下京田 果歩
今年三月、小学校を卒業した私は、京都府亀岡市に向かった。私は、小学校一年生から五年生まで海外で暮らしていて、その時に日本人学校でお世話になった校長先生を訪ねるのが目的だ。亀岡は、京都の日本海側に位置する町で、京都駅から山陰線快速に乗って二十分ほど行ったところにある。
まず亀岡の地を踏んで思ったのが、自然がいっぱいあるということだった。あたり一面に原っぱが広がり、近くに山もそびえていた。千葉の都市部で生活している私には生まれて初めて見る景色で、思わず息を飲んだ。広大な自然に私が驚いている中、校長先生は車で迎えに来てくれた。
先生の車に乗り、先生の家についた。先生は山登りが好きなため、屋根も壁も階段も柱も全て木でできているログハウスに住んでいた。私が住んでいるコンクリートのマンションと違って温かみがある家だった。触るとなめらかで、また、かすかなぬくもりがあった。
中に入ると同時に、先生は麦わら帽子を私にかぶせた。そしてカポカポと音がするぐらい大きい長靴と、ぶかぶかの手袋を身に付けるように言った。あっという間に「農家の人」に大変身した自分がこれから何をするのか、少しわくわくした。その気持ちを見透かしたように先生は、「畑へ行こう」と言った。
先生の畑は少し歩いた所にあった。畑には、ふわふわでふかふかの土があった。おそるおそる土のにおいをかいでみたら、何とも言えない独特のにおいがした。初めてかいだにも関わらず、どこかなつかしさを感じた。
先生はまず私に、芽キャベツを採るように言った。と言われても、畑には、先生が育てた野菜が沢山あって、どれが芽キャベツなのかがてんでわからなかった。戸惑う私に、先生は「これだ」とブロッコリーのようなものを指差した。芽キャベツがどのような物かはなんとなく知っていたが、小さい実が沢山茎にしがみつくように生っているとは知らなかった。サイズも、いつも私が食べているキャベツを直径三センチほどに縮めた感じだ。先生はそれを軽くつまんでくりっとひねってみせた。すると、プツリと小さな音がして、芽キャベツはころんと先生の手の平に転がった。私はそれを見て、芽キャベツというのはなんてかわいらしい野菜なのだろうと思った。先生は私に、どんどん採るよう促した。私は最初はおそるおそる採っていたが、だんだん楽しくなってきて、知らず知らずの内に鼻歌まで歌いながら採っていた。
次に、ジャガイモの種植えをすることになった。私はジャガイモの種を見たことがなかったので、どのような種が出てくるのだろうかと想像をふくらませた。が、出てきたのは、真ん中で真っ二つに割られたジャガイモだった。怪訝そうにそれを見ていると、これは種イモというのですよ、と教えてくれた。半分に切った面を下にして、深さ五センチほどの穴にいれ、土を優しくかぶせ、水をたっぷりやる。こうすれば、三ヶ月後には、おいしいジャガイモができるのだそうだ。
ジャガイモの種植えを終え、芽キャベツのほかに、ニンジンとネギを採った後、先生は野菜の入ったバケツを持って、後をついてくるように言った。そこは、小さな小川で、山から湧き出る清水が流れていた。「この澄んだ水で、野菜についた土を落とすのです」と先生は言った。私は、裸足になって水の中に足を入れてみた。が、すぐに足を引っ込めた。冷たい。だが、先生はちゅうちょなく水にバシャリと入っていく。私は覚悟を決めて、水につかった。凍えそうなぐらい寒かったが、野菜を洗い始めると、水の冷たさも忘れた。土が落ちない場合は、近くに生えている雑草を引き抜いてタワシ代わりにすることも教えてもらった。自然の水と雑草を使って、野菜についた土をていねいにていねいに洗った。
収穫した野菜は、その日の晩御飯となった。ニンジンはそのままスティックサラダ、芽キャベツは、塩茹で。ネギは、京風の汁物の中に入っていた。これらに日本海でとれた魚の刺身や焼き魚を奥様が用意してくださって、どれもおいしくいただいた。私が幸せそうな顔をしていると、先生は言った。「果歩ちゃん。人生には楽しいこと幸せなこと、いっぱいあるやろう。今も、幸せやろう?」
実は、私は小学校六年生で日本に帰ってきて、なかなか学校になじめず、学校も休みがちで、楽しいことを楽しいと思うことができない一年を過ごして卒業した。先生とこの亀岡の大自然の中で一緒に畑仕事をして、一緒に御飯を食べていたら、何だか今まで私が悩んでいたことがとてもちっぽけなことに思えた。中学校生活、がんばってみよう、という気になった。
それから三ヶ月後、先生からジャガイモが届いた。亀岡で一緒に植えたジャガイモだ。そこには、「また、亀岡においでよ」というメモ用紙が、一枚添えてあった。
帰国子女の筆者は、学校になじめないまま卒業を迎えた。そんな折に訪れた海外時代の恩師の畑で、初めての農作業をした彼女は、大自然の中で畑仕事をしてご飯を食べるというシンプルなことの幸せを感じて、来たる中学校生活に前向きな気持ちになることができた。
自然の恵みに心が洗われ、生きる力をもらうという観点に独自性を感じる。また、こんな先生がいたらなあと思わせ、前向きに生きようというメッセージが受け取れる。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。