いのだが)で、重いスーツケースを持ち上げられずに困っていると、肥えた運転手がやって来て、軽々とスーツケースを抱え、置き場に収めてしまった。そして一言、
「もっと食べなさい(というフランス語で)」。苦笑いで頷き、礼を述べる。
発車したバスから車窓を眺めていると、闇の中に屹立するエッフェル塔が見えた。そうだ、ここはパリなのだ、と今更ながらに感じる。そして、目的地に到着した。なんとか荷物を持ち、降り立った僕に、入り口に立っていた綺麗な女性が微笑む。
「ボン・ボヤージュ」
美しいお姉さんにどきどきしつつ、「メルシー」と返す。あの笑顔は、今も忘れられない。
ここからメトロに乗り換え。「メトロ」という言葉の雰囲気といい、天井の高いプラットホーム、タイル製の駅名板、無言の乗客と古めかしい車両など、地下鉄一つをとってもパリは洒落ている。なんだかフランス映画の世界に迷い込んだような気分だ。
数回の乗り換えを経て、目的の駅に到着。地上に出るが、宿泊するアパルトマン(キッチンが付いた、アパート形式のホテル)の位置が全く見当つかない。そこで、道にたむろしている若者のグループに尋ねてみる。分からないようだったが、親切にスマートフォンで検索してくれ、結果、大通りを真っ直ぐ行くという事が分かった。ひたすら、フランス人の闊歩する中を三人で歩いて行く。
見知らぬ街の夜というのは、この上無く心細いものだ。違う世界に放り出されたかのような感覚に陥ってしまう。
やがて、通りも尽き、路地のような道に入っていく。しばらくして、また道が分からなくなった。しかし、辺りにはもう人影もあまり見当たらない。途方に暮れていると、横断歩道の向こうで、煙草を吸っている男性を見つけた。思わず駆け寄ると、フランス人のような西洋的顔立ちではなく、東洋人的な顔。もしや、日本人か?そう思い、
「Are you Japanese?」
「Yes.」
思わず飛び上がりそうになった。真夜中のパリの道端で、まさか日本人と出会うとは。異国の地にて、日本人と出会う程嬉しく、心強いものはない。もちろん日本語で道を聞く。長い髪を後ろで束ね、無精髭を生やした、まるで侍のような風貌の彼は長い間この辺りに住んでいるらしく、すらすらと行き方を教えてくれた。奇跡の遭遇者と別れ、先へ進む。
しばらくし、目的地の近くには着いたものの、似たような建物が多く、どれが正しいか分からない。迷子の僕達を嘲笑うかのように輝く月と、それに照らされて白く浮かぶ石畳の道路。そんなパリの夜を、彷徨い歩く。思い切って、近くにいたギャルのグループに尋ねる。意外にも親切に教えてくれ、「この辺は危ないから気をつけなさい」とアドバイスまでもらった。そして、遂に見つけた。夢にまで見たアパルトマンを。歓喜しつつ、通りに面した扉のノブを引く。……開かない。よく見ると、隣に暗証番号のボタンがあった。打ち込み、中に入ると、また扉。不安になりつつ、ノブを引く。しかしドアは開かない。なんだこれは。開かずの扉と格闘し、もうここで寝てしまおうかと半分冗談、半分本気で言っていると、遂に開いた。エレベーターで部屋の階へ。やはり扉は開かず、笑いたくなる。夜のパリの悪戯に。こんなにも過酷で、愉快で、出会いに溢れた、真夜中のRPGに。
カチャッ。ゲームクリアの音がした。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。