曵汐 奏輝
ぼくは今年も母と二人で富士山に登った。今年で三回目の富士登山だ。日本のしょうちょうでもある富士山が大好きだ。登山は、苦しいけど、自分しだいでたく山のかんどうを体けんできるのだ。今年こそ頂上でご来光を見る!そして、出会う人に元気よくあいさつをする!それらが今年のぼくの目ひょうだった。まず、仮みんをする山小屋を第一ゴールに登った。大きく息をすい、ゆっくりはく。これが高山病にならないための一つであると事前にべんきょうしていた。しかし、七時間半歩いたと中では何度も心がおれた。そのおれた心は富士山を登っている人たちとのあいさつや会話でふっかつした。カナダからの五人組のおじさんと目が合った。ぼくはゆう気をふりしぼり、「Hello.」とあいさつをした。すると、「Hello.You're good.」とかえしてくれチョコレートをくれた。初めて会った人にお菓子をもらうことはここい外では考えられないことだと思った。でもおじさんからもらったチョコレートはあまくてあたたかかった。ぼくもおかえしにクッキーをあげた。なんだかきんちょうもした。七時間半歩いた足はガクガクだった。でも「ここまで登った」という自信がアタックへのはげみだった。出発!力をふりしぼって登った。空を見上げるとプラネタリウムだった。母と二人でゆっくりと登った。ほかの登山者がぼくたちをおいこす時、「がんばれ」「よくここまできたね」「すごいね」「お先に」とかならず声をかけてくれた。しかし、きゅうにくるしくなった。こきゅうができなくなった。そこに「だいじょうぶ?」と声をかけてくれたのは中国のお兄ちゃんだった。「おいで」。ぼくはあまえた。お兄ちゃんは自分のザックを友だちにあずけ、ぼくをせおってくれた。さいごの岩は手をひっぱってくれた。頂上についたとたんぼくはすわりこんでしまった。気付くとぼくはお兄ちゃんのウインドブレーカーをきていた。
初めて会うぼくになぜこんなにやさしかったのだろう、なぜたすけてくれたのだろう。頭の中は、お兄ちゃんのことでいっぱいになった。名前さえ聞けなかった。あの時にもどりたいな。
ぼくは今年の登山でえたことは頂上へ行けたよろこびではない。名前も知らないお兄ちゃんのやさしさだ。一生わすれない。ぼくも、今日から人のことに思いをやれるあのお兄ちゃんみたいなかっこいい人になりたい。今年の富士山で心にきめた。
三度目の富士登山の目標は、頂上でご来光を見ることだった。途中で疲れ果てて歩けなくなった時に声をかけてくれたのは中国人のお兄さん。結局彼におぶられての登頂となったが、筆者には、そういう優しい人になりたいという新たな目標ができた。
出会い方の臨場感や、素直な感じ方が良く表現されていて、情景が浮かんでくる。人間臭さと富士の澄んだ空気の対比が端的な文中によく出ている。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。