宇野 南
二〇一四年三月。私は家族でインドネシアのバリ島へ向かった。姉の高校入学と私の中学入学祝を兼ねた旅行だ。姉の中学受験から始まった我が家の受験生活は七年間。やっと終わりをむかえ、家族でゆっくり過ごそうと旅行は計画された。目的地をバリ島に決定したのは、両親だ。二人の思い出の地とのこと。「何もしないという贅沢なときを過ごす」一週間の旅はこうして始まった。
バリ島に到着してまず目にするものは、「チャナン」と呼ばれるお供え物だ。ヤシの葉やバナナの葉で編まれた小さなお皿に色とりどりのお花をかざったものだ。道端、お店の前、交差点、ホテル、スパ、ビーチなどあらゆるところにお供えされている。地面に直接おかれたものは「悪霊」へ、地面より上にあるものは「神様」へのお供えだという。全国民の九〇パーセント近くがイスラム教徒というインドネシアにおいて、バリ島民の大半がバリ・ヒンドゥー教を信仰しているとのこと。バリ島独特の宗教を信仰し、生活、文化、習慣の基礎としている人々。神々はいたるところに宿っていると考え、全てにお供え物をする。バリ・ヒンドゥー教は別名「お供え物の宗教」と呼ばれる程だ。バリ島の「バリ」は、サンスクリット語で「捧げる」という意味を持っていて、バリ島自体「神様に捧げられた島」ということになる。「チャナン」を作り、供え、祈る。バリ島の人々は、自然の神々、目に見えないものを大切にし、日々の暮らしに感謝して生活しているようだ。
「神様に捧げられた島」バリ島は、「祭りと芸能の島」とも呼ばれた程、毎日のように島のどこかで祭りや儀式が行われているという。その多くは、ガムランが演奏され、色とりどりの衣装を身につけた踊り手によって、華やかなお供え物が捧げられるものだ。
しかしバリ島で唯一「ニュピ」と呼ばれる静寂に包まれる祭りがある。これは月の満ち欠けをもとにしたサコ暦で一年に一度巡ってくる別名「静寂の日」と呼ばれるバリ島で最も重要とされる新年を迎える祭日のことだ。私達がバリ島に滞在中の三月三十一日が、二〇一四年の「ニュピ」にあたったのだ。静寂の日「ニュピ」には、禁止事項がある。「火や電気を使わない」、「外出しない」、「仕事をしない」、「食事をしない」の四つだ。バリ・ヒンドゥー教徒の精神修養日で断食と瞑想に専念する日とされている。バリ州政府や日本の外務省の海外安全ホームページにも、この「ニュピ」が円滑に実施されるように外国人旅行者にも理解を求めるように呼びかけている。
それでは私達旅行者は一体どのように過ごせばいいのか。空港や港も閉鎖され、宿泊先のホテルから外出できなくなる。一歩もだ。宗教上何の関係のない外国人旅行者ばかりが滞在するホテルでもだ。海岸沿いにはガードマンが立ち、ビーチにすら出ることができない。部屋のテレビもつかない。電気も一部しか点灯しないように設定されていた。市街の飲食店や商店も営業が禁止になる。私達の宿泊したレストランは営業していたため、食事に困ることはなかったが、部屋を一歩出ると全てが真っ暗なのだ。夕食時は、レストランの予約時間に合わせて、ホテルの方が懐中電灯を手にして部屋へむかえに来てくれた。フロントがあるロビーも真っ暗だった。宿泊客がフロントのカウンターの前に立つと、用意してある懐中電灯をつけるという徹底ぶりだ。バリ島の人々にとっては大切な宗教儀式だから、私達旅行者もある程度敬意を払わなくてはいけないだろう。少し不謹慎かもしれないが、まるでサバイバルゲームのようだった。世界でもきっと珍しい祭事に違いない。日本の日常では決して体験できないこの静寂の日「ニュピ」。心の火も一日だけ消して冷静になり、日々の自分をみつめ直す。心のバランスを取り戻すための一日。何もしないという贅沢な時間は、ここにもあった。
少し明かりを落としたレストランで夕食を済ませた後、夜空を見上げた私達家族は皆、一瞬息をのんだ。満天の星空。それはそれは素晴らしい星空。プラネタリウムって本当なんだと実感した。数えきれない程の星。星。星。バリ島中が電気をつけないので、この星空が見えるのだ。本当に美しい。私達は目に焼きつけ「静寂の日」を終えた。
伝統文化が色濃く残る島、バリ島。「目に見えないもの」を大切にし、日々を暮らすバリ島の人々。バリ島での「何もしないという贅沢な時間」は、私達家族の心と体を充分にリフレッシュさせてくれた。今、「来年もバリ島へ行こう」が私達家族の合言葉になっている。楽しみだ。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。