井崎 英乃
見渡す限り続く田んぼ。ここまで続く緑色の田んぼを私は見たことがありませんでした。風で稲の葉が一斉にゆれる様子は、まるで緑色の波がゆれる海のようです。そして、そのはるか向こうには山々が並び、空には、絵に描いたような大きな入道雲も見えました。どこからか、小川が流れる涼しげな音と、夏を楽しむセミの鳴き声も聞こえます。田舎特有の不思議なかおりが鼻の奥にまで届き、
「田舎のにおいだね。」
と、妹と二人で鼻をつまみ笑いました。
ここは、加美郡宮崎町。私の住む仙台市からおよそ四十三キロはなれた小さな町です。車に乗って一時間半ほどかかりました。
平成二十六年七月三十一日木曜日。今から六十九年前の今日、私の祖父が学童疎開のため、この地へやって来ました。そして、今私の目の前にある洞雲寺で、終戦までのおよそ一ヶ月を過ごしたのです。六十九年前、祖父はまだ小学四年生でした。住みなれた町や家族の元をはなれ、どのような思いでこの地へ来たのでしょう。旅行気分で来ている私とは全くちがう思いでこの景色を見ていたと思うと、とても悲しい気持ちになります。
祖父は、今から七年前に病気で亡くなりました。そのため当時の話を直接祖父から聞くことは出来ません。しかし祖父は、私が生まれる少し前に、学童疎開をした仲間と一緒に学童疎開の体験を本にしており、私はその本を頼りに、学童疎開をした日を選び、祖父の姿を訪ねて、祖母、母、妹の四人で、疎開先である洞雲寺にやって来ました。
本に書いてあったお寺の見取り図や近所の地図から、この地を頭でイメージして来たものの、六十九年という年月は、私が考えていたよりも長く、当時の様子を語ってくれる物は、何ひとつ残ってはいませんでした。
何を見たらいいか分からずただ歩いていると、今から二十年ほど前、祖父と一緒にこの地を訪ねていた祖母が、その時に祖父から聞いたという話を祖父に代わって話してくれました。祖母から聞いた「祖父もまた、今日の私のように、変わりゆくこの地の姿、忘れられていく悲しい歴史をとても残念に思っていた」という話を、私は今も忘れることが出来ません。
来年は終戦七十年となります。今、戦争を体験された方は、どれくらいいらっしゃるのでしょうか。私自身、祖父の学童疎開の話を知るまで、戦争とはずっと昔の出来事であって、悲しい歴史のひとつでしかありませんでした。今回、祖父の疎開先を訪ねたことで、戦争に対する思いや考えが変わりました。
時間の流れと共に、人間の記憶もまたうすれていくのは仕方のないことと思います。しかし、悲しい過去を二度と繰り返さないためにも、祖父が残してくれた思いをこの夏の景色と共に、私の心に残したいと思います。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。