黒川 哲義
僕は「神戸・広島子供たちの旅」というツアーに行ってきました。友達にさそわれて、「しんさいとはどんなことだろうか」、「原ばくとはなんだろうか」というきもちがわいてきたので、このツアーにいってみようとおもいました。
この旅で二人の方のお話を聞きました。一人目は神戸の古市さんというかたです。古市さんは、はんしん・あわじ大しんさいにあわれたかたで、そのころ、消防団をなさっていて、地いきの方々をきゅうじょなさったそうです。もう一人は広島の豊永さんというかたです。豊永さんは九才のころ寺に行くとちゅうの電車を待っているときにひばくなさったそうです。
僕は古市さんのお話しを聞いて「こわい」「悲しい」と思いました。でも、それを聞いて「しあわせ運べるように」という歌の見かたが変わりました。特に「地震にも負けない強い心を持って」のところが、本当にその通りだと思いました。なぜかというと、避難所の古市さんが、家族に前向きな事を言っていたからです。もう一つあります。古市さんがプロゴルファーになったことです。地震に負けていたら、なれなかったと思いました。
古市さんがこう言いました。
「地震が起きた時、人は三つの顔に分かれる。その顔とは、まず一つ自分の事しか考えない顔。二つ目の顔はボーッと見ている顔。三つ目は人を助ける顔です。」
たいていの人は一と二になってしまうそうです。僕には、むずかしいかも知れませんが少しでも人を助けたいです。
古市さんはしんさいが起きる前まで、「努力」が大切だと思っていたそうです。ですがしんさいが起こってから「感謝の心が大切」だと思ったそうです。僕はなにかふわふわしていますが、みんながいて、みんなに助けられてできることは、ありがたいと思います。
古市さんたちは、自分が「こわい」「悲しい」と思ったことまで話してくれました。だから、地震がおきたときにどうすればよいか、考えることができました。神戸の方々はとても優しかったです。その方々にお礼を言いたいです。ありがとうございました。
僕は豊永さんの話を聞いて「こわい」「かわいそう」と、思いました。また、資料室の赤い点々のできた人の写真や、やけどをした人の写真を思い出してとても怖かったです。けれど、それらを知って、もう二度とこんなことは起こって欲しくはないと思いました。
話の最後、豊永さんは「後世に伝えて下さい」とおっしゃいました。僕は、まず家族に話そうと思いました。けれど、悲しくて泣いてしまい、とちゅうから話せなくなりました。とにかく悲しくてこわいです。今の「平和」が大切だと思いました。豊永さん、お話を聞かせて下さって、ありがとうございました。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。