石井 泰地
二〇一四年九月、ぼくはふじ山が目の前に見えるキャンプじょうでキャンプをしました。同じようち園のおとうさんたちがけいかくして、十四家ぞくがあつまりました。キャンプじょうはとうきょうよりずっとさむかったです。
バーベキューで、イベリコぶたの丸やきをしました。あたまも足もそのままついていて、さいしょに見たときは気もちわるいと思いました。あまりおいしそうにも思えませんでした。おどろいたのは、やいているとちゅうでぶたの目がひらいて、はなからちが出てきたことです。生きているのかと、心ぞうがドキドキしました。
「火のねつでかおのきん肉がちぢんだから、とじていた目があいたんだよ」
と、おとうさんが教えてくれました。一時間くらいかかって、やっとぶたがやけました。どんなあじかこわごわたべてみたら、こうばしくてとてもおいしかったです。さいしょは気もちわるいと思ってしまったけれど、ぼくはいつもこの肉をたべて、えいようをもらっているんだ。そう思ったら、もっとおいしくかんじました。とてもすこししかたべられない、のうみそもたべさせてもらいました。色は白くて、かんだらすぐにとけてしまいました。白子みたいなあじがしておいしかったです。ぶたの丸やきなんてニどとたべられないかもしれないから、いいべんきょうになりました。
夕方、ふじ山のちょう上のすこし下が、夕やけにそまって赤くなっていました。きれいだったけれど、ぼくはふん火しそうな気がしてこわかったです。夜になるとふじ山は、くらやみよりももっと黒いかげで、なんだかさっきよりも近くにある気がしました。ふじ山のりょうわきにいた二つの山は夜になったら見えなくなっていたのに、ふじ山だけはくっきり見えて、山のりんかくが水色だったのがきれいでした。
つぎの日の朝、ぼくは早い時間におとうさんにおこされました。
「ごらいこうが見えるよ」
すると、ふじ山の左がわから黄色いたいようがすこしづつ上ってくるのが見えました。これが朝日なんだ、ぼくはねむ気がふっとびました。今まで見たけしきの中で、一ばんきれいでした。朝や夜でこんなにちがって見えるふじ山に、ぼくはかんどうしました。見るだけじゃなくて、いつかこの山にのぼってみたくなりました。
キャンプにくるとテレビもないし、ゲームもできません。でも山を見たり星を見たりするだけで、ぼくはむねがわくわくしてきます。ぼくが見た大きなふじ山も、本ものの星空も、ずっとぼくの心の中にのこると思います。
富士山のふもとでキャンプをし、バーベキューでの豚の丸焼きの生々しさに驚き怖がった筆者だが、食べてみるとその味はとても美味しかった。いつもこういう生き物から栄養をもらっていると思ったらさらに美味しく感じられた。山や星にわくわくするこんな楽しみ方もいいと思った。
場面場面でのドキドキ感や、筆者の素直な感想が良く書けている。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。