大塚 さゆり
「여권 보여 주십시오」(パスポートをお見せ下さい)
ゲートを監視する軍人が無機質な口調でそう言った。迷彩柄の軍服にヘルメット、肩には大きな機関銃を掛けている。実際背がそんなに高いわけでもないのにやたら体が大きく見えるのは、‘軍’という権威によるものなのか。緊張する必要など無いのに、パスポートを見せる私の手が少し震えている。
軍人はパスポートを素早くめくり、写真を一瞥した後、軽く頷き、私を中へ通し入れた……
“2014.2.15 AM 6:37
南部バスターミナルから晋州へ出発!4、5、6番に着席。
アンニョン、さゆり? ジンシンは今、朝ごはん食べてる。さゆりはひざ掛けかけて座ってる。た・の・し・み!!”
この日完全夜型の私は、朝早くから、冷たい冬の空気を切って走るバスの中にいた。睡魔と闘いつつ目が半分閉じた状態で窓に目をやると、外はまだ暗闇に包まれている。
ソウルから慶尚南道晋州市まで高速バスで約4時間。サービスエリアに着くまでもうひと眠りしようと、ひざ掛けを肩まで被りなおす私の横で、友人のジウンは何やら一生懸命メモをし、ジンシンは一生懸命バナナを頬張っている。
今回の旅を企画したのは、責任感があってしっかり者のジウン。彼女は私より14歳年下の韓国人で、ソウル大学を首席で卒業するほどの秀才。もう1人の旅の同伴者は、同じくソウル大の中国人留学生で13歳年下のジンシン。いつも明るくお茶目な彼女はグループのムードメーカーだ。
かく言う私も歳が‘若干’多めではあるが、花のソウル大生!韓国人の友達ができたのをきっかけに、30を過ぎて韓国語を猛勉強。趣味が高じて大胆にも韓国の名門ソウル大学を受験し、見事合格した私は、2009年から韓国で大学生活を送っていた。
専攻は国語国文学(韓国語韓国文学)。ジウンとジンシンは同じ科で学んだ同期の仲間だ。
韓国人学生に混ざり、彼らに追いつくことはできなくとも、せめて足を引っ張らぬようにと必死で授業に参加した。その甲斐あって去年無事卒業することができ、今年3月に帰国することになっていたのだが、その直前の卒業旅行だった。
日程はこうだ。高速バスでソウルを出発し、まずは南へ約330km離れた慶尚南道晋州市へ向かう。ここでバスを乗り換え‘某所’へ向かった後、その日の内にまたバスで慶尚北道慶州市へ。観光後、次の日にはソウルに戻るという、1泊2日の行程だ。
慶州は新羅時代の都として栄えた都市であり、文化遺産が数多く存在することから、日本で言う京都に匹敵するのだが、韓国に長く住んでいながら慶州を一度も訪れずに帰るのは忍びないと、私のたっての希望で決まった行き先だった。
しかしこの旅の何よりの目的は、某所での‘面会’。
知られているように、分断国家である韓国と北朝鮮の間で起こった戦争は今なお終結していない。その為、韓国では男子に約2年の兵役を義務付けているが、ジウンが以前、交換留学先のシンガポールで知り合ったキム君が、現在軍役に服しているということで、彼の面会も行程に組み入れることになったのだ。
当然、私とキム君は全く面識が無い。だが、韓国を語る上で切っても切れない関係にある徴兵制について以前から関心も高かったし、計6年に渡る韓国生活で現役軍人の面会に行ける機会をようやく得たのにこれを逃しては、という気持ちでジウンの提案を呑んだ。
“AM 10:42
アンニョンハセヨ。会って10分も経ってないのに、手紙を書くなんて気恥ずかしいですね(笑)。旅行楽しんで下さいね!
今日こうして一緒に面会に行くことは、本当に本当にspecialなことですもん!良い時間を過ごしましょう!”
晋州でバスを乗り換える時に、旅の仲間がもう1人加わった。ジウンとキム君の共通の友人であるソウル大生のホダム君だ。彼はこの冬休みに韓国全土を旅行中で、私たちが面会に行く日に合わせてここへ来たとのこと。
とてもひと回り以上年下とは思えない、落ち着いた面持ちのホダム君。兵役をすでに終えた男の余裕だろうか、全てを悟った仏様のような穏やかな顔立ちが印象的だ。
女ばかりで‘軍隊’という特殊な場所に足を踏み入れることに、若干の心細さを感じていたのだが、仏様が加わったことにより、虎の威を借る狐のように心強かった。
部隊へは、晋州からバスとタクシーを乗り継ぎ数十分で到着できた。ゲート前でタクシーを降り、いざ軍内部へ!韓国人のジウンとホダム君は住民登録証を、外国人であるジンシンと私はパスポートを、ゲートを守る軍人に見せた。
外国人でも入れると聞いてはいたが、小心者の私は、万が一にも「おまえは人相が悪いから駄目だ!」とか、「韓国での行いが悪いから駄目だ!」などと言われたらどうしようかと、内心ドキドキだった。が、当然の如く心配は杞憂に終わり、仏の威を借る日本人留学生は堂々と中へ進むのだった。
面会室と思われる部屋に通され、ここで待つようにと言われた。白い壁に白い床。片側全面ガラス張りになっていて、外の柔らかな光が室内に降り注ぎ、少し眩しいと感じるほどだ。とても開放感のあるその部屋は、何も言われなければ軍内部とは思えない、小ぎれいなカフェテリアと言っても通じるような内装だった。
入口から近い窓際の席には、面会に来た彼女と仲睦まじく話す軍人カップルが。奥の席では別の軍人が家族に囲まれ、和気あいあいとサムギョプサルを焼いて食べている。私たちは壁側の席を陣取り、晋州でバスを待ってる間にロッテリアで買ったハンバーガーとチキン、そして軽食屋で買った海苔巻きとトッポッキを負けじとテーブルに広げ、主役が来るのを待った。
美味しい匂いの攻撃に耐えられなかったのか、誰かのお腹が「グゥ〜ッ」と悲鳴をあげたのが聞こえ見回すと、目が合ったジンシンが恥ずかしそうにお腹を押さえ、悪戯っぽく笑った。それにつられて「ふふふ」と笑っているところにキム君が現れた。
「姉さん兄さん、お久しぶりです!」
と、ジウンとホダム君に元気よく挨拶し、ジンシンと私には、
「初めまして!こんな遠くまでよくお越し下さいました」
と優しく声を掛けてくれた。
入隊して日が浅いキム君は、真新しい軍服にまだ若干‘着られてる感’が残る。その初々しさに見ているこちらが照れてしまうほどだ。
「顔つきまだ変わってないな。まぁ心配しなくてもこれからやつれてくるから!」
と脅すホダム君に一同笑った。
「さぁさ!挨拶はこれぐらいにしてお昼にしようか」
食事そっちのけで盛り上がる一同を、ジウンが司会者さながら取り仕切った。
「ご所望のツナ海苔巻き買って来たよ。他の食べ物も冷めちゃうし、早く食べよう!」
という言葉に、ジンシンは殆ど聞こえない声で「やったぁ!」と言って、指先で小さく拍手した。
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