矢澤 宙空
今年の夏休みに家族で私は初めてシンガポールへ行った。シンガポールはいくつかの国が集まったような国だと両親から聞かされてはいたが、華人、マレー人、インド人などの違った民族が東京23区ほどの小さな国土で暮らしているという状態が私にはとても想像が付かなかった。異なる宗教と民族の人たちが小さな一つの国としてどうやって成り立っているのか自分の目でどうしても確認したくて、私はワクワクしながら飛行機に乗った。
シンガポールに到着し、一日目は有名な観光地めぐりをした。それだけでもシンガポールという国にはいろんな民族の人々が住んでいるのが私にもすぐに分かった。街中や地下鉄のかん板が英語、中国語、マレー語、タミル語などのいろいろな言語で書かれていたし、チャイナタウンや仏教の寺院でお経をあげるお坊さんを見ればまるでそこは中国のようだった。サルタンモスクでは一心に祈りをささげるイスラム教徒の人々、アラブストリートではヒジャブを巻く女性たちとすれ違った。それぞれの街にはそれぞれ違った香りと街並みがあり、私は五日間のうちに何ヵ国も旅行した気分になった。一つの国の中でいくつもの民族の人々やそれぞれの宗教の寺院を見ることができ、そしてそれぞれの民族の食べ物を味わうことができるシンガポールは、今までに行った旅行では味わったことのない特別なふん囲気の国だった。
特に私にとって一番印象に残ったのはリトルインディア地区だった。地下鉄の駅を出ると街並みもインドそのもの、そしてそこを歩く人々はほとんどがインド系の人々で、女性はきれいな一枚の布サリーを美しく身につけていた。私たちは家族で南インド料理レストランに入り、大きなバナナ葉っぱの上の長いお米のご飯に大きな魚の頭が丸ごと入ったカレーをかけて、スプーンを使わず右手だけで食べた。香しん料の香りがいっぱいのカレーはとてもおいしく、すっかりインドの人になったような気分だった。そして長い時間をかけてやっと選んだ美しいサリーを私も一枚買ってもらった。数えきれないほどの美しい色の像が屋根に飾られたヒンズー寺院の中では小さい子を連れて熱心に祈るお母さんの姿が印象的だった。私は目と耳と鼻と手と足でインドを感じることができた気がした。いつか本当にインドに行ってみたいと思った。
そしてこの旅で私が気付いたことは、違った民族の人々がこの小さな国で争うことなく暮らしている中にはそれぞれの民族が自分たちだけじゃなくお互いの民族や宗教を大切に守りながら生活していることだった。旅行中いくつも寺院を見学したが、シンガポーリアンたちは宗教は違っても祈ることで元気や勇気や自信やお互いに対する優しい心を得ているように見えた。違った民族どうしが仲良く生きて行く上で宗教は大切な支えになっているのかもしれない。その思いやりの心がこの国を美しくまとめているのだと私は思った。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。